空を知る旅
第12話 旅のはじまり
夏場、フォレスタでは、冬の間に山の洞窟に貯蔵した氷を、売り歩く氷売りという者が現れる。
氷はすぐ溶けてしまうのだが、魔術を使える者ならば、溶ける時間を引き延ばすことが可能だ。フォレスタの敵国として有名なオセアーノ帝国も、夏の暑さだけは我慢できないらしく、氷などは融通をきかせてフォレスタから輸入する。
ネーヴェは、この氷売りの一団と合流し、オセアーノまで旅をすることになった。
「なぜ、あなたがここにいるのですか」
「いたら何か不味いか?」
出発当日、氷売りとの待ち合わせ場所に、鞄を持ったシエロがしれっと立っていた。
いつもの汚れた農作業の服ではなく、旅用の新しい服を着ている。無精髭はそのままだが、だいぶ清潔に見えた。
こうして見ると、シエロは意外に細身で、佇まいに品がある。
思わず凝視したネーヴェだが、我に返って突っ込んだ。
「俺も一緒に行く」
「葡萄畑は、どうするのですか?!」
「教会の者に手入れを頼んだ。何の問題もない」
あれほど熱心に手入れしていた葡萄畑を放って行くと言う。
「姫様~、本当に行くのですか?」
見送りに来たシェーマンは、不安そうだ。
彼は屋敷に残り、ネーヴェの不在を誤魔化すことになっていた。
現在、侍従はシェーマン一人きりということになっているが、実は近隣の領主がネーヴェを見張っている。エミリオ王子は単純にネーヴェを孤立させよと命令を下したが、国王はじめ周囲の有力貴族たちの思惑は王子と違っていた。
ネーヴェには、その美貌をはじめとして、まだ利用価値はある。
王子の意向は表向き優先されているが、それだけでは無いのをネーヴェは分かっていた。
よって旅に出るにあたり、替え玉の女性を用意してシェーマンがその世話をすることで、周囲の目を
「私がいない間、屋敷の管理をお願いしますね」
「姫様は、やっぱり心が氷です……分かりました」
シェーマンは不満そうに、屋敷に引き返していった。
こういう時、ネーヴェは後悔する。
もっと他に柔らかな言い方は無かっただろうかと。
「俺は氷だと思わないが」
「え?」
シエロが、ひょいと覗き込んでくる。
「気にするな。あの男は、自分が言ったことを覚えていない。三歩あるけば忘れる鳥頭だ」
「そこまででは無いと思うのですが」
指摘され、ネーヴェは自分の頬に触った。
あまり感情が顔に現れないため、氷薔薇姫と呼ばれているのに、シエロは見事に内心を言い当ててくる。
「行くぞ。あの荷車だ」
シエロは、近付いてくる男達の一団と、彼らが運んでいる荷車を示した。
今回エミリオ王子には内緒で、旅に出る。ばれれば面倒なことになるが、それは覚悟の上だ。
先日シェーマンに「自分たちは王子の許しをただ待っているのか」と言ったが、ネーヴェは周囲の思惑で自分の人生を決められるのは御免だった。せっかく自由になったのだから、王子に振り回されるのでなく、自分の意志でこの先の未来を決めたい。
氷売りの商人アントニオは、陽気な男だった。
夏に活動するからか、日に焼けた逞しい体をしている。
「いや~、シエロの旦那も隅におけませんな~。いつのまに、こんな可愛い嫁さんを見つけたんです?」
「分かるか」
「分かりますよ~、顔を隠していても、佇まいで」
ぽんぽんと軽快に会話を交わす、アントニオとシエロ。
嫁などではないとネーヴェは眉をしかめたが、続いてシエロが「だから顔を隠すのは許してくれ」と言ったので、抗弁するのを諦めた。
ちょっと考えてみれば分かるが、独身女性が一人旅をするのは危険だ。シエロを夫役にしておいた方が危険が減るし、氷薔薇姫だとばれずに済む。しかし、護衛は自分で用意していたのに、彼女はどこにいるのだろう。
「旦那、途中でリグリスに寄って良いですかね? 例の虫の魔物のせいで、プーリアンのオリーブ畑が全滅らしくて、リグリスを見に行きたいんですよ」
アントニオは、旅の行き先について、シエロに確認した。
彼の商隊は、既に山で十分な氷を買い付け、熱気を通さないよう丁寧に包装した氷を詰めた木箱を荷台に積んでいた。これからオセアーノ帝国に氷を持って行く訳だが、その途中でどこに寄るか、という話である。
どうやら、氷だけでなく、オリーブの実も売るつもりのようだ。オリーブは、フォレスタの名産品である。南のプーリアン、北のリグリスは、オリーブの有名な産地だ。
「もちろんだ。俺たちも、リグリスのオリーブ畑が見たいと思っている」
オリーブ畑が見たいのは、ネーヴェだ。
シエロは、ネーヴェの代わりに答えてくれている。
その厚意にありがたく便乗させてもらおうと、ネーヴェも口を開いた。
「プーリアンは全滅……では、リグリスは大丈夫なのでしょうか」
「俺たちも、それを確かめに行くんでさあ」
アントニオは笑って言う。
こうして、行く先はリグリスに決まった。
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