第35話 船の世界

 海の狭間で揺れる船を上空から見下ろす。

 数千年前の大雨によって世界の全てが沈んでしまって、今ではこの船が世界で唯一の生存圏なのだそうだ。


「あの船に乗ってる人達はみんなその話を信じてるみたいだけど、本当かしらね」


「数千年前のことが真実かどうかは流石に分かりませんが、この世界の九割以上が海に沈んでいるのは事実ですね」


「なんだか引っかかる言い方ね。九割以上ってことは逆に言うと一割程度は沈んでないのかしら?」


 上空から見渡した感じでは一面に海しか見えないが、どこかには陸地があるのだろうか。


「えぇ、ごくわずかですが沈んでいない陸地はあります。最も船と比べても小さいのでそこに移住などは出来ないでしょうが……」


 船は数百の人間と、彼らが生きていけるだけの設備が備えられているほどの大きさで、小さな島くらいの規模がある。

 その程度の規模では、知らない人がいたら即座に怪しまれてしまうだろうという判断から、こうして船の中には入らずに上空から見学をしているのだが。


「私はアンタと違ってそんなに目が良くないから、ここからだと船の様子がほとんど分からないのよね。船の中はそんなに面白いの?」


「えぇ、あの船はもうすぐ沈みそうですからね」


 なんだか凄いことを言われた気がする。


「……えっ、沈むのあの船?」


「数千年前からずっと航行しているというのが本当なら、むしろ今まで沈んでないのが偉業ですからね。まぁ、もうすぐと言ってもまだ数年は保つでしょうが」


 船の後ろの方を指差して続ける。


「今はエンジンにたまに不調が出ていたり、下部に浸水が多少始まっている程度ですが、これが酷くなれば一気に沈むでしょうね」


「それは、船に乗っている人たちは知ってるのかしら」


「知っている人もいるでしょうね。ですが、ほとんどの人は知らずに過ごしているようです」


 ヨハクは高みから見下ろしながらあっさりと言ってのける。


「しかし、この先異変が増えて気づく人も増えていくでしょうね。果たして、そうなった時にどのような選択をするのか。船と共に心中を選ぶのか、小さな陸地で生きていくことを選ぶのか、はたまた別の選択をするのか。大変に興味深いです」


 船に乗っている者たちがどんな選択をするのかは分からない。だが、どんな選択をしたとしてもそれは彼らの責任だろう。

 それに、いくらヨハクでも彼ら全てを救うことは出来ないだろうから、今回は下手に手を出さないのが誠意なのかもしれない。

 ……という理屈は分かっても、滅ぶかもしれない人類を見ながら興味深いと言ってのけるヨハクは、なんだか知らない一面を見てしまったようで気味が悪かった。


「ねぇ、アンタもしかして船が沈むまで見届けるとか言わないわよね?」


 だから、そこから話を逸らすことを選択する。

 そこを深く知ってしまうと、何だか今までの関係が変わってしまう気がしたから。


「いえ、流石に何年もここで見続けることはしませんよ。ただ、エンジン部分の人たちの選択くらいは見届けようかと」


「エンジン部分の選択……?あぁ、現段階でもすでに不調が出てる部分だっけ」


「えぇ、エンジン部に不調が出ている事を全体に通告するかしないかで議論をしているんですよ。せめてその結果だけは見届けたら次の世界に行こうかと」


「……まぁ、それくらいは良いんじゃないかしら」


 こんな離れた場所では、私にその議論の様子を見ることは到底出来ないが、ヨハクには余裕で分かるようだ。

 この世界の人類の滅亡をかけた第一歩目の選択がどうなるのか、私も気にはなるのでそれを見届けるくらいの時間ならば文句はない。


「それで、今はどんな議論をしてるの?」


「エンジン部分の不調を公表するかしないか、ですね。完全に直すだけの技術はすでに失われていてないので、その事実を公表するかどうかをエンジン部分の人たちで話し合っています」


「それは、公表した方が良いんじゃないかしら?」


 船の生命線が不調だと言うのなら、その情報は船に乗っている全ての者が知る権利があるだろう。


「それも考えの一つですが、そんな情報を公表してしまえば必ず混乱が起きます。ならば公表を遅らせたくなるのも人情でしょう」


「どうせいつかはバレるのだろうから、早いうちに公表した方が良いと思うけれどね」


 とは言え、公表を遅らせたくなる気持ちも分かるのでそれ以上は何も言わない。


「……いや、待って。その議論ってどれくらいで決着つきそうなの?」


「さぁ?それこそ数ヶ月は議論し続けていて今だに答えは出ていないようなので、あと何ヶ月……いえ、何年かかるかは不明ですね」


 明確な答えがある議論ではないから、そうなる理由は理解出来る。理解出来るがそれをここで待ち続けるのは流石に出来ない。


「よし、分かったわ。次の世界に行きましょう」


「えっ、ですがまだ答えが出ては……」


「そんな、答えがいつ出るか分からないものを待ってはいられないわよ。ほら、行くわよ」


 それに、どちらが選ばれたとしても後味は悪くなりそうだ。それならば、いっそ答えを知らないままでいた方が気持ちは楽だろう。

 渋るヨハクを促して、私たちはこの船の世界を後にするのだった。

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