第15話 挑発に乗ってはいけません

「遅れてすまなかったね。行きに天気が悪くて、着くのが遅れたんだ」

 

 カルメラは、合流が遅れた理由を、そう説明した。


「私が来たんだ。もう大丈夫だよ、姫」

「カルメラ……」

「今まで大変だったね。この国の王子は、クソ野郎だ。あたしが男だったら、姫を一生大切にするのに、あの野郎ときたら」


 後半、彼女は傭兵らしく下品な言葉で王子を罵ったが、ネーヴェは聞かなかったことにした。

 カルメラは自分の胸を叩いて宣言する。


「姫、姫が望むなら、あたしがどこへでも連れてってやる。世界の果てでもな!」

「それは頼もしいですわ」

 

 王子に表立って逆らえば、父である伯爵に危害が及ぶ。

 しかし、いざとなれば、カルメラに頼って国外脱出も、考えた方が良いかもしれない。

 もっとも、王子の命じた謹慎が、ネーヴェにとっては罰にも何にもなっていないので、このままでもネーヴェはあまり困らないのだが。

 

「フォレスタを出ていくとしても、災厄がどうなるか見届けてからにしたいのです。私の判断で、避難させた民の行く末が気になりますわ」

 

 ネーヴェが淡々と言うと、カルメラは目を見開いた。


「姫は、やっぱり姫だね……分かった。あんたが納得いくまで付き合うよ」

「よろしくお願いします」

「それで、氷売りを紹介してくれた男ってのは、どこのどいつなんだ」

「ええと……」


 どうしよう。夫役を頼んだと言うと、カルメラは怒りそうだ。

 話していると、ちょうどシエロが現れた。


「おはよう。よく眠れたようだな……ネーヴェ」

 

 最後の台詞には、どこか甘い響きがあった。あからさまに馴れ馴れしくもないのだが、分かる人には分かる、そんな響き。唐突に呼び捨てにされ、何故かネーヴェは心臓が高鳴った。

 どうしてだろう、嫌な気持ちにはならなかった。

 

「お前っ、姫を呼び捨てにするなんて!」

 

 カルメラが眉を逆立てて怒る。


「はっ……仮にも妻の名前を呼んで、何が悪い」

「妻だって?!」

 

 シエロが挑発するように言った。

 それをまともに受けて、カルメラが戦慄わなないている。

 これは間に入って仲裁した方が良さそうだ。


「落ち着いてください、カルメラ。これには訳があるのです」


 夫役を頼んだのだと説明すると、カルメラは不満げながら、納得してくれた。


「姫の決めたことなら、反対しない。けど、こいつは誰だい?」

 

 ネーヴェも、それが気になっている。

 一般人とは思えないのだが、王族貴族で該当しそうな人物はいない。王子の婚約者としてネーヴェは、社交界に出て主な貴人と顔合わせしているのだが、シエロに似た者はいなかった。

 だいたい王族や高位貴族が、わざわざこのような辺境に来て葡萄畑を作る意味がない。

 それこそ、ネーヴェのように、謹慎しているならともかく。

 ただ、出自が分からなくても、シエロがネーヴェの敵でないことだけは、確かだった。

 

「この方は、味方ですわ。カルメラは、私の人を見る目を疑うのですか?」


 ネーヴェは腕を上げ、二人のいさかいを制する。

 そこまで言うのならと、カルメラはほこを収めた。


「疑って悪かったよ、シエロさん。ここまで姫を守ってくれて感謝する。後は、あたしに任せてくれ」

「ネーヴェを大切に想っているからだろう。お前の姫は、お前のような者に慕われて、幸せだな」

 

 シエロがそう言ったので、カルメラは「分かってるじゃないか」と上機嫌になった。

 丸く収まって安堵したネーヴェだが、シエロの無精髭に覆われた口元に笑みが浮かんでいるのを見て、さてはこの男、わざとカルメラをからかったなと気付いた。

 いつか、その無精髭を剥ぎ取って、ぎゃふんと言わせてやりたいものだ。

 こうしてカルメラをくわえた一行は、山道を歩いてリグリス州を目指すことになった。

 ネーヴェはカルメラに足に出来た豆の手当てをしてもらい、遅れまいと歩く。初日よりも、歩くのに慣れてきた。

 シエロが、先頭のアントニオに声を掛けている。

 

「今日は夕方に雨が降る。寄り道せずに、リグリスに向かった方が良い」

「ありがとうよ。シエロの旦那の天気予報は、当たるからなぁ」

「リグリスへは道を下っていくだけだから、そう厳しい行程にはならんだろう」 

 

 フォレスタは標高の高い地域に位置する国で、周囲を険しい山脈に囲まれている。

 海際のオセアーノ帝国へ行くには、山道をひたすら下っていけばいい。

 行きは良いけど帰りは……とネーヴェは考え、だからオセアーノ帝国から侵略しにくいのかもしれないと思った。オセアーノからフォレスタは、坂道を登っていかなければならない。想像するだけでも、大変そうだ。

 

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