第43話 次は髪を結わせて下さい

 モンテグロット温泉で一泊した後、ネーヴェとカルメラはクラヴィーア伯爵の元へ、シエロは近くの教会の司祭と共に王都に戻ることになった。

 夜の間、ネーヴェはずっと考えていた。

 自分の中のもやもやした気持ちの正体と、シエロに対する未練について。この国を救いたいのは、ネーヴェだって同じなのに、彼は一人で立ち向かおうとしている。それを放って、自分だけ安全な場所へ、フォレスタの外へ行くのは納得できない。

 そう……中途半端に掃除をして、洗い残しがある状態で作業を終わらせるのは、ネーヴェの主義ではない。


「元気でな、ネーヴェ」

 

 別れを告げるシエロを見返し、ネーヴェは言った。


「シエロ様。お願いがあります」

「なんだ?」

 

 綺麗に髭を剃って別人になったシエロを見て、カルメラが驚愕していたが、見慣れてしまえば何の事もないとネーヴェは思っていた。

 相変わらず、身だしなみに気を使わない彼の、無造作に伸びた髪をキッと睨む。


「次にお会いした時は、髪を結ばせて頂けますか」

 

 そう聞くと、シエロは目を見開いた。

 思いがけないことを聞いたかのようだった。

 ネーヴェは密かに「やはり私ともう会うつもりはなかったのだわ」と確信する。


「次……次か」

 

 父親を説得して、ネーヴェも王都に引き返すつもりだった。

 ふざけた王子ときっちり縁を切り、アイーダと合流して虫の魔物を駆逐する。他人に運命を任せるつもりはない。この国を救うのは、聖女でも天使でもなく、自分だ。

 毅然とした表情で言うネーヴェを見て、シエロは何か悟ったように薄く笑みを浮かべた。


「そうだな。もし次に会うことがあれば、その時は、蝶々結びでも何にでもすればいい」

「お約束されましたね。けして忘れないで下さい」

「忘れるものか。ネーヴェ、期待しても良いのだな」

 

 くすり、と彼は不敵な笑みを浮かべる。

 急に歩みを進め、ネーヴェの前に出ると、身を屈め、顔を寄せてきた。

 軽い口付けが頬をかすめる。


「王都で待っている」

 

 低い美声が耳元をくすぐった。

 ネーヴェが我に返った時には、彼は素早く身をひるがえし、歩き始めている。

 その先では、司祭が馬を用意して待っていた。

 彼は軽く手を振り、馬に飛び乗る。

 去っていく後ろ姿を、ネーヴェは「蝶々結びになどしません!」とむくれて見送った。


「蝶々結びだなんて、きっと髪の結びかたもご存知ないのね」

「いや。比喩だとは思うけど……姫、あの旦那と結婚したいの?」

 

 カルメラは、男の行動の意味を察していた。

 しかし、ネーヴェはきょとんとする。


「結婚? 結婚の話は、当分結構ですわ。それよりも、災厄の原因を突き止めて、プーリアン州からも魔物を駆逐するのです」

 

 シエロのような美形の男が頬にキスしてきたら、普通の女性はそれだけで動悸が止まらなくなることだろう。カルメラは平然とするネーヴェを見て「さすが姫」と感心するのだった。




 シエロと別れたネーヴェは、予定通りクラヴィーアの父親の元へ向かった。山道を登り標高が高くなると、空気が冷たくなる。クラヴィーア伯爵領は、フォレスタで最も早く冬が訪れる地方だ。

 北方砦クラヴィーア。

 山あいの谷にもうけられた石の砦と、その砦に守られるよう位置する山腹の街や村の一帯が、クラヴィーア伯爵の直轄領である。

 秋は、収穫物を求めて蛮族が攻めてくる季節でもあるため、クラヴィーアには屈強な傭兵や騎士がたむろしていた。


「おかえりネーヴェ! しばらく見ないうちに、すっかり大きくなって……」

「お父様も、ご健康そうで何よりです」

 

 娘の帰還を知ったクラヴィーア伯爵ノルドは、街の入り口まで迎えに来ていた。ノルドは小柄で、おとなしい小栗鼠こりすのような雰囲気の男だ。栗色の髪と瞳で、あまりネーヴェと似ていない。ネーヴェは母親似らしい。

 今はいない母親は、遠い北の異国の姫だったという。気の強い彼女は、父ノルドを尻に敷いていたそうだ。


「早速で申し訳ありませんが、お父様、私はフォレスタの外へは行きませんわ。北方領主クラヴィーアの娘として、この国に広がる暗雲を晴らす手伝いをしたいと考えています」

「え?! やっぱりそうなるの?!!」

 

 父ノルドは驚愕し「母親に似て気が強すぎる」と頭を抱えた。


「大丈夫かい? 王子との婚約は破棄されたし、もう民を救うとか気張らなくて良いのだよ。こうなったら国外でも、君を大切にしてくれる嫁ぎ先を見つければいい。探せばきっと見つかる」

「確かにお父様のおっしゃる通りですわ。ですが私、中途半端なままで引き下がりたくありませんの」


 にっこり微笑んで答えると、ノルドは溜息を吐いた。


「頼むから、身の安全だけは確保して欲しい。私はもう心配で、心配で……そうだ、ちょうど君に会いたいと、当家に押しかけてきた客人がいるんだ。先のことを決めるのは、彼らに会ってからでも構わないだろう」

 

 父親は引き伸ばし作戦に出た。

 追撃するのは簡単だが、自分の意見にこだわるのは子供っぽく思われる。ネーヴェは「客人?」と聞きながら、父親と共に街の中を歩き出した。

 領主の館は斜面に立っており、高台から砦が一望できる位置にある。

 坂道に次ぐ坂道を登り切った後、懐かしい家が見えてくる。

 灰色の石造りの無骨な建物だが、ここがネーヴェの育った場所だ。なぜか、シエロを連れて来たかったという考えが頭をよぎった。


「お、姫さん! やっと帰ってきた!」

 

 鉄格子の門を開けると、中庭にいた男が振り返った。

 日焼けした陽気な面差しの男は、商人のアントニオだった。


「アントニオさん! どうしたのですか、こんな僻地に」

「いや、姫さんに会いたいという女の子を保護したから、連れてきたのさ」


 アントニオの後ろから、痩せた黒髪の女性が顔を出す。

 元から華奢な女性だったが、今は青ざめており、触れれば折れそうなはかなさだった。


「ネーヴェさん……」

「あなたは」

 

 聖女ミヤビ。

 驚いたネーヴェがその名前を呼ぶ前に、彼女は「やっと会えた」と呟き、その場に崩れ落ちる。いきなり気を失った彼女に、皆騒然となった。


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