第32話 蟹の世界

 蟹料理は好きだけど苦手だ。

 味は美味しいけれど、殻が剥きにくくて食べにくいからだ。


「殻に切れ目とか入っていると割りやすくて食べやすいんですけどね」


 などと言いながら、目の前のヨハクは切れ目も入っていない殻を軽々割って中から身を取り出して食べている。

 この世界では蟹がたくさん取れるらしく、昨日から三食蟹ばかり食べている。


「確かにそうね、でも全てのお店でやってくれてる訳ではないのよね。このお店とか、一匹丸々そのまま茹でた巨蟹が名物だからって何の手も加えられていないもの」


 文句を言いながら、私も蟹の足を折って中から身を取り出して食べる。

 名物を自称するだけあって味はとても良い。殻の中から出てきた肉厚の身に、少量のタレを付けて食べる。シンプルな料理だがそれだけに蟹そのものの味がタレによって強調されて一口噛むごとに口の中に蟹の風味が広がる。

 これで魚のように食べやすければ何の文句もないのだが。


「殻に何の手も加えていないからこその風味かもしれませんし、そこは良し悪しですね。これだけの味なのに安く提供されているのも、そう言うところで手をかけていないからでしょうし」


「そういう理屈は分かるわ。分かった上で文句を言っているのよ」


 これで味が悪かったら食べないという選択肢もあるのだが、美味しいから文句を言いながらもついつい食べてしまう。

 昨日から蟹ばかり食べているのに飽きも来ないのは、茹でだけでなく焼き、刺身、煮物など色々な調理がされているからだろう。

 見たことも無いような種々様々な調理の蟹が出て来たのは、この世界でそれだけ蟹が流通している証だ。


「蟹が美味しいから別に文句はないのだけど、そういえば肉とか魚は食べられていないのかしらこの世界?」


 蟹の本体を割って、中身を掘り出しながらふと疑問に思う。

 流石に蟹以外の動物が一切いないと言う事は無いだろうけれど、それらを食べるお店は無いのだろうか?


「肉や魚の料理はありますが、希少品扱いのようですよ。出しているお店もありますが、高級品扱いなのであまりお財布には優しくありませんね」


「他の世界で言うところの蟹みたいな扱いになっているわけね」


 本体から身を取り出し終わってから、残った蟹味噌にタレをかけてすする。あっさりとしたタレと他の部位と比べ一層濃厚な蟹味噌が合わさって、強い風味の蟹味が強烈に舌を刺激する。


「ふぅ、ごちそうさま。美味しかったわ」


 口の中に残る蟹の味に満足しながら、食事を締めの言葉で終わらせる。


「えぇ、大変美味でした」


 少し先に食べ終わっていたヨハクが、私の感想に同調するように頷く。

 そうして、二人で席を立つと店を後にした。



――――――――



「折角なので、最後に蟹の捕獲を見学してみませんか?」


 この世界に滞在して数日、蟹の剥き方にも慣れてきた頃。

 そろそろ次の世界に行こうか、と相談していた時にヨハクにそう提案された。


「そんな見学が出来るところがあるの?」


「えぇ、蟹漁船に乗って捕獲の様子を見学出来るのだとか」


「へー、ちょっと面白そうね」


 この世界では蟹を食べる以外に特別な事はしていないので、思い出作りにはちょうど良いかもしれない。


「それでは、早速申し込んでおきますね」


 という事で翌日。蟹漁船に乗って漁の様子を見学することになった。


「思ったよりも大きな船なのね」


 見学客が自分達を除いても五組ほどいて、それ以上の人数の蟹漁師がいたが、それでも余裕で乗れるだけの大きさの漁船だった。


「この船は見学用の特別仕様で普通の船より大きいそうですよ」


「全ての船がこの大きさなわけでは無いのね」


 などと話しながら船内を散策する。

 蟹の漁場に着くまでは結構な時間がかかるそうなので、同じ見学客と交流したり、船員さんに話を聞いたり、何故か充実している娯楽施設で楽しんだりした。

 そうして蟹の漁場に着くと、船員達に指導を受けながら蟹釣りの体験もできた。そもそも蟹が釣れると言うのも驚きだが、てっきり網で捕獲すると思っていたので新鮮だった。

 もっとも、船員に話を聞いた所これも見学客のためのパフォーマンスで、多くの漁船では網で獲るそうだが。


「全然釣れないわね」


「まぁ、僕らは素人ですしね」


 他の客はたくさん釣れているのに何故か私達だけ一匹も釣れる気配がない。

 ヨハクが何かやってるんじゃ無いか?と疑いそうになった頃、ついに私の竿に当たりが来た。


「うわっ!これどうすれば良いの!?」


「落ち着いて下さいクローズ、教わった通りにゆっくり引いて……そう、そのまま上げて」


「つ、釣れたわ!!」


 そうして私は、そこそこの大きさの魚を釣った。


「……って、蟹じゃないわね。残念」


 狙いの獲物ではなかったので逃がそうとしたが、周りが必死になって止めてきた。


「えっ。この魚がそんなに珍しいの?」


 そういえば、魚と蟹の価値が私の常識とは逆なことを思い出す。

 その後、数時間粘って何匹かの蟹を釣り上げ、魚と一緒に調理してもらい釣りたてを美味しく食べた。

 自分で釣って久しぶりに食べた魚は、いつも食べるものよりも美味しく感じた。

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