29話 事件発生
朝からふと、昨日の事を思い出しては赤面してしまう。
そんな事を何度か繰り返しながら香世は1人街へ出かける。
昨日、いつの間にか寝てしまったらしく、
目が覚めたら正臣に抱きしめられて寝ていた。
驚いて、固まり心拍数が急上昇した。
何故こうなったのか思い出し、
赤面してジタバタしそうな気持ちをなんとか
抑え、正臣を起こさないようにじっとしているしか無くて、途方に暮れたのだった。
そうしているうちに少し気持ちが落ち着き、
正臣の寝顔をしばらく綺麗なぁと見惚れていた。
閉じた瞼の上に小さな黒子を見つけて、
なんだかとても嬉しくなった。
願わくば知っているのは自分だけでありたいと思ってしまう。
その事を思い出し、
香世は1人ふふふっと笑う。
今日は姉に頼まれたお使いで銀行に来ていた。
良くも悪くもご令嬢として育った姉は、
1人では外出しないし、
着物だって1人では着られない。
それで不自由しない生活を送っていたから仕方がないのだけれど…。
お金の価値をよく知らないので、
消費癖がなかなか治らないのが困まりどころではある。
どうしても10円が必要なのだと言う。
香世が理由を聞いても内緒だと言って教えくれなかった。
実家の財産が今どのくらいあるのかも気になるし、父が無駄使いする前に、
新しい預金通帳に分けて置きたいとも思っている。
銀行の窓口に行くと個室に通される。
新しい預金通帳をお願いして、
今の預金通帳を見せてもらう。
香世は預金通帳を見ながら
えっ⁉︎と驚く。
香世が正臣の家に入った月から
定期的に10円ずつ正臣からの入金が入っていた。
何も聞いていなかった…。
何故こんなにも無償の愛をくれるのだろうと
心が震える。
泣きそうになるのを堪えて、
父が使えないように今の通帳にはほんの少しだけ残しておく。
10円だけを姉の為に引き出して大切に懐にしまい席を立つ。
と、その時…
バタバタバタバタ
人が走り来る足音がしたかと思うと
パンパンと乾いた音がどこかで鳴り響く。
何事⁉︎
個室にいた銀行員は騒めき、
香世に机の下に身を隠すように言って足速に出て行った。
何が起きたか分からないながらも、
ドクンドクンと心臓が脈打ち意も知れぬ恐怖が頭をよぎる。
机の下に入り小さくうずくまる。
罵声や悲鳴が飛び交う声が聞こえ
香世は恐怖に慄く。
正臣から桜祭りで買ってもらった巾着袋を
抱きしめ祈る。
正臣様…
香世の頭に浮かぶのは正臣の顔ばかり。
バン!!
と蹴られたドアの音と共に数人の足音
「出て来い!出て来ないと打つぞ!!」
香世がしゃがんだ目線から黒光りする革靴が
2足…
一瞬迷うが、
出るしか無いと覚悟を決めて、震える体を抱きしめ机の下から恐る恐る出る。
「この部屋にはお前しかいないか?」
低くドスのある声に震えながら、こくんと香世は頷く。
押し入って入って来た2人の男達は、香世の腕を乱暴に掴み廊下にグイッと押し出す。
「ロビーに連れていけ。」
男の指示でもう1人に腕を引っ張られ、ロビーに連れて行かれる。
既に集まるように身を固めていた客や、従業員と共に手を縄で後ろでに縛られて座らされる。
香世は心の中で正臣の名をひたすら唱え、
唇を噛み締めて事の成り行きを見守る。
「これで全員か?便所は?物置までくまなく探せ。」
主犯格らしき人物が部下に指示する。
全員で5人ほど皆、頭巾を被り顔は分からない。
目的は何?
お金の請求ならこんな事しないで直ぐに立ち去るはずだし、何を要求しているの?
香世は少し冷静になった頭で考える。
どうやってこの場を切り抜ける?
「我々の大義名分は、この銀行の横暴かつ残虐極まり無い態度を見兼ねて立ち上がった。
我々は被害者である。」
銀行の被害者…
父の会社のようにお金を借りられ無かった人達だろうか…
それか…取り立てが厳しくて払えなくなってしまったのだろうか…
香世はいろいろと思いを巡らす。
「ここに籠城して奪われた土地や自宅を取り戻すのが目的だ。」
我が家と似た境遇だと香世は思う。
借りたお金が返せなくなって別荘や土地を売って何とか借金は返したけれど…
それは父の無謀な会社経営のせいで、
見通しも立たず借受したからであって、銀行のせいでは決して無いのだ。
この人達だってそう言う事なのでは無いのだろうか…。
だけどその間違った大義名分の為、まったく関係の無い人を巻き込むのは違うと思う。
ここにいる人達をどうにかして助けてあげる事は出来ないだろうか…香世は考えを巡らす。
主犯格の男とこの銀行の支店長との交渉が
始まり、30分ほどが過ぎた頃だろうか…
人質として捕らえられた人々は50人以上、
その中には銀行に訪れていた客が香世を含め
18人ほど小さな子供は2人、お年寄りは3人。
女性客は見た感じ5人ほど…。
銀行員は全員で35人、
その中で女性は4人だと近くにいた銀行員から聞き出す。
香世は縛られ身動きが取りづら無い中、
どうにかならないものかと懸命に状況を把握する。
そんな中、
パンッ!!
と乾いた銃声が一発鳴り響く。
キャー
と近くにいた若い銀行員が小さく叫び、
身を震わし、人質達は騒然として不安に駆られる。
誰かが撃たれたのでは?
支店長が?
交渉決裂したのか?
我々はどうなるのか…?
人質の中から憶測が飛び交い不安に拍車がかかる。
支店長さん…
さっき香世が個室に通された際、
にこやかに部屋まで誘導してくれた人だ。
父には大変お世話になったと、お力になれなくて申し訳無かったと…頭を下げてくれた人だ。
決して悪い人では無い。
それが仕事だと言うだけで、どうして彼が撃たれなければならないのか……?
香世は下唇を噛み、どうしようも出来ない現実に打ちひしがれる。
「静かにしろ!!」
覆面の男の1人が叫び、人質達は一瞬でシーンと静まり返る。
しばらくすると、支店長が乱暴に引っ立てられて戻って来て、人質の輪の中に放り込まれる。
よく見ると足から出血しポタポタと血が流れてている。
止血しなくては…
それを見た従業員の1人が慌てて申し出て、
止血をする事が許される。
どうやら弾は太腿を貫通ているらしく、
太腿の付け根を手ぬぐいでぎゅっと結び止血をするぐらいしか出来なかった。
みるみる顔色が悪くなっていく支店長を
香世は見つめ、焦りの気持ちを深くする。
このままでは出血多量で死んでしまうかも知れない……
一刻の猶予も無いと気ばかり焦る。
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