第16話 涙の世界

「この世界の全ての水は、一匹の竜の涙から生まれているそうです」


 宿屋でベッドに腰かけながら休んでいると、この世界の情報収集をしてきたヨハクが報告してくる。


「せっかくなので、その様子を見に行きませんか?」


「それが本当なら私も興味はあるけれど、たまにある神話とかじゃなくて本当の事なのそれ?」


「どうやら本当のことのようですよ。その竜――――世界竜ユグドラシルの場所も分かっているので、いつでも行けます」


 どうしますか?と彼はこちらに手を伸ばしながら再び問う。


「あんたは行きたいのでしょう?」


「えぇ、断られたら一人でこっそり行こうかと思っています」


「だったら私も着いて行くわ。一人で行かせると何するか分からないから」


「ふふっ、では早速行きましょうか」


 伸ばされた彼の手を取りながら立ち上がる。


「それで、どうやって行くの?いつもの瞬間移動?」


「瞬間移動ではなく、ただ走っているだけですが……今回は違いますね、なんでも観光地になっているそうなのでそこまでの道のりも含めて楽しもうかと」


 禁足地とかだったらアナタの言う瞬間移動で無理やり行くんですけどね、と冗談めかして言う。多分冗談ではなく本気だろうけど。

 そんなわけで、ゆっくりと川沿いを上流に向けて歩いていくことになった。


「なんでも、この川がこの世界で唯一の川であり、その一番上流に竜がいるそうです。海の水などはすべてここから流れてこんでいるようです」


「……上流に毒でも投げ込まれたら一発で全滅しそうね」


 そう考えると水源が一つしかない世界など、恐怖でしかない。

 そんな危険を抱えながら、よくここまで発展したものだ。


「この世界では、そういう発想そのものが無さそうですよ。水は竜から賜る神聖なものというのがあまりに常識すぎて、逆にそれを毒などで侵そうという発想がないみたいです」


「そういうものなのかしらね」


「ええ、それがこの世界での普通のようです」


 自分の常識はあくまでも自分の世界の常識にすぎないというのは何度も痛感していることだが、それでもこうして新しい世界に来るごとに自分と異なる常識に触れると、毎回戸惑いがある。

 横にいるヨハクはすぐに適応して、こうして我が物顔で世界毎の常識を語ってくるが、それがたまにちょっと腹が立つくらいだ。

 自分がどの世界でも普通なのかどうかは自信が無いが、横の彼がどこの世界の基準でも普通でないことはもう分っている。だから、こんなにどこの世界でもすぐに適応しているのもきっと普通のことではないだろう。


「まっ、少なくとも私たちがいる間にこの世界が全滅するような事態にならないのならばなんでもいいわ」


「そうですね。仮にそんな事態になりそうになっても、僕がいる間は止めますから大丈夫ですよ」


「あんたがそうやって保証してくれるなら安心だわ」


 そんな風に二人で軽口をたたきながら上流へと上っていく。 数時間上っただけなのに、大分景色が変わってきた。


「観光地になっているって聞いたから、活気にあふれていると思ったのだけれど……自然が多くて人は減ってきたわね」


「もっとお店とか増えてくると思っていたんですけど、むしろ減っていますね」


 木々が増え、傾斜も強くなり、なんだか登山の様相を呈してきた。


「ここまでも結構歩いてきたけれど、もしかしてここからが本番なのかしら」


 川が流れて来る方を見上げる。高い木々が邪魔して視界は開けていないが、とても高くまで川が続いているのは分かった。


「……上りきるまで何時間かかるのかしらね」


「夜までには着けるんじゃないでしょうか?」


 今は太陽が真上にあるのでお昼頃だ。


「おかしいわね、観光地になっているって聞いたからもっと簡単につくと思っていたのに。なんでこんなに過酷なのかしら」


「僕ももっと簡単に行けると思ったのですが……どうします?瞬間移動しますか?」


「ここまで来てからそれは、なんか負けた気分になるから却下。こうなったら自力でたどり着いて見せるわ」


 そう言って、少しだけ今までよりも速足になって進んでいく。

 二人でズンズンと進んで進んで、日が落ちる頃にようやく山頂にたどり着いた。


「うわぁ……」


 そうして山頂で見た光景は、言葉を失い疲れも吹き飛ぶほどの絶景だった。

 一本の巨大な樹の根本に眠る竜。その周りは湖になっていて蛍のような光る虫が幻想的に飛んでいて綺麗だった。


「これは、夜に来て正解だったかもしれないわね」


 昼間に来てもこの光景は見られなかっただろうから、ゆっくりと歩いて来てよかったかもしれない。

 この感動を彼と共に噛みしめたいと思い振り返ると、何故か彼は明後日の方向を見ていた。


「どこを見ているのヨハク?」


「いえ、あれを」


 彼が指さす方を見ると――――私達が上って来た道とは別の道、そこを馬車が上ってきている所だった。


「そこの看板に書いてあったんですが、我々が通ってきた道は修行用の道と言いますか、あえて厳しい整備されてない道らしくて……もっと楽な道があったみたいですね。乗り物が通っている道も」


「えっ、じゃあ私たちがこんなに疲れたのは……」


 そのヨハクの言葉を聞いて、さっき吹き飛んだはずの疲労が戻ってくる。


「無駄、でしたね」


「う、うぅ……知りたくなかった……」


 私は、彼を恨めしそうに睨むのだった。

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