第14話 桜の世界

 桜の花が美しく咲くのは、樹の下に死体が埋まっているから。

 という話を私の世界で聞いた覚えがある。

 もちろんそれ自体はただの都市伝説か何かで、実際に桜の樹の下に死体が埋まっているケースはまず無いだろう。

 だが、それを承知の上で何故か思ってしまったのだ。この世界にはこんなにたくさんの綺麗な桜が咲いているけれど、本当に桜の下に死体が埋まっているとしたら一体何人分の死体が必要なのだろうかと。


「『チスイカエデ』という種類の樹があります。あぁ、この世界にあるかは分かりませんが、今までに旅行してきた世界にあったんですよ」


 私がそんな事を考えていると、ヨハクが突然に語り出した。


「そのカエデは名前の通り、血を吸います。少なくとも、その世界の人には血を吸うと思われています」


「微妙に曖昧ね」


「僕は植物学者じゃないので、真実は分かりませんからね」


 ただ、と話を続ける。


「その樹には、血のように真っ赤な葉が咲きます……えぇ、葉が花のように綺麗なんです。だからか、あの世界ではそのカエデの葉が生える事を咲くと言っていました」


 想像してみる。おそらくは、私と出会う前に旅行した世界での出来事を。

 そこに咲くという、血のように真っ赤なカエデの事を。それは美しくもあるが、恐ろしい光景のように思えた。


「その美しさ故に、人や動物の死体から血を吸って葉を紅くしていると、その世界では信じられています。さっきも言ったように、真偽は不明ですがね」


「綺麗な桜を見ながらする話じゃ無いわね」


 直前まで自分が考えていた事を棚に上げて、彼の話に素っ気なく返す。


「すいません、自分でもそう思います。ですが、何故かこの桜を眺めていると、そのカエデを思い出してしまうんです」


 正直に言うなら気持ちは分かる。何か理由が無ければこれほど綺麗な花は咲かないだろうと思うくらいには、目の前の光景は美しく。また、どこか妖しい魅力を放っていた。

 だからこそ、私もあんな事を考えてしまったのだろうから。


「でも、血を吸って綺麗な花や葉を咲かせると言うのは、どこかロマンのある話よね」


「ロマンですか?似た話はいくつかの世界で聞きましたが、どこでも怪談として語られていましたよ」


 ヨハクが首を傾げる。

 なるほど言われてみれば、こんなに美しい光景の裏には数多の死体が眠っている、と言われれば人によっては恐ろしく感じるのかもしれない。

 だが、私がこの話を聞いて最初に感じたことは違うのだ。


「だって、死んだ後にこんな綺麗な光景を生み出す一助になれるのなら、それはとても素敵なことでしょう?」


 私もただの人間なので、きっといつかは死ぬ。それならば、何にもなれずに死ぬのではなく、誰かに美しいと思ってもらえる景色の一部になりたい。なれるのならば素敵だとそう思ったのだ。


「……そう、ですね。えぇ、そう考えるととても素敵な話かもしれませんね」


 そういう彼は微笑んでいたが、同時に何故かとても儚くて、すぐにでも目の前から消えてしまいそうに見えた。

 だから、私は慌てて彼の手を掴んだ。どこかへ行ってしまわないように、この場に繋ぎ止めるように、私を置いて行かないように、そんな事だけを考えながら。


「どうしましたクローズ、突然手を取るなんて」


 だが、そんな私の考えなど彼には当然分からないわけで、少し驚いたような、困ったようなリアクションをされてしまった。


「え、えっと、これは……」


 逡巡、少しだけ何と言って誤魔化そうか考える。だけど、それは本当に一瞬。

 そうだ、彼を相手に自分を偽る必要はないのだ。だから、思ったままの本音が口から溢れていた。


「ど、どこかに行っちゃいそうだったから……私には繋ぎ止められるだけの力はないだろうけど、それでも一緒に行くくらいは出来るから連れて行って欲しくて」


 行ってから、すごく恥ずかしくなる。突然こんな事を言われて、彼もきっと困惑しているだろう。恥ずかしさのあまり顔を見ることも出来なくて下を向いてしまう。


「ぷっ、くっくっくっ……あははっ」


 堪えきれない、と言った感じで彼が笑い出す。いつも微笑んでいるが、こうして吹き出すのは珍しいことだ。

 何かは言って欲しかったが、笑われるのはちょっと、流石に恥ずかしさが増すので勘弁して欲しかった。


「はははっ……大丈夫ですよ、クローズ。僕はどこにも行きませんから」


 ひとしきり笑うと、真剣な声音で告げてくる。


「いえ、どこにも行かないは語弊がありますね。様々な世界を旅行して回っているのですから、どこかには行きます」


 変な所で律儀な彼は、そんな注釈をしてきた。


「でも、あなたの側は離れないと誓います。あなたが嫌だと言うその時まで」


「そ、そんな時は来ないわ!!」


 顔を上げて、強めに否定してしまう。だが、これは偽らざる心からの本音だ。少なくとも、今は本気でそう思っている。


「えぇ、本当にその時が来ない事を祈っていますよ」


 彼は桜の下で一層笑みを深くするのだった。

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