41話 緊急入院

一方正臣は前田の運転で病院に急ぐ。


ぐったりとした香世を隣に寝かせ膝枕をする。


軍法会議の最中だった。


しかしそんな事はどうでも良かった。


会議前ギリギリで古賀から電話で伝えられた内容に人知れず怒りを覚えた。


部下をこちらに寄越すことも可能だったが、

自ら乗り込んで香世を守りたいと切望した。


気を失った香世を見て、

何故もっと早く阻止出来なかったのかと悔やむ。


彼女の細っそりとした首に指を当て、

脈を測る。

トクトクと打つ脈を確認して安堵はするが不安は拭えない。


このまま2度と目覚めなかったらと思うと

とてつも無い恐怖を感じる。


香世が何事も無いことをひたすら祈る。


病院に到着し、待機していた救急隊に香世を託す。

タンカーで運ばれて行く姿を見つめひたすら祈る。


「ボス、今から戻れば軍法会議に間に合いますが…。」

運転手の前田が遠慮気味に問いかける。


「今更行った所で何も変わらない。

いっそ軍人なんか辞めてしまおうか。」

そう言う正臣は真顔だ。


「香世ちゃんは大丈夫ですよ。

きっと今まで何度も生死の淵を彷徨って、それでもちゃんと戻って来た。

彼女の生命力を信じましょう。」


「本来、香世は何度もそんな目に遭っては行けない人なんだ。」

正臣はため息を吐いて天を仰ぐ。



夕方近く、

正臣は病室でひたすら香世に寄り添い手を握っていた。


それぐらいしか出来なかったが、側から離れる気は毛頭無い。


先程、軍法会議を代わりに出席した真壁が駆けつけて来た。


「大将が直接、二階堂中尉はお咎め無しと

通達がありました。」


正臣はハッと鼻で笑って、

「いっその事、首にしてくれたら良かったのに。」

と、辛辣な事を言う。


「何を馬鹿な…貴方がいなくなったら、

我々はどうすれば良いのですか!」

真壁は嘘でも恐ろしいと言うような顔で

正臣を見る。


その声に反応したのか握っていた香世の指がピクッとなる。


正臣は慌てて香世の顔を覗き込み、


「香世、香世…?」

と、声を掛ける。


瞼が震えて薄く目が開く。


「香世!分かるか?」


ボーっとしながらも香世は辺りを見渡し、

正臣を見つめる。

「正臣様……ここは…?」


弱々しいながらも声が聞けて、正臣はここでやっと安堵する。


「…私どうして…?」

ボーっとする意識の中で一生懸命に思い出そうとする。


「父がすまなかった。

突然来た上に酷い言葉を投げつけられたのでは無いか?

あの人の言葉は一切気にしなくていい。」

痛々しいほど唇を噛む正臣の頬に手を伸ばし


「私は大丈夫ですから、ご自分をあまり責めないで…。」

と、香世は言う。


それよりも何よりも、

正臣は香世から触れて来た事に驚きを隠せない。

香世が記憶を失ってから一度もそんな事は無かった。

手に触れるだけで真っ赤になっていたのに…



「香世…全部思い出したのか?」

正臣の問いかけに香世がこくんと頷く。


「真壁、医者を呼んで来い。」

信じられないと言う顔をした真壁にそう伝える。


「はい!」

バタバタと真壁が病室を出て行く。


「本当に…俺の事も全部思い出したのか?」


「はい、正臣様。

何故思い出せなかったのか不思議なくらいです。

ごめんなさい、寂しい思いをさせてしまいました。」

香世は手を握ったままの正臣の手に反対の手を重ねる。


「そうか…良かった。本当に良かった。」

正臣にとってこんなに嬉しく思った日は

今まで無かった。そのぐらい嬉しい。


握る香世の手に力を込めて、

「唇に口付けしても許されるか?」

と、思わず問う。


「はい…。」

と、香世が恥ずかしそうに頷くから、すかさず顔を近付け唇を重ねる。


「香世、好きだ愛してる。」

そう伝えずにはいられない。


「私も…お慕い申し上げております。」

恥ずかしそうに淵目がちに言う香世が愛しくて、もう一度と唇を奪う。


ガラガラっと容赦無く扉が開かれ、医者が駆け込んで来る。


正臣はパッと香世から離れ立ち上がるから、

香世は可笑しそうにクスクス笑う。


医者の後に真壁と運転手の前田も、安堵の表情で入って来た。


「香世ちゃん大丈夫?」

前田が正臣を退け香世に近付く。


「前田さん、もう大丈夫です。ご心配をおかけしました。」

香世はベッドの上で身体を起こす。


「香世ちゃんが退院してからも合わせて貰えなくて、寂しかったんだ。」

前田は正臣を恨めしそうに見る。


そんな2人の様子を見て香世は微笑む。



「すいませんが、診察をしたいので皆さん廊下に出て下さい。」

看護婦に咎められて男達は静かに廊下に出る。


香世は医者からいろいろと問診され、異常が無い事を確認してホッとする。


正臣の父に会ってからずっと痛んでいた頭痛も今は無い。


それよりも、忘れてしまっていた3年間の記憶が蘇り、頭がハッキリしてすっきりした気分がしている。


「今夜はとりあえず安静の為に入院して様子を見ましょう。なんとも無いようなら、明日には退院出来ますので。」


「はい、ありがとうございます。」

香世は医者に頭を下げてお礼をする。


「しかし、あの二階堂様があんな風に慌てられるのは初めて見ました。

部下が怪我をしてもご自分が怪我されても、至って冷静な人だったのに、婚約者様には特別なんでしょうね。」


軍病院なのだから、これまでもきっとお世話になっているだろうと想像はしていたが、

婚約者だと知られているのだと思うと少し恥ずかしくなる。


「ご存じだったのですね…。ちょっと恥ずかしいです。」

香世は照れ笑いする。


「貴方が怪我で運ばれて来た時から、目覚めるまでずっと付きっきりでしたよ。

今日だって仕事中に駆けつけて来られたんですよね。」

確かに、軍服のままの正臣は仕事を抜け出して来たのだろうか…香世は急に心配になる。


「本当ですね…お仕事大丈夫なんでしょうか…。」


「二階堂中尉は厳格で怖い人だと、患者から良く聞いていましたが、まったくそのような感じを得られなかったので驚きましたよ。」


「そうなんですね…。」

と、苦笑いするしか無かった。


確かにさっき、実父と対面していた時の正臣は鬼のようだと思ったけれど…。


止めなくちゃと必死だったせいか、怖いとは思わなかったな、と香世は思う。


医者としばらく談話して、また何かありましたら直ぐ連絡を、と言い残し部屋を去っていった。


「あの医者、どんだけ待たせるんだ。」

悪態を吐きながら正臣が病室に戻って来た。


軍服姿の正臣に香世は心配になる。


「正臣様、お仕事の途中でしたよね?

戻らなくても大丈夫なんですか?」


「ああ、真壁が体調不良で早退だと上部に伝えたらしいから、今日は戻りようが無い。」


香世は驚き、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「あの、ごめんなさい。

私のせいでわざわざ早退させてしまって…。」


「香世のせいじゃ無い。

強いて言えば親父のせいだから気にしなくて良い。」


軍服の上着を脱ぎながら正臣は笑う。


「しかしずっと制服のままも寛げないから

今、前田に着替えをお願いした。

それより、栄養が足りて無いと医者から聞いた。そんなに食べれてなかったのか?」

正臣はため息を吐く。


「…あの、余り食欲が無くて…。」


「意識してちゃんと摂らないといけない。

香世はただでも食が細いんだ。

1日5食ぐらいに分けてでも食べるべきだ。」


「…それは、たちまちお相撲さんみたいになってしまいますよ。」

香世はクスクスと笑う。


「今、前田にプディングもついでに買わせているから、後で一緒に食べよう。」


「はい、ありがとうございます。」


「少し休んだ方がいい。」

そう言って香世をベッドに寝かし、正臣はベッド脇に腰掛ける。


そっと正臣の手に触れ、

「ずっと手を握っていてくれてありがとうございました。凄く心強かったです。」


「俺に出来る事はそれぐらいしか無いから。」

香世の前髪に触れそっと掻き分け額に口付ける。


「これはなかなかの試練だ…

今まで我慢していた分、衝動的に触れたくなってしまう。」

苦笑いしながら正臣が、香世の髪を愛おしいそうに触れる。


「我慢なんてしないで…」

香世はそう小声で呟く。


「…そんな事言われると、歯止めが効かなくなりそうだ。」

正臣は笑ってベッドから立ち上がり、近くに置いてある椅子に座り直す。


「少し寝た方が良い。」

香世の手をとってぎゅっと握ってくれる。


「ありがとうございます。」

その温もりが嬉しくて安心して目を瞑る。


怖い人だと言うけれど、

やっぱり正臣様は本当は優しくて、心の暖かい人だと香世は思った。


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