第22話 何でも綺麗にしてみせますわ

 砂ぼこりに汚れた絨毯や、テーブルランナー、細かな調度品などを、灰汁に漬けて洗い、外で乾かす。

 錆びて黒ずんだ真鍮の聖杯カリスは、ビネガーを付けた布で磨くと、生まれ変わったかのように元の輝きを取り返した。

 ネーヴェは手早く作業をこなしていく。

 みるみる間に教会はピカピカになり、気のせいか、室内の空気さえ澄んでいるように感じる有り様だった。


「すごい! ネーヴェさんは凄いですわ!」

 

 フローラは少女のように興奮して喜んだので、ネーヴェは面映おもはゆい心地になる。


「いえ、このようなことは、掃除をする下働きなら知っていることですわ。失礼ですが、フローラ様は貴族出身とお見受けします」

「ええ……」

 

 貴族の娘は、結婚するまで純潔を保つため、修道女になることがある。

 ネーヴェが指摘すると、フローラは躊躇ためらいながら、頷いた。


「ですが、私は地味でパッとしない女なので、今さら貴族とは名乗れないです」

「えいっ」

 

 もじもじするフローラのベールを、ネーヴェは勢いよく持ち上げた。

 仰天する彼女の頬に両手を添え、まじまと見つめる。

 フローラは、蜂蜜のような金髪と、湖水のような碧眼の、整った目鼻立ちをした女性だった。素材は悪くない。化粧次第だと、ネーヴェは思う。

 

「あの……あなたは」

 

 視線があったフローラは、ネーヴェのベールの下に隠された美貌に気付き、息を飲む。


「化粧をしてみませんか? 装いは人の心を変えるものです」

 

 男性のプロポーズを断った理由が、自分は地味だから、なら残念過ぎると、ネーヴェは思う。


「失礼ながら、昨日、通りがかりにお話が聞こえました。もしお断りする理由が、あなたが勇気を持てない、なら、お相手の男性が気の毒ですわ」

「……」

「差し出がましいことを申しましたね」

 

 友人でもない、偶然出会ったばかりの女性からの助言にしては、踏み入り過ぎている。ネーヴェは、これ以上はお節介だと自重した。

 しかし、フローラは何か響くものがあったようで、顔を上げる。


「いえ、もっともだと思います。ネーヴェさん、私は化粧が苦手で……教えて頂けませんか」

 

 二人の女性は、見つめあい、手を取り合う。


「喜んで」

 

 遠くで様子を見守っているシエロが「貝殻はもういいのか」と呟き、カルメラは「黙ってな」と一喝する。

 司祭エストは「ほっほっほ」と微笑ましそうに笑った。




「一日で、ここまで綺麗になるとは! ネーヴェさんは素晴らしいですな。まるで教会建立当時まで時を巻き戻したようではありませんか!」

 

 司祭エストは手放しで賞賛する。

 壁や長椅子に積もった埃を払い、窓ガラスは全て拭いた。床に敷かれた深紅の絨毯は洗濯したので色鮮やかになり、葡萄の蔦の模様がくっきり浮かび上がる。祭壇の聖杯カリスは白銀に輝き、清掃された建物内部を見渡す天使像は、真っ白で気持ち良さそうに見えた。


「ありがとうございました」

 

 エストとフローラは本当に嬉しそうだった。

 重ね重ね感謝を受け、三人は教会を後にした。


「明日は、フローラさんに化粧を教える予定です。楽しみですわね」

「本題を見失っていないか……?」

 

 シエロが指摘したが、ネーヴェは教会を綺麗にできて、とても満足していた。

 一日がかりで教会の清掃を終えた三人は、ご褒美とばかり、酒場におもむいた。

 

「くぅ~~っ、新鮮な海の幸と、キンッキンに冷えたレモンチェッロ! 一仕事終えた後には、たまんないね!」

 

 念願のレモンチェッロで乾杯できて、カルメラは上機嫌だ。卓上に並ぶのは、酒蒸しした貝に焼き海老、塩漬けした魚とレモン汁を絡めたパスタ。カリカリに焼いたバケットと、温かいトマトスープ。

 乱雑な見た目のわりに上品な仕草で食べるシエロを眺めながら、ネーヴェも料理に舌鼓を打つ。


「リナルド!」

 

 酒場の喧騒を割いて、誰かが大きな声で叫んだ。

 聞き覚えのある名前に、ネーヴェの視線は自然とそのテーブルに引き寄せられた。

 リナルドは、例のプロポーズしていた男性の名前だ。

 酒場に入ってきた男が、リナルドのいるテーブルに近付いていく。


「聞いたぞ。母上の体調が悪いそうだな」

「ああ。予定を早めて、今夜にでもサンレモをつ。突然、呼び出して済まないな」

「気にするなよ。俺とお前の仲じゃないか」

 

 どうやら友人同士、酒場で待ち合わせをしていたらしい。

 意図せずとはいえ会話を聞いてしまったネーヴェは呆然とした。


「そんな……フローラ様の化粧が意味なくなるではないですか?!」

 

 フローラは男に見せるために化粧すると言っていないが、まったくその気が無い訳ではないだろう。がっかりする姿が目に浮かぶようだ。

 ネーヴェにとっては他人事だが、化粧を教えるからには、何かしら役立てて欲しかった。


「リナルドという奴の出発を遅らせれば良いのか?」

 

 シエロが何でもないように言った。


「できるのですか?!」

「できる……が、知り合いに頭を下げる必要がある。この俺に頭を下げさせるんだ。相応の代償が必要だな」

 

 レモンチェッロの入った器を片手で揺らしながら、シエロは片頬に面白がっているような笑みを浮かべた。

 ネーヴェは姿勢をただして、彼と向かい合う。


「お願いしますわ。代わりに欲しいものを何でも仰ってください」

 

 カルメラが「何でもって、姫!」とたしなめるが、ネーヴェは静かに彼の返答を待つ。富も名声も要らないと言うシエロが、何を欲しがるが、興味があった。

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