第34話 侯爵の不満

 フォレスタでは秋になると、各地で収穫祭サグラが催される。その土地の名産品を扱う屋台が立ち並び、色とりどりの旗が掲げられ、賑やかな楽奏が街中に響き渡る。

 

「姫様!」

「シェーマン、無事で良かったですわ!」

 

 州都サボルガの街中で、ネーヴェはシェーマンと再会した。

 シェーマンは、王子に付けられた若い侍従の男だ。モンタルチーノに残って、ネーヴェが旅立ったのを誤魔化す偽装工作に従事していたが、もう誤魔化しても無駄だろうと、リグリス州に呼び寄せたのだ。

 王子はようやくネーヴェの失踪に気付いたらしい。役人に引っ立てられそうになったシェーマンをカルメラが保護し、ここまで連れてきた。ひとまずネーヴェともども、友人のアイーダにかくまってもらう予定である。


「はい、これシエロさんの畑の葡萄です。モンタルチーノでも、収穫祭で大盛り上がりですよ」

「ありがとうございます」

 

 シェーマンが差し出した葡萄は濃い紫に色づき、豊潤な香りを放っている。無事に葡萄を収穫したと聞き、ネーヴェは頬を緩ませる。

 葡萄を抱えてその香りを胸いっぱいに吸い込むと、幸福な気持ちになった。

 しかし、シェーマンの次の言葉に、浮かれた気持ちがしぼむ。


「王子は、聖女を伴ってリグリス州の視察にこられるそうです」

「そうですか」


 視察に行くなら南部のプーリアン州だろうと、ネーヴェは眉をひそめる。プーリアンは、魔物の虫によって収穫物が激減したと聞く。貝殻の粉をフォレスタ全土に配れれば良かったが、救えたのはリグリス州をはじめとする一部の地域だけだ。

 シェーマンは真剣な表情で言う。


「姫様、いざとなったら国外脱出もお考え下さい」

「シェーマンは、それで良いの?」

「はい。あなたは、たくさんの民を救える方だ。ここで命を落として良い方ではありません」

 

 王子の出方次第では、国外脱出も検討しなければならないだろう。

 しかし、ネーヴェはできるなら、フォレスタ国内に留まりたかった。


「ありがとう、シェーマン。でも私はまだ、自分のオリーブ畑を持つ夢を叶えてないのです。フォレスタ国民全員がお肌すべすべになる石鹸を作るまで、オリーブ畑をたがやさなければなりません……!」

「姫様は相変わらず綺麗好きですね」

 

 待ち合わせ場所の噴水広場で立ったまま話していると、城の侍女らしき女性が、こちらに歩いてきた。


「ご歓談中すみません。サボル侯爵様が、氷薔薇姫とお会いしたいと仰っています」

 

 アイーダの父だ。

 ネーヴェは緊張した。娘のアイーダはネーヴェに友好的だが、父親が同じとは限らない。




 サボル侯オットーは、変人で有名である。

 客であるネーヴェが訪れたにも関わらず、彼は客間に設置した巨大な鏡の前で、自慢の髭の手入れに余念が無かった。


「おっほん。ようこそ氷薔薇姫、私がサボル侯オットー……ああっ、眩しい!」


 振り返って挨拶をくれるが、途中で顔を覆って叫ぶ。

 日光が鏡に反射して、サボル侯を照らしている。

 執事が慌てて指示した。


「皆のもの、カーテンを閉めよ!」

 

 侯爵は娘と同じく黒い服が好きなので、鏡で集約された太陽光で火事にならないか、ネーヴェは気が気では無い。

 侍女が駆け回ってカーテンを閉めると、やっと落ち着いて話せるようになる。


「ふぅ……氷薔薇姫、リグリス州への尽力に感謝する。あなたのおかげで、多くの民が救われたよ」

 

 オットーは開口一番、礼を言った。

 密かに緊張していたネーヴェは、それで胸を撫で下ろす。王家への反逆に加担するつもりはないと、追い出されたり捕らえられたりすることも想定し、護衛にカルメラを伴って来たのだが、要らぬ心配だったようだ。


「いえ。アイーダ様をはじめ、沢山の方に協力して頂きました」

「中心にあなたがいたことは事実だろう。どうだ、氷薔薇姫、国主になってみるつもりはないか?」

 

 オットーの台詞の後半が理解できなくて、ネーヴェは思わず「はい?」と聞き返しそうになった。


「何を言っておられるのですか」

「ふふ、冗談だと思われるだろう。私自身も、驚いているよ。まさか、エミリオ王子があれほど愚かとは……」

  

 髭男オットーの暗い笑い声が客間に響き渡り、ネーヴェは無言で椅子を引いた。


「王子がどうしたのでしょうか」

「あの男、リグリス州の奇跡は聖女の力だと言って、歓待しろと押し掛けて来たのだ! 阿呆か?! 阿呆なのか?!!」

「まあ……」

 

 ネーヴェは、オットーの憤怒の理由が分かり、空いた口がふさがらない。

 リグリス州の民や、領主のオットーからすれば、自分たちの力で解決したのに、何やら勝手に聖女の成果にされているのだ。憤懣やる方ないだろう。


「しかも、ふんぞり返って氷薔薇姫を捕縛して来いと、私に命じた! あまりにも腹が立ったので、承るがその代わり私の領地で好き勝手するなと、釘を刺しておいたぞ」

「ありがとうございます」 

 

 エミリオ王子は気付いているか分からないが、それは王子側への牽制に他ならない。サボル侯の家や領地に押し入るな、ということは、領主の私有地で旅館経営しているネーヴェ達には、絶対に手が出せないということだ。


「あの王子が国王になるなど、受け入れられん!!!」


 侯爵が不敬罪になりそうなことを大声で宣言したので、ネーヴェは日光を遮るカーテンの厚さが、この会話も遮ってくれれば良いと思わざるをえなかった。


「もともと王家などというものは、この地に存在しなかった。天使が選んだ者が王、ただそれだけがルールだ。帝国では、公爵以上の貴族から天使が皇帝を選び、下手に権力が集中しないようにしているらしい。フォレスタも同じようにすれば良いのだ」

「画期的なお考えですが……」

 

 降って沸いた話に、ネーヴェは困惑する。

 王子の行動があまりにも駄目過ぎて、サボル侯は内紛を起こそうとしている。虫の魔物から始まった災厄が、思わぬところに飛び火した形だ。


「リグリス州以外のプーリアン州などは、収穫が激減し、民は飢えていると聞きます。今は争っている場合ではないのでは」

「氷薔薇姫、その意見は正しいが、全ての人があなたほど理性的とは限らない。むしろ、飢えに瀕し、追い詰められている人間ほど、過激な手段に出るものだ」

 

 サボル侯オットーは、当初とは打って変わって真剣な表情で、重みのある言葉を放つ。

 

「私などは穏当な方だろうよ」

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