第6話 落ちる世界
その世界は、真ん中に大きな大きな『穴』が開いていた。
「凄い穴ね……底が全く見えないわ」
「そうですね、僕にも見えません」
言いながら、ヨハクはその辺に落ちていた石を投げ入れる。
石は真っ直ぐ落ちて行って、落ちて行って、落ちて行って――――視界から音もなく消えて行った。
「この穴、大きさだけじゃなくて深さも相当ね。一体どれくらい深いのかしら」
「確かめてみますか?」
そう言って、こちらに手を出すヨハク。
何をする気なのかは想像がついたが、一応聞いてみた。
「無論、飛び降りるんですよ」
笑顔で言うヨハク。とても楽しそうだが、その目は本気だ。
「……良いわ、やってやろうじゃないの」
言って、その手を取る。女は度胸だ。
「ただし、絶対に手を離さないでね」
「えぇ、もちろん。それでは行きましょうか」
そして硬く手を繋ぐと、一緒に穴へと落ちて行った。
――――――――
落ちて行く、落ちて行く、落ちて行く。
もう何時間、何日、何か月、何年……さすがに年単位は言い過ぎたと思うが、どれだけ落ちているのかも分からないくらい長い時間落ち続ける。
周囲は完全な真っ暗闇で、いつまでも風景は変わらない。
最初こそ落ち続ける加速で落下している感覚があったが、途中からはそれさえも無くなって、落ちているはずなのに浮遊感さえ覚えるような奇妙な感覚だった。
真っ暗だから自分が目を開けているのか閉じているのかも分からない。
落下していてどこにも触れていないから上下も分からない。
最初こそ風を切る音が聞こえたが、もう何も聞こえない。
もう何も感じない――――いや、一つだけ分かることがあった。
右手に感じる確かなぬくもり。
そこで、彼と手を繋いで一緒に落ちていたことを思い出す。
彼がまだ一緒にいることに気が付いて、彼がまだ自分を離していないことに気が付いて、真っ暗で見えないけど確かにいることに安心して。
自分の力は完全に抜けていて、彼が手を離したらそのまま離れ離れになってしまう事実に思い至り、慌てて力を込める。
それを何かの合図だと思ったのか、彼が話しかけてくる。
「どうしました?」
とうに落下速度は音速も超えているはずで、普通なら言葉など聞こえないはずなのに彼の言葉は確かに私の耳を震わせた。
「何でもないわ……これは、いつまで落ち続けるのかしらって思っただけよ」
だから、私も普通に話す。多分、それで彼には聞こえるはずだから。
「そうですね、もしかしたら底が無いのかもしれません」
「穴なんだから、当然底くらいあるでしょう?」
言ってから、あまりに陳腐な事を言っていることに気が付く。
「本当にそうでしょうか。その当然は誰が決めたんですか?」
「……そうね、確かに今までの世界ではこの当然は常識で絶対だったわ。でも、この世界でもそうとは限らなかったわね」
今までだって、いくらでも私の常識など覆されてきたのだ。
だったら、今回のこの穴もきっとそういうものなのだろう。
「最近は理解と納得が早くなってきていて僕は嬉しいですよ」
「私だって成長するのよ。それで、どうする?仮に底がないとすると、このままだと永遠に落ち続けるだけで何も起きないけれど」
そもそも時間の感覚が完全になくなっているから、ここまでどれくらい落ち続けているのかは分からないが。
「そうですね、僕の感覚が正しければそろそろ98,453,711秒落ちていますが」
「なるほど、たくさん落ちていることは分かったわ」
計算は得意ではないからそれが何日くらいなのかはわからないが、さすがに年単位で落ちているような感じがしていたのは体内時計が狂い過ぎであろう。
というか、何年も落ちていたらさすがのヨハクでも何か言うはずだ。
「……そうですね」
そう言うと、なんだか微妙に声音が変化した気がするが気にしないことにする。
「でも、さすがにただ落ち続けるのも飽きてきたわね」
「そうですか?僕はまだいけますが」
「あんたはそうかもしれないけど、私は普通の人間なんだからこの真っ暗な中いつまでも落ちるだけだと気が狂うわよ」
「狂われるのは困りますね。仕方ない、この感覚も中々に新鮮でしたがそろそろ次の世界に行きますか」
そして彼は私とつなぐ手に力を込めて――――
「では、今度は手を離さないでくださいね」
「えぇ、当然。もう私から離したりなんてしないわ」
次の世界に向けて加速した。
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