第20話 汚れたものを見ると拭きたくなる性分でして

「なぜ隠れる?」

「シエロ様も隠れているじゃありませんか」

「姫、隠れるなら静かにね」

 

 プロポーズ現場に遭遇したネーヴェ達は、取り急ぎ木の陰に隠れた。世の中には、用事があるからといって割り込んではいけない場面がある。


「私は、天使様に独身を誓った修道女です」

「家の事情だったと知っている。隠さなくて良い」

「……修道女でなくても、今の輝かしいあなた様とは、まったく釣り合いが取れません」

 

 修道女は、プロポーズを断っている。

 しかし、男は諦めたくない様子だった。


「私には時間が無いんだ、フローラ。王家から見合いを勧められている。いつまでも、断りきれるものではない」

「リナルド様……」

「また会いに来る」


 リナルドとやらは、きびすを返して、教会を去る。

 すれ違う時に顔を見たが、なかなかの美青年だ。目鼻立ちは整っており、スレンダーな体格をしている。枯葉琥珀バーントアンバーの髪と瞳は、青年の落ち着いた理知的な雰囲気とよく合っていた。何より、清潔感があるのがネーヴェにとって好印象だ。


「(清潔で)良さそうな方ですね」

「いったい誰と比べている? 俺では無いだろうな?」

「……」

 

 シエロにじろりと睨まれ、ネーヴェは無表情で視線を逸らした。彼は眉間にシワを寄せたが「まあいい」と呟き、身を隠すのは止めて、修道女の前に出ていく。

 気だるげな仕草で、細い鎖の先に提げた天恵印を見せた。


「いと高き天の恵みに感謝を」

「……天の恵みに感謝を」

 

 教会関係者同士に特有の挨拶だ。

 先ほどまで動揺し、ぼんやりしていた修道女は、我に返ったようにシエロに挨拶を返す。

 シエロが丁寧だったのはそこまでだった。彼は大雑把な口調に戻り、面倒くさそうに後ろのネーヴェを紹介する。


「この地の司祭に相談したいことがある……後ろの妻がな」

 

 説明は、ネーヴェからするらしい。

 ネーヴェは進み出て、修道女に挨拶をする。


「突然すみません。お願いしたいことがあります」

「いえ、天使様は、迷える子らを導くよう説いておられます。どうぞ中にお入りを。詳しいお話を聞かせてください」

 

 修道女フローラは、慈愛に満ちた穏やかな笑みを浮かべて答える。

 三人は彼女の案内に従い、教会に足を踏み入れた。

 



 天使信仰では、鳥が天使の象徴だ。天恵印もそうだが、至るところに鳥のモチーフが使われる。

 教会自体も、鳥が翼を広げたような十字の建築をする場合が多く、交差する通路は翼廊とも呼ばれる。この教会も小規模だが、例に漏れず鳥をモチーフにした建築で、柱には可愛らしい小鳥の彫刻もあった。光を取り込む窓はステンドグラスを多用した薔薇窓で、淡い陽光は建物奥の壁際に立つ天使像を淡く照らしだす。

 その天使像だが……妙に汚れているような。

 真っ白なはずの像の表面が茶色くなっており、祭壇の葡萄酒を入れる聖杯カリスや、金属の燭台は錆びて真っ黒になっている。


「すみません……掃除が行き届いていなくて」

 

 フローラがネーヴェの視線の先を追い、申し訳なさそうに謝罪した。

 汚れた天使像を見るうちに、ネーヴェは掃除したくて、うずうずした。彼女は綺麗好きだが、綺麗なものよりも、実は綺麗にする過程の方が好きである。

 しつこい汚れが落ちて、ピカピカになった時の爽快感と言ったら……


「私達は、慈悲深い天使様にお願いに参りました。ある災厄から人々を救うため、大量の貝殻が必要なのです」

 

 ネーヴェは内心の葛藤を覆い隠し、丁寧かつ大胆に話を進めた。

 突然、謎のお願いをされたフローラは困惑している。

 ただ、彼女はネーヴェの真摯な口調に、冗談ではないと感じたようだ。笑い飛ばしたり、誤魔化したりしなかった。


「何か深い事情がおありなのですね。私では真偽の判断がつきかねます。この教会の司祭エスト様に相談してみますね。うまくいけば司祭様から直接、天使様にお願いしてもらえるかもしれません」

「直接? 可能なのですか?」


 今度はネーヴェが驚く番だった。

 一般人の前にけして姿を表さない、伝説の天使が、そうほいほい人間の嘆願を受けるとは考えられないのだが。

 それに、どうやらオセアーノ帝国には、フォレスタとは違う天使がいるらしい。天使というのは一人ではないのだろうか。


「ふふふ。旅のお方、天使様はいつだって人間を見守ってくださっています」

 

 フローラはころころ笑い、教会の教えをく。


「天使様は、本当に困っている人を、けっして見捨てません。天の恵みは、大地を潤す雨や、氷を溶かす春の陽光のように、全ての人に希望を与えます」

「天の恵みに感謝を。そうして頂けると、大変助かります」

 

 ネーヴェは、ひとまず信じて待ってみることにした。

 どうせ、今日明日中に解決するような問題ではないのだ。それこそ、信じて待つしかない時もある。

 しかし、思っていた以上に、話はすんなりまとまった。

 カルメラを酒場に行かせてあげられるかもしれないと思いつつ、どうしても我慢できなくて、口を開く。


「あともう一つ、良いでしょうか」

「はい、なんでしょう?」

 

 フローラは、にこにこ笑って待っている。


「明日、教会の掃除を、させてもらってもよろしいでしょうか」

「…………え?」


 ネーヴェの提案に、フローラが呆気にとられた顔になる。

 背後でシエロが「なん、だと?」と呻き、カルメラが「姫の悪い癖が出た!」と叫んで天を仰いだ。



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