第44話 決意

 再会して早々に気を失ったミヤビを、ネーヴェは家の中に運び込んだ。

 まさか、聖女と呼ばれる彼女が王子の元から逃げ出して来ようとは。彼らの仲は、悪いようには見えなかったのだが。

 

「ん……」

「目が覚めましたか」

 

 ミヤビは一晩眠っていたが、朝様子を見に行くと、ちょうど目覚めた。

 ネーヴェは傍らのテーブルに食事を置く。

 

「滋養のある薄味ミルクスープと、ライ麦のパン、洋梨のコンポート。どれか食べられるものはありますか」

「なんで、私を助けてくれるの……?」

「あなたが助けを求めたのではありませんか。私は、助けを求める女性の味方ですよ」

 

 学園時代も、密かに下級生の女子生徒の悩み相談に乗ってやっていたものだ。王子の婚約者である権力を有効活用し、当人が望まない縁談を切ってやったのは一度や二度ではない。

 ミヤビは上体を起こし、さじに手を伸ばす。

 一口食べた彼女の瞳に浮かぶ涙を、ネーヴェは見なかったことにした。


「美味しい……」

「しばらく当家でゆっくり休んで、と言いたいところだけど、我がクラヴィーアは北方なので、すぐに冬が来るのです。早く移動しないと、雪道になって動けなくなります」

 

 クラヴィーアの冬は、沈黙の季節だ。

 分厚い雪に阻まれて前にも後ろにも進めない。雪が音を吸うので、静寂が満ち満ちる。

 行き交いは途切れ、人々は家にこもって備蓄食糧を消費する。天気の良い日は狩に行くが、厳しい自然でそれは命掛けの行動でもあった。


「王子から逃げたいなら、フォレスタから出る手配をしますよ」

 

 ネーヴェは自分のために父親が用意していた脱出手段を、ミヤビに使ってやろうと考えていた。


「いいえ……いいえ」

 

 しかしミヤビは、首を横に振る。


「ネーヴェさん、私を召喚した魔術師を倒して下さい。あの魔術師がいる限り、私はどこへも行けないんです」

「ミヤビさん、一つ聞きたいのですが……あなたは聖女ではないのですか?」

 

 言いながら、ネーヴェは答えを予想できていた。

 ミヤビは確かに特別だが、民衆を救うような雰囲気は感じられない。彼女はどちらかというと、救われる側だ。


「私は聖女ではありません……!」

 

 ミヤビの声は震えていた。

 ネーヴェは一つ頷く。やはり、自分の勘は正しかった。

 魔術師は自分の欲のために聖女と偽ってミヤビを召喚し、国王と王子は安易にそれに乗ってしまった。周囲の重臣も王族のやることだからと声を上げず、名誉を失う事を恐れ、王の名の元に行われたという理由を良いことに誘拐しょうかんを正当化している。

 一番可哀想なのはミヤビだ。彼女には何の罪もない。フォレスタの災厄に巻き込まれただけの、哀れな異界の少女。


「ミヤビさん。ここで待っていて下さいますか。私は真実を明らかにし、かの魔術師が裁かれるようにします」

「ネーヴェさん……」

「この国の争乱に招いてしまって申し訳ありません、ミヤビさん。フォレスタ国民として、心から謝罪を」


 ネーヴェは、王都に向かう決意を改めて固める。

 しかし、ミヤビは「大丈夫ですか」と不安そうだ。


「ネーヴェさんは、王女でも何でもない、伯爵令嬢ですよね? 敵は国王と王子様と宰相に、謎の魔術師。国のトップ相手に、権力も腕力も足りないのでは……」

「そうですね。今の私は、王子の婚約者でも聖女でもない、只の女。けれど」


 ネーヴェは譲れない想いを握りしめ、言葉をつむぐ。


「あなたをこんなにボロボロにした、ふざけた王子に平手打ちをしてやらないと、私の気が済まないですわ」


 フォレスタに残るなら、どの道、王子と対決しなければならない。あの男は、わざわざ自分の息の掛かった侍従を付けてモンタルチーノに追放し、ネーヴェが許しを乞うのを待っていた。

 まだ、ネーヴェが自分のものだと勘違いしているのだ。

 その執念をネーヴェは気持ち悪いと思う。区切りを付けて先に進みたいのに、あの馬鹿王子が邪魔なのだ。この際、きっちり縁を切らねばなるまい。


 

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