第13話 偽装夫婦の初夜
氷売りの商隊は、護衛の傭兵も含めると、それなりの団体だ。
彼らは氷を積んだ牛車数台を真ん中に挟んで、山道をぽくぽくと徒歩で進んだ。人を乗せる牛車も一台あって、アントニオたちは交代しながら荷台で休んだ。
ネーヴェは令嬢のわりに体力があったが、それでも多めに荷台で休憩させてもらうことになった。
「こんなに長く歩いたのは、はじめてかもしれません」
「大丈夫かい? もうすぐ予定どおり次の街に着くよ」
アントニオは前もって途中の街に触れを出し、豪快に宿を貸し切りにした。貴族もかくやという贅沢だ。そのため、必然的に中規模以上の宿屋に泊まることになった。
これはネーヴェにとっては嬉しい誤算だった。
彼女は、毎日体を洗う、もしくは湯水で濡らした布で体をぬぐわないと気が済まない綺麗好きだ。この世界では宿屋でも、ある程度の規模でないと、湯水や軽食を用意してくれない。
その点は、良かった点だ。
しかし、大きな問題点がひとつ。
「俺が夫役をしているのだから、夫婦同室は問題ないだろう」
シエロは、面白がっているようだ。
からかうような口調で、ネーヴェに言う。
「それとも、
男性と二人きりの同室なんて、とんでもない。
しかし、氷売りの一団を見回しても女性はおらず、男性ばかりで、同室になってくれそうな者はいない。
約束の護衛は、どうなっているのか。
今回の旅にあたり、ネーヴェは昔馴染みの傭兵に護衛を頼んでいた。この氷売りの一団の護衛に混ざっているはずなのだが。
「い、いえ……」
「んん?」
「……」
むさ苦しい顔を近付けて来ないで、と思いながら、ネーヴェはさりげなくシエロを押し返す。
「シエロさん、私、安い女ではありませんの」
「いくらだ?」
「値段を付けるのですか? あなたは、金で私が買えると?」
ベールの下でつんと顎を上げると、シエロが吹き出した。
「ふっ……確かに、お前は値段の付けられない変な女だ。安心しろ。俺は葡萄以外に興味はない」
「私だって、オリーブ以外は興味ありませんわ」
しまった。この話の流れでは、同室を承諾したようではないか。
ネーヴェは焦って、とんでもない方向に話を進めてしまったと後悔した。しかし、他に知り合いはおらず、一人になるのは危険である。
「本当に、良からぬことは考えていませんわね?」
「くどい」
シエロがきっぱりと言ったので、これ以上言い争うと彼の言葉を疑うことになると、ネーヴェは腹をくくらざるをえなかった。
これまで葡萄畑での付き合いで、シエロが理性的な男であることは知っている。二人きりになる機会は今まであったのに、手を出して来なかったのだから、危険は無いと思う。
しかし、生娘であるネーヴェは実際のところ、男を知らない。寝室を同じくすれば男が豹変するという可能性も、捨てきれない。ただでさえ、シエロの出自も何も分からないのだ。
早まったかもしれないと思ったが、いざとなれば傭兵から教えてもらった護身術がある。何とかなると、自分に言い聞かせた。
商人と傭兵たちは連れだって居酒屋に出掛けたようだが、疲れたネーヴェは用意された宿の一室に向かった。当然のようにシエロが後ろから付いてくる。
二人きりになって、ようやくネーヴェはシエロの存在を意識し始めた。
気をまぎらわすために、会話を始める。
「……そういえば、シエロさんが行っている虫除けの対策について。私なりに調べてみたんです」
「聞こう」
打てば響くように返ってくる答え。
今さらのように、この男は何者だろうかと思いながら、ネーヴェは言葉をつむぐ。
「シエロさんの畑で、他と違っているのは、土の上に掛かった白い粉だけでした。触ってみましたが、塩や砂糖の類いじゃない。そもそも、塩も砂糖も貴重品ですから、土に撒くことは考えられません。粉は手触りが硬くて、砂のようでした。あれは岩石の粉なのではありませんか」
「良い線をいっているが、少し違う。あれは貝殻の粉だ」
「貝殻ですって」
ネーヴェは、呆気に取られ立ち止まる。
するとシエロが先に立ち、扉を開けてするりと部屋に入る。あわてて、その後を追った。
「貝殻の粉は肥料になると聞いた。仕入れて試していたら、偶然効いたのだ。虫除けにもなって一石二鳥だ」
「なるほど……」
貝は海に生息する生き物だ。もしかして、オセアーノ帝国側は、虫の魔物の被害に見舞われていないのだろうか。
ネーヴェは考え込んだが、寝台を見て、ハッとした。
目の前の出来事の方が衝撃的すぎて、シエロの白状した虫対策が、頭からすっ飛んでいく。
「ベッドが一つしかないではありませんか!」
夫婦だと偽り、宿に泊まったのだから……本当に今さらだった。
「俺が床で」
「私が床で寝ますわ!」
ネーヴェの宣言に、シエロは呆気に取られた顔になる。
男の間抜けな顔を見て、ネーヴェは溜飲が下がった。
「私が床で寝ます。着替えますので、一度、外に出てくださいな」
「い、いや、俺が」
「気が咎めるなら、宿の方に頼んで湯を持ってきて頂けると助かりますわ」
にっこり微笑んで言うと、男は何とも言えない複雑な表情になり「分かった」と頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます