43話 急接近

退院の手続きを終え、外出着に着替えて正臣を待つ。


何気無く覗いた病室の窓を、夕方から降り出した雨は勢いを増して叩きつけていた。


定時を過ぎて少し経つ。


なかなか来ない正臣を心配して、香世はしばらく外を見つめていた。


トントントン


控えめなノックに返事をする。


「遅くなってすまない。少し後処理に手間取ってしまった。」

入って来るなりそう言って香世の側に寄って来た正臣は、駐車場から走って来たのか、軍服の肩が濡れていた。


「お勤め、お疲れ様でした。

雨が酷いので心配していましたが、上着が濡れてしまってます。」


香世は心配してハンカチを取り出し、

正臣の肩の雨露を拭く。


「ああ、大丈夫だ、ありがとう。

それよりも、父は来たか?何を言っていた?」

正臣様が来るように仕向けたんでしょう?

と香世は心で思いながら、

ふふっと笑う。


正臣が凄く心配そうな顔をしているから、


「お父様から謝罪を頂きました。

なんだか可哀想に思ってしまいました。自分の意思では無いのに言わされた感じでしたよ。

それほどまでに正臣様を失いたく無いと、思っていらっしゃる事が良く分かりました。」


「あの人は頭が硬いんだ。

こうでもしないと捻くれて、2度と香世には会わないかもしれないからな。

話しは出来たようだな。

安心した。で、香世はどうして欲しい?」


今度は悪戯っ子の顔つきでこちらを見てくる。


「どうしてって……正臣様の人生ですから、

ご自分でお決めになるべきだと思いますよ?」

香世も困ってそう伝える。


「父から聞かなかったか?

香世にどうして欲しいか決めて欲しいんだ。

香世の会社に入って松下の下で働くのもありだと思っている。

四六時中香世の側に居られるしな。」


「どんな風にお父様にお話ししたのですか?

簡単にご実家を捨てたりしないで下さい。

皆さんが悲しみます。」

香世は心配顔で正臣を見上げる。


「そのぐらい本気だって事を示したかった。で、香世の答えは?」


正臣は、また一歩と香世に近付いて来る。


「えっと…


もうしばらくは軍人でいて欲しいなと思います。

お父様からも正臣様が軍にとって必要な人だって事が凄くよく伝わって来ましたし…

あまりに…可哀想でしたから。」


「香世は優し過ぎるな。

分かった。もうしばらくは軍人を続ける。

だけど、結婚は早めるぞ。

もう、いっ時だって待ちたく無い。」


そう言って、息のかかる位近くに来た正臣が

香世を引き寄せ抱き締める。


「早く香世を俺のものにしたいのだ。」


「もう、とっくに正臣様のものですよ?」


「そうなのか⁉︎」


2人見つめ合い笑い合う。


「頭痛は大丈夫か?」

正臣の手が頭を撫ぜ髪に触れる。


こくんと香世は頷き、正臣も安堵の顔を見せる。


「傷口は傷まないか?」

前髪を掻き分け額の傷にそっと触れる。


また、香世は笑顔でこくんと頷く。


香世の唇をそっと撫ぜるように正臣が触れてくる。

「口付けしてもいいか?」


そっとそう聞いてくるから、

香世はふふっと笑い、こくんと頷こうとする手前で、正臣にクイっと顎をすくわれ唇を塞がれる。


「……っん…。」

香世は急速に奪われた唇に戸惑いながら、

何度となく角度を変えて唇を重ねられる。


空気を吸うのもままならず自然と息が荒くなってしまう。


「あ……っん……。」

息を継ぎたくて少し開けた唇に、容赦なく舌が滑り込み口内を舐め上げられる。


やっと唇が離れた時には香世は立っていられないくらいで、思わず正臣にしがみついてしまっていた。


抱き止めてくれる逞しい二の腕に、もたれながら息を整える。


「抱き上げて帰ろうか?」

正臣にそう言われて慌てて離れる。


「大丈夫です、歩けます。」


「そうか…残念。」

ハハッと正臣は笑いながら、香世の手荷物を持ち正臣が歩き出す。



「危ないから手は繋ごう。」

半ば強引に手を取られ廊下を歩く。


玄関を出ると雨は勢いを増して降り続いていた。

正臣が構わず、待っていろと言って軍服を脱ぎ、香世に羽織らせ走り出そうとするから、


香世はギュッと手を握り引き止める。


「正臣様!もうちょっと小降りになるまで待ちませんか?」


正臣は香世を見てフッと笑い、雨を睨む。


「小降りになるか?

早く香世を連れて帰りたいのだが…。

寒く無いか?」

香世の事ばかり心配する。


「軍服が暖かいですから、大丈夫です。

それより正臣様の方が寒そう…どうしましょ

傘を借りて来ましょうか?」


「また、返しに来るのも面倒だ。

出来れば病院には二度と来たくない。」


正臣が子供みたいな事を言うから、香世は思わずふふっっと笑ってしまう。


「香世は意識が無かったからだろうが…

この場所は事件の日の事を思い出す。

香世を失うかもと思うと生きた心地がしなかった。」


「心配させてごめんなさい。

私も…真壁さんがお怪我をされた時、同じ気持ちでした。もう2度あんな思いは嫌です。」


「そうだな…。」


忘れていた正臣との記憶が頭をよぎる。

一年も立たないのにいろいろな事があったなと思う。


この先もきっといろいろな事が起こるだろうけど、この手を離さなければきっと幸せは続く。

そう思いながら、香世は繋いでいる正臣の手をじっと見つめていた。


「香世、結婚式より先に入籍しないか?

出来るだけ早く。

香世の父上も一応は好きにしろと言ってくれた訳だし、俺の家もとりあえずは認めたのだから。」


「本当に…正臣様のお相手が私で良いのでしょうか。」


「この期に及んで何を言う?

俺には香世しかいないし、香世しか欲しく無い。何度言わせる。

…それに、そろそろ敬称は要らない。

呼び捨てでも構わない。敬語も使うな。」


覗き込むように香世を見てくる。


「そ、それは無理です。


…正臣さんって、お呼びしても良いですか?」


正臣がはぁーっとため息を吐くから、

香世は気を悪くさせたのかと心配になる。


「龍一が羨ましい。香世と平等に話していた。」


「それは…弟ですから。」


「俺だって夫になるんだから身内だろ。

もっと打ち解けて話したい。」


「だって、正臣さ…んは、年上ですし…

中尉様ですから、無理です。バチが当たります。」


雨の中、香世だけが暑くなったり寒くなったり心がドギマギして忙しい。


「まぁ、この先まだまだ長いからな。いつかはそうなる事を祈る。」


雨が小雨になったのと同時に、待っていろと言い捨てて、正臣が車を取りに走って行ってしまった。


香世は急に手を離され1人にされて、言いようの無い寂しさを感じる。


直ぐに車は目の前に来て、中から正臣がドアを開けてくれから、軍服を胸に抱きしめて急いで車に乗り込む。


「ありがとうごさいました。」

ふと正臣を見ると思った以上にびしょ濡れで

香世は目を丸くして、慌てて手拭いを鞄から出して、正臣の濡れた髪をワシャワシャと拭く。


「ハハッ、まるで龍一になった気分だな。

ありがとう。」

されるがまま嬉しそうに正臣は身を任せる。


「こんなに濡れて風邪をひいてしまいます。寒くないですか?」


香世は心配でたまらないのに、なんでそんなに楽しそうに笑ってるんだろうと首を傾げる。


「どうしてそんなに楽しそうなんですか?」


「香世が俺に遠慮ないから。」

あっ、と思って手を止める。


「ご、ごめんなさい。」

必死になり過ぎて配慮を忘れていた…

と香世はシュンとなる。


「いや、それが嬉しいんだ。いつもそうして欲しい。」


そう言って香世の持っている手拭いを奪って、今度は正臣が香世の頭をポンポンと優しく拭いてくれる。


「あ…ありがとうございます。」


「早く帰えるぞ。香世が風邪を引いたら大変だ。」

そう言って車を走らせる。


家に着くとタマキが心配な顔で待っていて

車の所まで傘を持って来てくれた。


香世に軍服を羽織らせ、先に家に入る様に促す。


雨はまた勢いを増して振り始める。


既にびしょ濡れの正臣は傘もささずに玄関に飛び込む。


「香世が先に風呂へ入れ。」


「駄目です、正臣様の方がびしょ濡れですから先に入って下さい。」

香世は一番風呂をもらう訳にはいかないと

首を横に振る。


玄関先でそんな押し問答をしながら、

正臣は濡れたシャツを脱ぎ手拭いで拭きながら、香世の手を取りずかずかと廊下を進む。


風呂場に連れて来られる。


正臣は有無を言わさず、香世が着ていたブラウスのボタンに手をかけて取り外しにかかるから、びっくりして正臣の手を思わず握る。


「えっ?えっ⁉︎正臣様?」

半裸の正臣を見るのも恥ずかしくて、俯き必死で正臣の手を止める。


「先に入るか一緒に入るかの2択だ。どうする?」

正臣の問いに慌てて香世は、


「さ、先に入ります!」

と浴室に飛び込む。


ハハッと正臣は笑って

「ちゃんと温まれよ。」

と言って脱衣場を出て行く。


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