42話 恋文

ハッと目が覚めた時、

辺りは既に薄明るくて、やるせ無い気持ちになる。


少し寝るつもりが気付けば朝になっていた。


正臣様は?

そっと布団から顔を出して辺りを見渡す。


近くの机の上にプディングの入った袋を見つける。


ああ、きっと遅くまで一緒に居てくれたはず…。

申し訳なくて心が痛む。

そっと袋を覗くと1通の手紙が入っていた。


『香世へ

よく寝ているので起こさずに帰る。

ちゃんと食べて養生するように。

夕方仕事帰りに迎えに来る。


前田に龍一と真子を学校帰りに迎えに行かせる。

幾分暇つぶしできるだろうから、

大人しく待っていて欲しい。

              正臣』


初めて貰った手紙にドキドキする。


恋文にしては素っ気なく淡々としているけど、この文の中には私への思いやりが沢山溢れている。


嬉しい、と思う。


早く会いたい、と思う。


出来ればずっと正臣様のお側に居たい。

だけど…お父様の事を考えると…


はぁーとため息が落ちる。


正臣様が、私じゃ無い誰かと寄り添い歩く姿を想像するだけで涙が出そうになるのに、

この気持ちを諦めなければならないのだろうか…。


正臣様に軍人を辞めさる訳にはいかない。


沢山の部下が彼の事を慕い信頼されている。

私だけが彼を独り占めする訳にはいかない。


そう思うと気分が沈み気持ちが落ち込む。


私から離れなければならないのなら、いっそ嫌われる方がマシかも知れない…


そんな事を考えながらプディングを一つ頬張る。


プディングは甘くて、とっても美味しくて

涙がポロポロと溢れ出る。


ヒックヒックと啜り泣きながら子供みたいに

プディングを頬張る。


その時突然、

トントントントン

と控えめにノックが聞こえ、


ガラガラガラ

と病室の扉が開く。


えっ⁉︎とそちらに目を向けると、


えっ⁉︎と入って来た人物も目を見張る。


それは、正臣様だった。


まだ朝早い時間帯に、どうしてここに?

驚きで涙も止まる。


カツカツカツと革靴を鳴らし、

軍服姿の正臣様が大股で近づいて来る。


「何故…泣いているのだ?」

怪訝な顔で心配そうに覗いてくる。



(香世side)


「あ…、あの、プディングをありがとうございます。」

慌てて私は涙を拭いて正臣様に頭を下げる。


正臣様はベッドに座ったかと思うと、私を抱き寄せ腕の中に閉じ込める。


思わず、食べていたさじを落としそうになる。


暖かな温もりに包まれて、背中を優しく撫ぜられる。


「何故泣いている?」

再び問われて答えに戸惑う。


「あの…

プディングがあまりにも美味しくて…。」

言葉が見つからず、咄嗟にそんな事を言ってしまう。


「来て見て良かった。

香世を1人で泣かせるところだった。」


ふぅーと息を吐き、

私の頬に流れ出た涙を拭いてくれる。


「起きた時に誰も居なかったから寂しくて泣いたのか?」

どうしても涙の訳を知りたいらしい正臣様が、探るかのように聞いてくるから困ってしまう。


離れるべきなのではと思案していたなんて、

当の本人を目の当たりにして言える訳が無い。


私は首をかすかに横に振る。


「じゃあ…家に早く帰りたいのか?」

まるで事情聴取をするように、追求の手は緩めてくれない。


「何でもないは無しだ。

香世の答えを貰うまでは仕事に行かないぞ。」

脅しのような言い方をされて、困って顔を見上げる。


正臣様の心配そうな瞳を見つめる。


堪忍して口を開く。

「お父様に…認めてもらえなければ…

私は正臣様から離れるべきではないかと、考えてました…。」

自白した途端、また涙がポロポロ出て来てしまう。


「涙が出ると言う事は…離れたく無いと思ってくれているのだな。

良かった…。

あの人の事は心配するな。俺が何とかするから、大丈夫だ。」


力強くそう言われて、こくんと頷くしか無い。


「だてに、長く親子をしている訳じゃ無い。

捻くれてて分かり辛い面倒な人なんだ。

俺もそうだがな。

捻くれ者同士分かり合える事もある。」


そう言って笑う正臣様はにこやかに見えるから、既に打開策はあるようだ。



私は涙を拭き、正臣様を煽り見る。

 

「香世は、俺が軍人を辞めるのは嫌か?」


「私は…正臣様がそうしたいと思うのなら、応援したいと思います。」

正臣様の人生だからやりたいように生きて欲しいと思う。


軍人じゃなくなっても彼は変わらないと思うし、彼が抱えている重荷が少しでも降りるのなら、それも良いのかも知れない。


「何か他にやりたい事があるのですか?」


「そうだな。

今まで引かれたレールに何となく逆らう事無く乗っていたが、いささか窮屈で重たく感じるようになった。

香世がついて来てくれるなら、これからは自由に生きるのも良いなと思っている。」


フッと笑うと私の頭を撫ぜて安心させる。


「この先何があっても、香世を手放す事は無いから心配するな。」


もう一度ぎゅっと抱きしめられて心の底から安堵した。


その後、タマキさんが作ってくれたおにぎりを2人で食べて元気が出た。


正臣は病室から仕事に出かけて行った。




昼前に思わぬ人が訪れる。


ガラガラガラガラと、病室の扉が重々しく開いてドキンと鼓動が踊る。


正臣様のお父様と…

眼鏡を掛けた付き人の人…

あれ⁉︎どこかで会った事が…。


どこだろう?

…あれは…花街から正臣様が救い出してくれた日にいた人だ。


そう思うと、少しだけ重い空気が軽くなった気がした。


ベッドの上で頭を下げて出迎える。


「昨日は突然伺い驚かせてしまい、大変申し訳ありませんでした。

体調の方は大丈夫ですか?」

眼鏡の男がこちらに近付き頭を下げてくる。


私も慌てて、

「い、いえ…あの、私の方こそ何もお構い出来ず…申し訳ありませんでした。」

と、頭を下げる。


「聞けば香世様は近々、お父様の会社を継いで役員職に就かれるとお聞きしました。」


この人…何てお名前だったかしら?

と考えていると、突然そんな事を言われてびっくりする。


「え、えっと…父がお世話になった方に、少しでも恩返しが出来ればと、会社のお手伝いをしに行く事にはなってますが…。」


何だか話が大きくなっている様な気がして

首を傾げる。


「正臣は、子供の頃から何を考えているのか分からない様な子だったが…

ここに来て、家督を継がず弟に譲ると言って来た。しかも軍も辞めて貴方の会社で働くと言う。正臣をたぶらかしてどう言うつもりだ?」

突然、正臣様のお父様から鬼の形相でそう言われ驚き固まる。


「えっ⁉︎たぶらかす…?」

訳が分からず口にする…


「大旦那様。

その様な言い方では角が立ちます。

香世様にお願いしなくてはならないのですから、もっと穏便にお話しを。」

眼鏡の男に嗜められて、お父様は咳払いを一つする。


あっ!思い出した。

古賀さんだわ。確かタマキさんの旦那様…。


正臣様とも親しそうにしていたから決して

悪い人では無いはず。


そう思うと、眼鏡の奥の冷めた瞳が、急に悪戯っ子の様に見えて来るから不思議だ。


「その…なんだ…。

香世殿に、あの愚息を説得して欲しいのだ。

2人の結婚も許す。

好きにしてくれて良いから、家督を継いで、これまで通り軍で働くように言って欲しい。」


開き直ったようにそう言われて、唖然としてしまう。


昨日は私に手切金を渡して、別れろと言っていた人と、同一人物なの?

と思わず思ってしまう。


「大旦那様。

お言葉ですが、まずは昨日の事の謝罪をしなくてはいけませんよ。香世様は混乱なさっております。」


古賀がまた正臣の父に向かってそう嗜めるから、どちらが上なのか良く分からなくなってくる。


お父様は古賀さんに何が弱味でも握れているのかしら?

とおかしな方にまで考えが及んでしまう。


お父様はまた一つ咳払いをして、


「昨日は手荒な事をして申し訳けなかった。

しかし、正臣と君の気持ちを確かめたかったのだ。本気では無かった。」


正臣の父の言葉に戸惑いながら、


「あの…大丈夫です。

私、意外と打たれ強い方なので…

正臣様から追い出されるまでは、お側に居たいと思っていますから。」


言いながら、何だか恥ずかしくなって照れ笑いをしてしまう。


「それで…許してもらえるのだろうか。」

開き直った父親がそう聞いて来るから、


「お父様とは私も仲良くなりたいので、本気ではなかったと聞いてホッとしました。」


率直な気持ちを伝える。


「では、正臣を説得してくれるか?」


「えっと…

私の言う事を聞いて貰えるか分からないのですが…。」


「正臣様は、香世様の言う事に従うと言っておりました。」

すかさず古賀さんが話に入ってくる。


「そう、なのですね…。

分かりました。今夜迎えに来てくれるそうなので、お役に立てるかどうか分からないのですが…その時に聞いてみます。」


「分かった。

では、良い返事を聞かせてくれ。」

そう言って、正臣の父は踵を返して去って行く。


「フッ、本当に素直じゃない人だ。

ご静養のところ、お騒がせして大変申し訳ありませんでした。」

古賀さんが頭を下げて謝ってくる。


「何故、この様なことになったのですか?」


「正臣様から今朝実家に電話があったんです。家を継がないし軍も辞めると言っておられました。

その時に、貴方と和解してちゃんと許しを乞うたうえで、なおかつ貴方との結婚を認める事を条件に出されました。

それに、香世様からの説得が無い限り気持ちは変わらないとも言っておいででした。」


何故そこまで徹底してお父様を謝らせたかったのだろうか?

私なんかの為にそこまでしなくても…


「お父様は大丈夫でしょうか?」


「それはどう言う意味ですか?」

古賀が聞いて来るから、


「あの、その…きっと自尊心を傷つけてしまったのでは無いかと思いまして…。」


「なるほど…。」

古賀はそう言って、うんうんと1人納得したように首を縦に振るから、


「えっ?どう言う事ですか?」

と、今度は私が問う番だった。


「大旦那様は、元々昔気質な軍人で男尊女卑の思考が強くおありでした。

正臣様はその事も気に食わなかった訳です。


貴方に頭を下げ許しを乞う事が、どれだけの重荷になるか分かった上でそう仕向けて、尚且つ貴方の説得でしか聞かないと言う風に徹底した。

これは、この国が目指すべき男女平等を示したかったのかと思われます。」


「そ、そんな大層なことまでお考えだったんですね。」

驚きと共に正臣に対して尊敬にも似た気持ちになる。


「正臣様は以前、私にこう言っておりました。男がどんなに鍛え強くなろうとも、世の女性には決して勝てないのだと。

結局のところ、男も女性から生まれ育てられるのだから、もっと尊み大切にするべきなのだと。」


「素晴らしい考えだと思います。」

感極まって、つい食い気味に言ってしまう。


「香世様にも、この時代の新しい女性の1人になって貰いたいのでしょうね。」

古賀さんの眼鏡の奥の瞳が笑う。


「そんな…たいそうな事は出来ませんが、

私なりに頑張りたいと思います。」


私も彼が思う理想の世界の一部になれればと思う。

無性に正臣様に会いたくなる。


「正臣様の事を誇りに思います。」

古賀さんがそう言ってくるから、


「私もです。」

と、微笑み返す。


その日の午後は、

前田さんが学校帰りの龍一と真子を連れて来てくれて、病室は一気に賑やかになった。


龍一と真子の宿題を見ながら過ごす。


真子が急に思い出したかのように話し出す。


「そう言えば、この前二階堂様がね、

夕方仕事帰りに来てくれて、施設のみんなで食べなさいって柏餅をくれたの。

すっごく美味しかったから、姉様からお礼を伝えてね。」


「そうだったのね…

伝えておくね。私もその日の手土産は柏餅だったよ。正臣様はいつもそうやって皆に良くしてくれるよね。」


聞かされてなかったから驚いたけれど、正臣はいつもきっと何気無くそうやって、当たり前のように人を喜ばせてしまうんだろう。


彼にとってそれは慈善活動の枠を飛び越えて、家族のような振る舞いなんだろうな

と思う。


「僕も柏餅食べたよ!

二階堂様からのお土産だって聞いた。」


「そうなのね。正臣様にお礼を言わなくちゃね。」

凄い人だと改めて実感する。


「ねえ。みんなで正臣様にお礼をしない?

例えば折り紙で何が作るとか…お菓子を作って渡すとか…何が良いと思う?」


私の提案で子供達が真剣になって考え始める。


「二階堂様はきっと甘いものがお好きだから、何かお菓子を作るのはどう?」

真子ちゃんがそう言うと、


「内緒で練習して歌をプレゼントするのはどう?」

龍一が目をキラキラさせて言う。


「せっかくなら日頃のお礼も兼ねて全部やりましょうか。いつが良いかしら?」

私も楽しくなってきていろいろ模索する。


「二階堂様の誕生日はいつ?」

真子ちゃんが私に聞いて来る。


「誕生日?そう言えば知らないわ…。」


みんな一斉に前田さんに振り返って聞いてみる。

突然みんなに見られて、前田さんがえっ⁉︎っと驚く。


「二階堂様の誕生日はいつですか?」

龍一がすかさず聞く。


「ボスの、誕生日ですか?

…確か夏辺りだった様な…うーん。」

前田が腕を組んで考え始める。


「えー⁉︎知らないの?

この中で一番長く二階堂様といるんだから、

思い出して下さいよー。」

真子ちゃんに急かされて、

前田は真剣な顔で考えるが、


「確か…七夕祭りに近かったような…」


前田が絞り出した答えは曖昧なもので…

部屋にいる誰もが前田をじとっとした目で見つめる。


「お言葉ですが!

人の誕生日なんて覚えられませんよ。

ましてや男同士で知ってたら、逆に気持ち悪いじゃないですか!」

前田がそう言って反論する。


「ここは香世ちゃんが聞き出すべきだ。1番長く一緒に居るんだから。」

前田が良い考えだと言うように、ニコッと笑う。


「えっ…。私そう言うの苦手です。」

私が聞き出すの⁉︎


責任重大だ…

絶対不自然過ぎて何かあるって見破られそう…


「二階堂様は施設の子供達みんなに毎年誕生日プレゼントを渡してるよ。

そうだ。みんなにも相談してみよう。」


真子ちゃんが飛び上がってそう言い出すから、思っていた以上に規模が大きくなりそうだと心配になる。


「あまり人を集めるのは正臣様が驚かれてしまうし、バレてしまうから3人でこっそり計画しましょ。

私も頑張って誕生日聞いてみるから。」


3人と前田さんも巻き込んで、

あーでも無いこーでも無いと相談しながら

日が暮れていく。


「香世姉様、絶対よ。

明日には聞きに行くからね。くれぐれもバレないようにね。」


夕方になり帰り際、

再度、真子ちゃんに念を押されてしまう。


「分かったわ。今日中に聞いてみるから…。」


「香世ちゃん、良いこと教えてあげる。

もし聞き出せなかったら、軍服のポケットに身分証明書がある筈だからそこに書かれている筈だよ。健闘を祈ります。」


前田にまでそう言われ、変な緊張感だけを残して3人は帰って行った。


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