第28話 嫉妬と至福

夕飯の宴はいつになく賑やかで

香世も終始にこにこと笑っていた。


俺にこいつほどの話術があれば

香世を楽しませてあげられるのだろうか…。


そう思いながら香世の作った佃煮を肴の当てに酒を飲んでいると、


「香世さんはこの朴念仁のどこが良かったんだい?」

いささかほろ酔い気分の松下が香世に聞く。


本人を前に酷い言い草だなと思って、俺は松下をひと睨みする。


「正臣様は朴念仁ではありませんよ。

とてもお優しいですし、

何より心が大きくて側にいてくれるだけで安心します。」


必死になって松下に抗議する香世を目の当たりにして、思わず嬉しさを隠せず口に手を当てる。


「香世、酌はもう良いから部屋に下がっていろ。これ以上ここにいたらコイツに煩く絡まれる。」


ご機嫌な松下を横目に心配になる。


「正臣様は大丈夫ですか?お茶でもお持ちしましょうか?」

心配そうに俺を見る。


「俺は大丈夫だ。飲んでも酔った事は無い。」


「えー、香世さんはここに居てくれないと

つまらないよ。」


松下が不意に香世の手を掴むから、ムッとして掴んでる手を離させるように技を仕掛ける。


「イテテテッ!おい、親友に何するんだよ。」

痛がる松下を尻目に、香世を引き寄せ握られた手を撫でて消毒する。


「いいから、向こうに行っていろ。」

髪を撫でて香世を部屋の外に導く。


「自室にいるので、何かあったら呼んで下さいね。」

香世はペコリと頭を下げて下がって行った。



しばらく酔っ払いの相手をして

ほろ酔いを通り過ぎて松下は寝てしまった。


仕方が無いからそこで寝転がしておく事にする。


後片付けをと台所へ洗い物を運んでいると

香世が音で気づいたのか、パタパタと二階から降りて来る。


「あっ、ありがとうございます。

後片付けは私がやりますから、

大丈夫そうならお風呂に入って下さい。」


「香世は、風呂に入ったのか?」


「後で頂きます、お先にどうぞ。」


「ありがとう。

香世、今夜は俺の部屋で寝ろ。

松下が下で寝てるからいささか心配だ。」


「えっ⁉︎」

目を丸くして驚く香世に、


「松下が夜這いに来たらどうする。

俺の部屋で寝た方が安心だ。後で布団を運ぶから待ってろ。」


「は、はい…。」

有無を言わせない感じで少し強引に話し

風呂へ向かう。


この時の俺は少し酒に酔っていたのか…

よく分からないが深く考えずに香世を部屋に誘っていた。


香世が風呂から上がって来たので。いつものように2人で2階に上がる。


香世は落ち着かなくソワソワしながら俺の後ろをついて来る。


香世の部屋に行き布団を一式俺の部屋に運び入れ、布団を敷き終え香世に言う。


「香世は奥の間を使え、俺はこっちで寝るから。」


「あ、ありがとうございます。

…では、おやすみなさい。」

香世はそそくさと奥の間に行き頭を下げて襖をそっと閉める。


布団に入りふと考える。


これは…

なかなかに俺自体が忍耐なのでは無いか?

と、気付く。


酔いのせいか?


…なぜか松下から香世を守らなければと言う気持ちが強く、俺自身がどうと思う事を失念してしまっていた。


襖一枚隔てただけの部屋からは、

今にも香世の寝息が聞こえてきそうだ。


早くなる鼓動をどうにか抑えて煩悩と戦う。


香世を抱くのは結婚した後だと、

自分の中で決めている。

ここで負けたら香世から得た信頼を壊す事にになる。


抱きたいし触れたいし自分の物にしたい。


そんな煩悩と戦いながら夜はふける…。


翌朝、

人の話し声で目が覚める。


いつもより寝過ごしてしまったか⁉︎


慌て飛び起き時計を見ると6時半で、

日頃から身に付いた習慣は凄いなと感心しながら、布団から這い出る。


香世はもう起きたのだろうか?

昨夜の煩悩の手前、襖を開けるにも憚られる。


そう思うだけで疼く身体を持て余しながら、

顔を洗うべく一階に降り洗面所に向かう。


汲みたての冷たい井戸水で顔を洗っていると、朝から香世が眩しい笑顔を見せて駆け寄ってくる。


「正臣様、おはようございます。

よく寝られましたか?頭は痛くありませんか?」


心配そうに俺を見上げる視線を感じながら

、どうしても目を合わせる事が出来ず、


「おはよう。」

 

とぶっきらぼうに持って来てくれた手ぬぐいを奪う。


「松下は?」

顔を拭きながら香世に問う。


「先程起きられたみたいで、頭が痛いからとお風呂に入っております。」


「自業自得だな。」


「正臣様は?大丈夫ですか?」

心配そうに俺を見て来る香世の、餅のように柔らかく白い頬を指でひと撫でする。


「俺は大丈夫だ。」

表向き冷静さを保ちながら、この綺麗な桃色の唇に今すぐ口付けするのは許されるかと、人知れず煩悩と戦う。


親指でそっと唇に触れると香世がビクッと身体を震わすから、どうしようも無く愛しさが込み上げて、両手で頬を押さえ込んでしまう。


「正臣、おはよう!」

突然背後で声がして、

パッと香世から離れ背で隠すように振り返る。


そこには風呂から出たばかりの松下がいて

朝から爽やかに笑いかけてくる。


「おはよう…朝から無駄にうるさいな。」

呆れ顔でそう言って、松下の方へ足を運ぶ。


「お前、二日酔いじゃないか?」


「酒には強いからな。

今から竹刀の稽古を付けてやるから目を覚ませ。」


半ば強引に竹刀を握らせ、庭先で朝の日課である鍛錬をする。


「はぁー、朝から無駄に元気なのはお前の方だろ。」

そう言いながらも揃って竹刀を振る。


「朝食の支度をして来ます。」

笑いながら香世は台所へと行ってしまう。


コイツが邪魔しなきゃ、口付けくらい出来たのにと、思う雑念を振り払うように俺はひたすら竹刀を振るう。


昼過ぎにやっと松下は帰って行った。


週末はタマキも休みだから、

香世と2人きりの時間をやっと手に入れる。


今からどこかに出かけるのも億劫だし、このまま家でのんびり過ごそうかと思い庭先の縁側に腰を下ろす。


「そよ風が気持ち良いですね。冷たいお茶をお持ちしますか?」

香世が優しく微笑んでくる。


「お茶は要らないからここに居ろ。」

強引に腕を引っ張り、体制を崩した香世を膝の上に囲う。


「きゃっ。」


香世は目を見開き驚いているが、戸惑いながらも大人しくしているから、抱きしめ髪を撫ぜ愛しむ。


しばらくそうしていると、

「正臣様は私が家を空けるのに賛成ですか?」

と、香世が問う。


働く事を言っているのだなと思い、


「出来ればこのまま香世を独り占めしたいと言うのが本音だが……

それでは勿体無い気もする。

もっと広い世界で輝いて欲しいとも思う。」


「私に…出来るでしょうか?

父の為に働いてくれた方々に、少しでもお手伝いが出来たらと思うのです。

きっと横暴な社長だったと思うので…。」


俺は感心する。


「そんなふうに考えていたんだな。

香世がやりたいようにすれば良い。

俺の助けが必要ならいつでも手を貸すから。」


香世が安心したように、

「ありがとうございます。

…私、頑張ってみようと思います。

正臣様の力をお貸し下さい。」


「分かった。

ただ、一つだけ約束して欲しい。

香世が帰る場所は必ず俺の側であって欲しい。どこにも行くな。」


真剣な眼差しで香世を見つめる。


彼女が世間に出て働き出せば、いろんな男共の目に止まるだろう。


魅力的な彼女を手に入れたいと思う輩だってでてくる筈だ。


…そう思うと不安でしか無い。


結婚という形で彼女を縛ればこの不安は拭えるのだろうか…。

早く俺だけのものにしたい。


「私が帰る場所は正臣様の側しかないですし、お側が良いんです。」

香世も俺を見つめてくる。


「ありがとう。直ぐにでも結婚したいが…

俺の親にも一応承諾が必要だな。」

厄介な家族だが…。


「正臣様のご家族に会ってみたいです。」

ふわりと優しい笑顔をくれる。


香世に両親を紹介するのは少し抵抗があった。


父は軍人気質で人を人とも思わないような冷酷な人間だし、今や妾の家に入り浸りだ。


そんな父に愛想が尽きた母は、外に愛人を作り形ばかりの夫婦を演じている。


そんな冷めた夫婦を見せて良いものかという思いもあって、実家に香世を連れて行けなかったのだ。


香世の事は既に父親には知られていたから、

俺の事には無関心なのかと思えばそうでも無いらしい。


「正臣様…あの、重くないですか?」


少し物思いにふけっていると、香世が膝の上から降りようとする。


「香世が重かったら何も持てない。」


香世の頬を撫で、ずっとこうしたかったのだと言うように、両手で頬を抑え唇を重ねる。


啄むように角度を変えて何度となく口付ける。

そうしていると香世の息が上がっていくから

つい、もっと深く繋がりたいと唇を割って入り込む。


このまま全てを奪ってしまいたいと思う衝動に駆られる。


ずっとこうしていたいのだが、香世がくたっと寄りかかて来るから、


「ごめん、やり過ぎた。」

咄嗟に離れて髪を撫でる。


そうすると、香世が首を横に振り抱きついてくる。


無自覚な可愛さを振りまいて俺を翻弄する。俺はまた煩悩と戦うしかない。


しばらくそのまま抱きしめていると、スースーと寝息が聞こえてくる。


ああ、香世も昨夜は眠れなかったんだな…


そう思い抱き上げて居間に戻り座布団の上にそっと寝かす。


寒くないかと押入れから毛布を引っ張り出し香世に掛け、添い寝をするように一緒に寝転がる。


思いがけず、香世の寝顔を堪能するという至福の時を手に入れる。


あどけない寝顔を見つめながらしばらく幸せを噛み締めていると、段々と自分も眠くなってきてうたた寝してしまった。

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