第8話 蛇の世界
万能翻訳魔法。それは異世界を旅するときに欠かせない魔法だ。
相手が一定以上の知能を持って、発声器官を用いて音による再現性のある”会話”を行っている時、その言語体系に関わらずに意思疎通を可能とする、ヨハクが知り合いに教わったという魔法。
理屈は一切分からないが、単位系や固有名詞なども使用者の知識に合わせて調整されるので、知ってる物を突然知らない固有名詞で伝えられることも無い。
この魔法が無ければ、異世界を旅してもおそらく会話さえままならないで今の半分も情報を収取できないだろう。
その知り合いとやらには会う機会があったら是非ともお礼を言いたいところだ。
閑話休題。ともかく、私たちはそれによって目の前の生物と会話をしていた。
「なるほど、アナタたちは”人間”と言うのですか」
「えぇ、我々の知識ではアナタたちは……”蛇”という生物に近いですね」
そう、見た目は完全に蛇だ。体長はおそらく五メートルほど、知っている蛇と同じ生態ならば、私くらいなら一飲みに出来る。そんな大きさだ。
「”セイブツ”……”生物”ですかなるほど。この世界にはそのような括りがありません。アナタたちの言葉を借りるのなら、”生物”は”蛇”しかいませんからね」
「どういうことかしら、よく分からないわ」
「言葉の通りです。この世界には大きくて会話ができる”蛇”と、小さくて会話さえできない”蛇”、その二種類しか”生物”がおりません。アナタたちのように違う姿で、自分の意思で動く物はありません」
「えっ、そんな世界があり得るの?」
思わず聞き返してしまう。植物はここまでにも見てきたから例外としても、一種類の動物だけで世界が回るなど、そんなことが可能なのだろうか。
虫も、鳥も、魚も無しで世界と言うのは回るのか。
「”ムシ”に”トリ”、そして”サカナ”……どれも聞き覚えが無く、想像もつかない言葉ですね」
「簡単に言ってしまえば、そうですね。とても小さい生物と、空を飛ぶ生物、そして水中で暮らす生物です」
「とても小さい”蛇”と、空を飛ぶ”蛇”、そして水中で暮らす”蛇”ならおりますね。どれも生態は違いますが、同じ姿かたちをしています」
「な、なるほど……?」
どうやら、この世界ではすべての生物が蛇の姿をしているらしい。
いや、翼も無い蛇がどうやって空を飛ぶんだろうか?
「さぁ、私は飛べませんのでなんとも……実物を見せられれば説明も容易なのかもしれませんが」
「鳥が何故飛べるのか、飛べることを知っていても説明できる人は少ないですからね。多くは翼のおかげで跳んでいることくらいは知っていても、その原理までは分からないでしょう」
言われてみれば、その通りかもしれない。
そもそも、目の前に翼とかなくても魔法で飛べる存在がいるのだ、翼の有無と飛行の可否はあまり関係ない気がしてきた。
「しかし、アナタたちの姿は実に興味深いですね。体幹が途中で二本に枝分かれしてそこだけで立っているとか、体の途中から舌のようなものが生えているとか、およそ”生物”として想像もしたことのない形をしている」
「し、舌……?」
「おそらく、腕のことでしょう。彼らにとって物を掴み、使うための器官は舌しかないのですから」
そうでしょう?と腕を動かして、その言葉の裏付けを取る。
「その通り、その器官です。私たちの舌などよりもよほど精密に動いて、力も強い。細かい作業に従事するのならばとても重要な器官でしょう」
「実際、動物と人間を隔てる大きな違いは『知能』と『手』と言われるくらいには、人間の発展には必要不可欠な器官ですね」
そう言われると、一つ思い当たることがある。今までの世界でも、色々な”ヒト”を見てきたが、文明が高度に発展している世界では、総じて「手」が私の知る人間と同じかそれ以上に器用であった。
「そうですね、”ウデ”を持たない私たちにも文化はありますが、アナタたちの言う高度な”ブンメイ”などはありません」
改めて、周囲を見回す。
現在位置は、目の前の彼の『家』だという穴倉だ。
だが、どちらかと言えば蛇の『巣』と呼ぶのがふさわしく、調度品も家具もなにも無い。せいぜいが食料がそこかしこに保存されているくらいだ。
「良いですね、”文明”。私には想像しか出来ませんが、きっと色々な美しい物品や素晴らしい文化が生まれているのでしょう」
「えぇ、大変に楽しいですよ」
「それは、羨ましい話ですね」
そうして、その日はそのまま夜が明けるまで三人で語り合った。
「いやぁ、大変に楽しかったですよ!ありがとうございます!他の世界と言うものは素晴らしいですね」
日が昇るころ、彼は大変に満足したように嘆息した。
一晩起きていたので、私は正直眠い。
「こちらとしても大変に参考になりました。この世界に事がよく分かりましたよ」
ヨハクも大変に満足そうだ。いつでも機嫌がよさそうな彼だが、ここまで分かりやすいのも珍しい。
「さて、僕たちはそろそろお暇させてもらいます」
「そう、ですか。それは大変に残念ですね」
本当に残念そうに言うものだから、私も眠気で判断力が低下していたのか、ついとんでもないことを口走ってしまった。
「そんなに名残惜しいのなら、一緒に来る?」
その言葉を口に出した直後の二人の顔は中々に筆舌に尽くしたがいものがあった。
それでもあえて言語化するなら、信じられないものを見た顔だ。
「…………いえ、大変魅力的なお誘いですが辞めておきます。私はアナタたちのような超越者ではありません。ただの一蛇です。とても旅にはついていけないでしょう」
とても苦しそうな顔をしながら彼は絞り出すようにそう答えた。
「そう、それは残念ね」
「えぇ。それでは、もしも奇跡が起きたらまたいつか会いましょうお二方」
そう言って、舌をチロチロと振る彼に見送られながら私たちはこの世界を後にするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます