32話 意識不明の重体
そのまま香世は軍病院に運ばれ、
出来る限りの処置を施す。
沢山の管に繋がれて処置が終わったのは明け方だった。
正臣は感情を無くしたかのように、香世のそばに寄り添い手を握り、ひたすら申し訳なかったと心で詫びる。
願う事はただ一つ、
目を覚ましてくれと寝ずに祈り続ける。
明け方、部下の真壁が病室に訪れる。
「二階堂中尉、本日は朝から昨日の報告会議となっております。参加可能ですか?
自分が代わりに出る事は不可能に近く…
このような時に大変申し訳けありませんが、
出席して頂きたいのですが…。」
どう見ても痛々しいほど憔悴しきった、正臣にかける励ましの言葉もなく、真壁は淡々と事務作業のように、話しかける事しか出来ない自分を不甲斐なく感じてしまう。
「分かった。このまま本部へ行く。」
正臣がおもむろに立ち上がり虚な目で歩き出す。
その後を真壁は追いながら、正臣の事を心配する。
「二階堂中尉、一度自宅に戻り身を清め、
食事をとるべきです。
少しだけでも身を休めなければ貴方が倒れてしまいます。」
「…分かった…一度戻る。」
車に乗り込み真壁の運転で自宅に帰る。
「香世様はきっと大丈夫です。
必ず目を覚まします。
目覚めた時、貴方のそんな姿は見たく無いはずだ。」
正臣の今の姿は、痛々しくて見ていられない。
「俺は…あの時、かける言葉を間違えたのかもしれない。」
力無く正臣はそう呟く。
「自分はそうは思いません。
あの時、貴方は最善で最短に事件を解決しようと、犯人にかけた言葉は間違いでは無かった。香世様だって分かってるはずだ。
香世様が1番貴方の心を心配しているのではないでしょうか?」
真壁は思いのタケを話して聞かせる。
「香世が戻って来なかったら…俺は……。」
香世の血で汚れたままの手を見つめ、罪の意識に押しつぶされそうになる。
「朝、いつもの時間に前田さんに迎えに行かせます。それまで、寝て身体を休めて下さい。
香世様のためにもそうするべきです。
絶対、彼女は意識を取り戻します。
その時、貴方が元気でなければ悲しまれます。」
正臣は目を閉じ瞼の裏に香世の笑顔を映し出す。
彼女の為に最後までこの任務を全うしなければならない。目覚めた時、彼女に恥ずかしく無いように…。
家に帰ると、明け方にも関わらずタマキが玄関で待っていた。
「香世様は?ご無事ですか⁉︎
その血は?誰の血ですか⁉︎」
タマキは俺の手を見て青ざめ、事の重大さを知る。
「香世は…病院に、怪我の処置をしたが…
頭を強く打った為、未だ意識を取り戻さない。後で身の回りの物を持ち看病に行って来てくれ。」
「まぁ……なんて事でしょう…。」
タマキは座り込み、発する言葉も忘れて途方に暮れる。
「俺は風呂に入ってとりあえず軍法会議に備える。」
淡々とそう言って、正臣はまだ薄暗い廊下を歩き風呂場に消える。
呪文のように頭の中で香世の名を唱えながら、風呂に入り身体を洗う。
(香世…頑張れ。死ぬな…目を覚ましてくれ…香世…。)
手から洗い流される香世の血が、お湯に溶け流れるたびに、やるせない思いで涙が流れる。
大人になって涙など流した事は一度もなかった…
それなのに今、流れる涙を止める事も出来ず、ただひたすら彼女が目覚める事を祈る。
朝になり布団から這い出る。
寝ようと思っても香世の姿が思い出され、
なかなか寝る事が出来なかった。
気だるい身体を無理矢理起こすが、
毎日の日課の竹刀を振る事も、朝飯を食べる事もほとんど出来ず。
前田の運転で司令本部に行く。
「ボス、香世ちゃんはへこたれない。
きっとすぐ目を覚まして元気になる。
もし、軍法会議中に一報が入ったらすぐさまボスに連絡するから力を落とさないで、貴方が信じてあげなくてどうするんですか。」
「そうだな…よろしく頼む。」
魂が抜けたような顔をして、正臣は淡々と返事をする。
司令本部の会議室につき、昨日の一部始終を真壁が報告をする。
「怪我人は銀行支店長の林田さんと、樋口香世さんです。
彼女は自分を犠牲にしてまで人質を助け出そうと、1人果敢に人質になると自ら名乗り出たそうです。しかし彼女は頭を強く打ち…未だ意識が無い状態です……。」
「樋口香世は二階堂中尉の婚約者だろう?」
父である大将が正臣に問う。
「……。」
言葉を発しない正臣に再度、
「二階堂中尉、返事をしろ!」
「はい…。彼女は、私の婚約者です。」
正臣が淡々と述べる。
そこから、昨日の報告を正臣自身話し始める。
一切感情を動かさない機械的な状態だった。
途中、真壁は心配な眼差しで正臣を見つめていたが、最後の撤退のくだりに、なり話を引き受け真壁が話し終える。
「ご苦労だった。
後は5班が犯人の事情聴取を引き受け、
滞りなく裁判に持ち込めるようお前達にも協力を要請する。
最善を尽くし、被害者が少なく済んだ事を嬉しく思う。」
大佐の言葉をもらい会議は終了する。
執務室に戻っても、前田からの香世の朗報が届く事はなく、正臣は無心で事務処理を黙々とこなす。
コンコンコン。
お昼過ぎ、正臣の執務室に来客が訪れる。
昼飯も食べずに仕事に没頭していた正臣の手を止める。
「はい、どうぞ。」
コツコツと革靴を鳴らして入って来たのは
父の二階堂大将だった。
入隊してから一度たりとも訪れた事の無かった来客に、正臣も少し心が動く。
「どうなさいましたか、大将殿?」
「…お前はこんなところに居ていいのか?」
言葉少なに父が言う。
「はい?」
何を言いたいのか掴めない正臣は父を見つめる。
「婚約者を放っておいて、仕事をしていていいのかと言っている。」
「は?
貴方がそのような事を言うとは…驚きですが。」
子供の頃から父親らしい事を言われた事も無かった。
それに、人を愛するなと言う祖父の教え通り、家族に情を示す事もなかった男が今更息子に何を同情するのか?
と、正臣は思う。
「私が持って行く見合い話しを全て断り続けたお前が、樋口香世とは直ぐに夫婦になりたいと言う。
それほど迄に本気の相手を、なぜ放って仕事をしているんだ?」
「いかにも、香世は大切な人であり私の全てです。
けれど今は彼女の側にいても何も出来ない…。
だから、きっと彼女が望むであろう事をしているまでです。」
「お前がなぜそこまで彼女にこだわるのか
分からないが…
恋にうつつを抜かすなと祖父に言われた事を忘れてないだろうな。」
何を言いたいんだ?
父の言葉は矛盾ばかりで全く持って脈略がない。
香世のところに行くべきだと言うのに、
恋にうつつを抜かすなと言う…。
「私は彼女に恋をしてる訳では無く、
愛しているんです。
彼女の為なら強くなれるし命だって捧げます。
彼女が目覚めるまで、自分は自分の成すべき事をするまでです。」
「今日は…止めておけ。
子供の頃からお前は妙に大人びていて、何を考えているのか分からなかった。
私のせいでそうなったのだとは思うが…
まったく心の読めないイケすかない子供だったな。
そのお前が今日は…分かりやすく落ちているように見えた。
これ以上働いても無意味だ。
彼女が目覚めるまで彼女の側にいろ。」
父が父らしく無いことを言う。
既に感情を手放した正臣は、どこか他人事のように父の言葉を聞き、
「昨日の引渡し書を作成しているところです。私のせいで仕事を滞らせる訳にはいけません。」
お互い一歩も引かず埒があかない。
「これは上司命令だ。
直ちに仕事を止め、病院へ行け。」
父がそう正臣に命令する。
少しの間の後、
「分かりました…残りは真壁に回します。」
正臣はおもむろに席を立ち上がり、帰り支度を始める。
父に心配されるほどそんなにも俺は弱って見えるのだろうか…
と、正臣は頭の隅で朧げに思う。
「彼女の容態が落ち着いたら私にも一報くれ。」
そう言い残して、父は去って行った。
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