第37話 女の矜持

 翌日も、シエロは州都の教会に用事があるようだった。

 

「お前の話では、州侯サボルが睨みをきかせているということだが、万が一が起きないとも限らない。もし、ぼんくら王子が阿呆なことをして巻き込まれそうになったら、教会を訪ねて、俺に助けを求めろ」

 

 シエロは真面目な顔をして、ネーヴェを見下ろしてくる。

 ネーヴェも真剣な表情で彼を見返した。


「シエロ様……」

「ん?」

たもとがよれておりますわ。それに、せっかくの司祭服にシワが」

 

 綺麗好きなネーヴェは、シエロの服のシワが気になっていた。

 教会で着せられたのだろう、司祭服カズラだが、乱雑に脱ぎ捨てたせいか、昨日より汚れている。葡萄の刺繍入りの肩布も、昨日は無かった折り目が付いていた。


「……」

「水で濡らして、温めた石を載せれば……はい、これで綺麗になりました。行ってらっしゃいませ」


 何故か肩を落としたシエロを、玄関口で見送った。

 旅館は山の中腹にあるため、シエロは徒歩で坂道を下っていく。

 入れ替わるように、馬と下男を連れた身なりの良い男が、坂道を登ってくるのが見えた。


「あれは……」

 

 その男は、旅館の玄関に立つと、ネーヴェを見て不敵な笑みを浮かべる。


「私は宿泊客として来たのですよ、氷薔薇姫。この宿は、客を玄関に立たせたままにするのですか」

 

 目の下に濃いくまを作った、痩せぎみの男だった。

 不健康そうな、その顔を忘れるはずがない。


「失礼いたしました、宰相ラニエリ様。部屋にご案内いたしますわ」

 

 驚きから醒めたネーヴェは、冷静な表情を作り、ラニエリと向かい合う。

 秋の風が、二人の間に落ち葉を吹き散らした。

 



 今は素泊まりの宿だが、宰相ラニエリの登場とあっては、もてなさない訳にはいくまい。

 ネーヴェは宿の下働きに命じ、ラニエリを最上の部屋に案内させた。その間に厨房で葡萄の実を皿に盛る。きっとラニエリはネーヴェと話をしに来たのだ。こちらにやましいところなど無いと証明するためにも、正々堂々話し合うべきだろう。

 葡萄の実を盛った皿を手に、ネーヴェは部屋の扉を叩く。


「おっと。氷薔薇姫みずから給仕とは、豪勢ですね」

 

 ラニエリは椅子に座り、ネーヴェが持ってきた葡萄の実をつまんだ。


「よく熟れた葡萄の実ですね。リグリスは実に豊かだ。それを導いたのは、ネーヴェ、あなたでしょう」

 

 ネーヴェは静かに机の前に佇む。

 後ろには、護衛のカルメラが控えている。ラニエリは客のつもりのようなので、危険は無さそうだが、念のためだ。


「ラニエリ様は、エミリオ殿下のお味方であれば、聖女の奇跡だと仰るかと思いましたわ」

 

 王子は、リグリスの恵みは聖女の奇跡だと思っているらしい。

 どのくらいの人々が、それを信じているのだろう。


「はっ。私が信じるのは、根拠のある出来事と数字だけです。殿下とは違う」

 

 ネーヴェの言葉を、ラニエリは笑い飛ばす。

 さすが敏腕な宰相として有名なラニエリだ。

 王子の派閥がまがりなりにも強い力を持っているのは、この男が実務を行っているからかもしれない。


「氷薔薇姫、あなたがリグリスをどうやって救ったか教えて頂きたい。そうすれば、私はあなたを殿下から守るでしょう」

 

 それは一見、ネーヴェの立場をおもんぱかるような発言だった。

 しかし、ネーヴェは王子の婚約者として、陰謀渦巻く宮廷の闇を垣間見る機会があった。さらに言えば、実家が貧しく働いた経験があるため、世の中が善人ばかりでないと知っている。


「ラニエリ様は、リグリスを救ったのは私とご存知なのに、どうして殿下をいさめないのでしょうか。聖女の奇跡だという流言を、そのままにしていますね」

 

 ネーヴェは氷薔薇姫と呼ばれる所以ゆえんである、冷厳とした空気をまとわせながら、淡々と指摘する。

 

「……やはり、あなたはさとい。私は、知的な女性は嫌いではありません」

 

 葡萄を指先で転がしながら、ラニエリは陰気な笑みを浮かべた。


「正直、私はどちらでも良いのです。聖女の奇跡でも、氷薔薇姫の仕業でも、フォレスタの税収が増えれば。結果だけが全てです。殿下は今までどおり、愚かなままでいた方が都合が良い」


 やはり、か。

 ネーヴェは内心だけで、溜め息を吐く。ラニエリは、ネーヴェの手柄を聖女の奇跡に仕立てあげる気満々だ。


「氷薔薇姫、私と取引をしませんか」

「取引?」

「あなたを私の妻にしましょう」

 

 男の言葉に、ネーヴェは無表情のまま、片眉を吊り上げる。

 後ろのカルメラが怒気を発するのが分かった。彼女は同じ女性だけに、許せないのだろう。


「私の妻になれば、殿下をとりなし、王家への反逆罪は無かったことにします。夫婦に隠し事は無いでしょう。私にリグリスを救った方法を教えて下さい。共にフォレスタを救うのです」


 ネーヴェは瞳を閉じて考える。

 世の中の多くの女性は、ひょっとしたらラニエリの提案に乗るかもしれない。家のために、国のためにとつぐのは、貴族の女性にとって普通のことだ。男は搾取しているという自覚はなく、女も奪われているとは感じていない。

 尽くされるのが当然の立場にある者は、誰が食事を作っているか、その材料は誰が育てているか、疑問に思わない者が少なくない。

 当たり前の幸せの裏には、必ず誰かの献身がある。

 

「……必要ありませんわ」

「何?」

「私には、ラニエリ様は必要ありませんわ」

 

 瞳を開き、ネーヴェははっきりと告げた。


「ラニエリ様は、もし私と立場が対等でしたら、そのような提案をしたでしょうか。あなたは、私に手を差しのべてやろうと考えておられる。それは、率直に言って侮蔑に他なりませんわ」

「氷薔薇姫……!」

「賢いあなた様なら、私が教えずとも、プーリアン州を救う方法を思い付くでしょう。ああ、でもラニエリ様は色事が苦手な様子」

 

 予想外の反抗に頬を引きつらせているラニエリに向かい、冷たく微笑みかける。


「女の扱いが苦手なラニエリ様に助言いたしましょう。妻にしたいと望む女性相手なら、まず愛をささやくことです。万の黄金と豊かな生活を与えたとしても、一片の想いには勝てぬものですわ」

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