第6話 葡萄畑のおかしな男
何でもできるネーヴェの欠点は、美しすぎることだ。普通の人は、彼女の顔に見惚れてしまい、話にならない。
その点、シェーマンは、農村での人付き合いに向いていた。彼は生活能力は無いものの、二枚目の優男で、人に警戒感を抱かせない容姿をしている。
シェーマンは、虫の侵攻状況が気になるネーヴェのために、近所の井戸端会議に加わり、情報を集めてきてくれた。
「この近くに、例の虫の魔物に襲われても、農作物が枯れていない、不思議な農家があるそうですよ」
「すぐに訪問しましょう、シェーマン」
ネーヴェは
噂通り、斜面に広がる葡萄畑は、青々と生い茂っている。近隣の畑は虫の魔物に侵略されているが、ここはそうではない。
「土に白い粉がかかっているわ。何かしら」
「……触るな」
低い男の声が、屈みこんで土に触れようとするネーヴェの手を止めた。
「俺の畑は、立ち入り禁止だ」
振り返ると、麦わら帽子をかぶった農民の男が立っていた。
妙に姿勢が良い、背の高い男だ。
王族相手にも物怖じしないネーヴェだが、この男には不思議な迫力を感じた。麦わら帽子の下の顔は、土埃で汚れており、精悍な頬の稜線は無精髭が覆っている。深海色の切れ長の瞳が、容姿で唯一の綺麗な部分だった。
「失礼しましたわ」
ネーヴェは、下がって謝罪する。
「突然の訪問を謝罪します。私は、あなたの畑が虫の魔物に襲われていないと聞いて、やってきました。もし虫の対策を何か講じてらっしゃるのであれば、お伺いしたく」
「後にしろ」
「は?」
「今は忙しい。この時期、葡萄の小さな粒を摘み取ってやらないと、立派な粒が育たないのだ。地面も耕して、肥料をすきこんでやらないと」
男は、ネーヴェに目もくれず、農作業に戻ろうとする。
ネーヴェは一瞬、唖然とした。しかし、この男が災害対策の鍵だという気がしてならない。ネーヴェの勘は良く当たる。幼い頃は、占い師を目指そうかと思ったことがある。王子に出会ったせいで(以降省略)。
「お待ち下さい」
「?」
振り返った男の前で、ネーヴェは頭からバサッと日除けの布を取り払い、腕捲りをする。
ネーヴェの美貌を目の当たりにした男は、目を見開いた。
「手伝います」
「?!」
「摘果をするのでしょう。手伝います!」
実家にいた頃は、隣の果樹園の手伝いをしていたこともある。
百個でも二百個でも、もいでやろうではないか。
「おい、この娘、本気で言ってるのか。農作業だぞ」
「ネーヴェ様は、いつでも本気です……」
おののいた男は、思わず隣のシェーマンに伺いを立てる。
シェーマンは打つ手なしと頭を振った。
ネーヴェは硬直している男の手から、
「日が暮れる前に、終わらせましょう」
「……摘む果実を間違えたら、出ていってもらうからな」
男は、ぶっすりした顔で言ったが、それは承諾の返事だった。
意地でも摘果を完了させてやると意気込んだネーヴェだが、葡萄畑は広く一日では終わらなかった。
日が暮れる頃、男は「今日の作業は、ここまで」と言った。
「では、改めまして。虫の魔物にどうやって対策しているか、教えて頂けますか」
葡萄摘みに夢中になってしまったが、本題はそれだ。
ネーヴェは勢いこんで聞いたが、男は素っ気なく答えた。
「誰が教えるか。農家の
「なんですって……?!」
手強い。男が、やり手の農家だと分かり、ネーヴェはますます対策に興味を持った。
「外部には。では、身内であれば、教えて頂けるのですね?!」
「お、おぅ」
「私、こちらの葡萄畑に就職します! 千年語り継がれるワインを作る事業に、どうか私も参画させてくださいませ」
「そこまで壮大な計画は練ってないんだが」
まくし立てるネーヴェに、男は押され気味だ。
「シェーマンさん、あんた、主を止めてくれないか」
男は困って、シェーマンに救いを求めた。
しかしシェーマンは「私では姫様を止められません」と首を横に振る。
「……分かった。では、しばらく葡萄の手入れを手伝ってくれ。その報酬に、虫の対策について教えよう」
熟慮の末、男は折れた。
ネーヴェは目を輝かせ「ありがとうございます!」と礼を言う。
「今さらですが、あなたのお名前を聞いていいでしょうか」
「……シエロだ」
変わった名前だと、ネーヴェは彼の名前を口の中で転がしてみる。軽やかで神秘的な響きの、怪しい泥だらけな男に不似合いな名前だった。
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