第19話 プロポーズ

 アントニオは、オセアーノ帝国の領主のもとへ、氷を搬入しに行った。ネーヴェはその間、貝殻の仕入れ先を探すつもりである。


「こっちだ」

「貝殻を買い付けに来たことがあるのですか?」

「無い。が、お前より土地勘はある」

 

 シエロが先頭に立って歩く。

 ネーヴェと護衛のカルメラ、そしてシエロの三人は、アントニオの一行と別れて、海辺の街サンレモに向かった。

 

「……!」

 

 峠に差し掛かると、遠く街並みが眺望できた。真っ青な海と、オレンジ色の屋根が続く街並みの対比が美しい。ネーヴェは思わず立ち止まり、その景色を見つめた。

 陽光を受けた海は、空よりも深い青で吸い込まれるように複雑な色合いだ。白い泡が花のように波を縁取って、岸辺に打ち寄せている。塩気を含んだ風が、ネーヴェの銀髪を巻き上げた。

 海を見るのは初めてではない。幼い頃に、父に連れられて旅行で海を見たことがある。貝殻は確か、海辺の砂浜で拾えたような。


「フォレスタ全土、とはいきませんが、少なくともリグリス州の農家にだけでも配れるくらい、大量の貝殻があるのでしょうか」

 

 ネーヴェは、肝心なことに気付いた。

 貝殻を売るような商売は聞いたことがない。つまり、大量に仕入れられるような場所が元から無い訳で。


「そいつは、ここの天使様次第だな」

 

 シエロが振り返って答える。

 その言葉の意味が分からなくて、ネーヴェは聞き返した。


「どういうことですか?」

「たまに、大量の貝殻が浜に打ち寄せられることがある。貝殻も畑の作物も、天の恵み、すなわち天使の気まぐれだ」

「……シエロ様。この地の教会に案内していただけますか?」

 

 ネーヴェは黙考した後、シエロに頼んだ。

 大量の貝殻を手に入れるには、人力だけでなく、天運も必要である。

 依頼を受けたシエロは、片眉を上げた。


「お前、俺の事情は聞かんのか? 俺が本当に司祭かどうか」

「あなたがもし尊い身分だったとして、田舎で畑を耕すのは余程の事情があります。軽々しく聞きませんわ」

「俺は、普通に葡萄栽培しているだけの農家だぞ」

「それなら話はもっと簡単です。氷薔薇姫の名において、単なる農民のあなたに協力を命じます」


 淡々と返すと、シエロは破顔した。


「なるほど、面白い。お前の言うことはもっともだ。案内しよう」

 

 シエロは軽い足取りで坂道を下っていく。

 ネーヴェはカルメラと顔を見合せ、後を追った。




 街に近付くと、意外に人が多い。

 夕方になり気温が下がったからか、往来は沢山の人々で賑わっている。彼らの服装を見て、ネーヴェは貴族がいるのに気付いた。

 暑いからかシンプルかつ開放的な服装だが、よく見ると絹などの高級な素材で出来た衣服で、胸元や裾に宝石の飾りが付いている。彼らは護衛らしい男を連れて集団で行動していた。


「夏になると、オセアーノ人はバカンスで海に訪れる」

 

 ネーヴェの視線の先を察したのか、シエロが説明してくれた。


「バカンスですって?」

「フォレスタには、あまりない習慣かもしれないな。夏の一番暑い期間、貴族や王族は海を見ながら休息を取る。このサンレモにも、王族が来ている可能性がある」

 

 海辺の街には、貴族の別荘や、貴人が泊まる宿がいくつもあるという。

 それで、この賑わい。

 ネーヴェは、どこかお祭りのような雰囲気の街を、興味深く観察する。

 お忍びの貴族らしき者が普通に大通りを歩いているので、日除けの麻布を目深にかぶったネーヴェは悪目立ちしていない。


「すぐに酒場に行けば、新鮮な海鮮が食えるが、お前は教会に行きたいんだろう」


 シエロが言うと、なぜかカルメラが残念そうに肩を落とした。


「ああ~、これから酒場に行って、キンキンに冷えたレモンチェッロを飲みたい!」

「レモンチェッロ?」

「レモンの果実酒だ。この辺りの酒場では、アントニオのような氷売りから氷を仕入れて、冷やした酒を貴人向けに販売する。金さえあれば、冷やした酒が飲める。俺もこの件だけは、カルメラに同感だ」

 

 確かに、暑い中ずっと歩いてきたので、冷やした飲み物はまたとないご馳走だろう。

 ネーヴェは目的を優先して、カルメラへの気遣いを怠った自分を恥じた。


「では、酒場に寄ってから教会に行きますか?」


 ネーヴェの提案に、しかしシエロは「いいや」と首を横に振る。


「教会は早く閉まる。先に教会に寄り、その後は今日のねぐらを確保すべきだろう」

「シエロの旦那の言う通りだよ。姫、私のことは気にしないで。レモンチェッロは明日飲めば良い」

 

 カルメラもそう言ったので、三人は大通りを外れて海沿いの道を歩いた。

 賑わっている街から少し離れた丘の上に、古びた教会が建っている。なだらかな坂道を登ると、目的地はすぐそこだった。


「昔と同じように罵ってはくれないのか。フローラ」

「……」

 

 教会の前で、男と女が佇み、何か深刻な様子で話し込んでいる。

 男は貴族らしく身なりの良い格好で、女は修道女らしい質素な黒いワンピース姿だ。

 取り込み中だろうか。

 ネーヴェ達は、坂の上に到達する前に、足を止める。

 深刻そうな男女は、ネーヴェ達に全く気付いていない。

 それどころか。

 

「私と結婚して欲しい!」

 

 男はそう言ってひざまずき、いきなりプロポーズした。

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