第21話 清掃開始

 ネーヴェの突然の申し出に驚いたフローラだが、断る理由も特にないと、掃除を歓迎してくれた。後ろのシエロとカルメラは、諦めたようだ。何も言わないが、ネーヴェの好きなようにして良いという雰囲気だった。

 その日は宿屋に泊まり、翌日、三人は再び教会におもむいた。


「掃除をしてくださると聞きました。大変ありがたく思います。私とフローラだけでは手が回らなかったのですよ。私はサンレモ教会の司祭エストと申します」

 

 教会には、白い司祭服を着た初老の男性が待っていた。

 穏やかな佇まいで頭髪に白髪が混じった、背の高い男だ。ものを教えるのが得意そうな人だと、ネーヴェは思う。先生と呼ばれていそうだ。

 エストは、ネーヴェ達を見回し、シエロに視線を止めた。


「天恵印を拝見しても?」

「構わない」

 

 シエロが懐から天恵印を出して、エストに手渡す。

 天恵印は、どこの教会の誰が授けたか、教会内の身分が分かるようになっていると、聞いたことがある。

 エストは、天恵印を丁寧になぞり、ふっと驚いた顔になった。

 続いて、無表情になる。

 まるで何かに驚き、その驚きを外に出してはならないと自制したような、表情の変化だった。


「お返しいたします」

 

 エストは恭しい仕草で、天恵印をシエロに返す。わずかに頭を下げ、敬意を表した。対するシエロは、ぶっきらぼうに「ああ」と頷く。


「それでは、清掃をいたしましょうか。私は水を汲んできます」

「掃除用具を取って参りますわ」

 

 エストがバケツを、フローラが教会の奥から、モップや雑巾を持ってくる。

 どうやらエストもフローラも掃除に加わるらしい。

 こうして、皆で教会の大掃除をすることになった。


「フローラ様、洗剤はないのですか?」

 

 用意された掃除用具が、水と雑巾だけだったので、ネーヴェは念のため聞いた。


「灰汁があれば、汚れがすっきり落とせるのですが」

「そうなのですね! 私は掃除について教わることなく修道女になったので、お恥ずかしながらそういったテクニックは、あまり」


 フローラは、掃除の仕方を知らなかったようだ。

 道理で、教会が汚れているはずである。

 どんなに敬虔でよく働いたとしても、ただ水に濡らした雑巾で拭っただけでは、落ちない汚れもあるのだ。


「ああ、それで皆さま、海藻を燃やした灰を水に浸されていたのですね!」

 

 ネーヴェの説明に、フローラは謎が解けたと喜んでいる。

 彼女の言葉を聞き、ネーヴェは気付いた。


「海藻、ですか? オセアーノ帝国では、海藻の灰を使うのですか?!」

「え、ええ」

 

 急に喜色を表し、飛び付いてきたネーヴェに、フローラは困惑しながら頷いた。


「さっそく近隣の家に行って、分けてもらいましょう」


 教会は、付近の住民が交流する場所でもある。修道女が頼みに行けば、よほどおかしなことでもない限り、雑貨や食品を分けてもらえるものだ。

 近所の漁師の家に行き、教会の掃除に使うと言うと、快く灰汁を分けてもらえた。

 ネーヴェは、ちゃっかりフローラに付き添い、横から口を出す。

 

「古く酸化した酒か、レモン汁はありませんか?」

ビネガーだね、あるよ」

 

 漁師の妻らしき女性は、建物の中に引っ込んで、調味料が入った壺を持ってくる。

 フローラはきょとんとした。


ビネガーやレモン汁を、掃除に使うのですか?」

「使うどころか、必須の品物ですわ」

 

 ネーヴェは日除けの布の下で、不敵な笑みを浮かべた。

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