第25話 香世、実家に帰る。

正臣の運転で実家に向かう。


気付けば実家を出てから1か月経っていた。


香世は、随分帰ってないと思うほど懐かしいさを感じてしまう。


30分ほどで実家に到着する。


車の中から、かつて自分が住んでいた家を見上げる。


「お父上はいない時間帯を選んでいるから

安心しろ。」

正臣は香世にそう告げ優しい笑顔を向ける。


「わざわざ気遣って頂きありがとうございます。

…実家なのに、もはや他人の家のような錯覚がして、少し躊躇してしまいました。」

胸の中の思いを素直に打ち明ける。


「そうか。香世の居場所は既に俺の隣だ。

それで良いのでは無いか。」

頭を優しく撫ぜられ、目を合わせ2人微笑む。


正臣が先に外に出て、香世の座る助手席のドアを開けてくれる。


「ありがとうございます。」


久しぶりに実家の土を踏む。


正臣は片手に手土産を持ち、もう一方の手で香世の背中をそっと支える。


「行くぞ。」


少し緊張した面持ちで香世は玄関続く石畳を歩く。


洋館風の香世の実家はかつて公爵家だっただけに、洋風庭園に綺麗な花々が植えられていたが、今となっては手入れをする庭師もおらず寂れていた。


「母が元気な頃は、このお庭に花が咲き誇っていて、今の季節はチューリップが綺麗だったんですけど…。」


今は何も無い花壇を見つめ香世が昔を懐かしむ。


「では、手始めに花壇から始めるか。」


「えっ?どう言う事ですか?」

目を見開き正臣を見る。


「香世の実家を再生する。」

香世に笑いかける。


「正臣様にそこまでしてもらう訳にはいけません。」

香世は慌てて正臣を止める。


「俺の婚約様の実家だ。見栄え良くして何が悪い。結納を断られたし、替わりに好きにさせてもらう。」


「待って下さい、正臣様。

そんな事したら散財してしまいます。」


「ハハッ。そんな甲斐性無しでは無い。

心配しなくとも香世を養っていく富ならある。」


玄関に辿り着き呼び鈴を鳴らす。


しばらくするとバタバタと足音が聞こえ

玄関扉が開く。


「はい…。えっ⁉︎香世お嬢様⁉︎」

そこには驚き顔で固まるマサが居た。


「マサさん、お久しぶりです。

お元気そうで良かった。」


「お嬢様ー!!」

マサは周りを気にする事無く香世に飛び付き抱きしめる。


「お、お元気でしたか?

どうしたものかと案じておりました。」

マサは香世を抱き締めたままシクシクと泣き始める。


香世は笑いながら、

「マサさん、お父様から何も聞いてない?

私、花魁にはならなかったのよ。

ここにいる正臣様が助け出してくれたの。」


マサはハッとして香世から離れ顔を正臣に

向ける。

「も、申し訳ありません。」

マサが慌てて頭を深く下げる。


「初めまして、二階堂正臣と申します。

香世殿と婚約させて頂きました者です。

本日は、ご家族様に挨拶をと思い来ましたが、姉上と弟君はご在宅ですか?」


正臣は爽やかに笑いながらマサに告げる。


「まぁ、なんて事でしょう。

お二人共ご在宅です。今、お連れしますので、どうぞこちらにお入り下さいませ。」

口に手を当て2人を交互に見つめる。


「以前、お嬢様が家を出た日に軍人様が

尋ねて来られましたが…

その方は…えっと真壁様と言われましたが…?」


「真壁は自分の部下です。

香世殿を連れ帰るように指示をしたので、

その節はご迷惑をお掛けしました。」


正臣は丁寧に山折れ帽子を取り頭を下げる。


「私のような者にまで頭を下げ無いで下さいませ。…どうぞ、居間の方でお待ち下さい。」


恐縮しながらマサは2人を居間に案内する。


香世は久々に入った居間に寂しさを感じる。


母が大事にしていた外国から取り寄せたチェストが無くなっている。


ピアノに始まり段々と無くなっていく家財

が、未だ家計が切迫している事を物語っていた。


「香世、どうした?」

急に元気が無くなった香世を正臣は心配する。


香世をソファに座らせながら隣に座り顔を覗き込む。


「ここに置いてあったチェストが無くなっています…多分、質に入れてしまったのだと思います。」


正臣は部屋を見渡し、他にも幾つか無くなっているのだろうと察する。


「私を花街に売ったお金はどうなったのでしょうか…姉や弟の為にと思っていたのに…

生活は以前と変わって無いように見えます…。」


「そうか…大事な物は取り戻そう。」


「正臣様!本当にこれ以上はおやめて下さい。私が…貴方の側に居る事が辛くなります…。」

香世は思わず目を伏せる。


「それは困るな…。」

正臣は腕を組み考え始める。


「香世お姉様!」


パタパタと小さな足音が聞こえて来たかと思うと、バンッとドアが開き小さな男児が、香世に走り寄り飛びついてくる。


「龍ちゃん…会いたかった。」

香世もギュッと抱きしめる。


「僕も会いたかった!!」

ぼろぼろと泣き始める龍一を、香世は抱き上げ涙をこぼす。


正臣は2人の再会を優しく見守りながら、もっと早く会わせてあげられなかった事を悔やみ、心苦しく思った。


「香世ちゃん…。元気そうで良かった。」


ふんわりとしたドレス姿の姉が部屋に入って来る。


「お姉様…。また2人に会えて嬉しい。」

香世も涙目で姉に微笑みかける。


「二階堂様、妹の事を助けて頂きありがとうございました。」

姉は正臣に深く頭を下げる。


正臣もソファから立ち上がり、

「いえ…頭を上げて下さい。

もっと早く合わせてあげれなかったのかと、

今、反省していたところです。

自分の方こそなかなか連れてくる事が出来ず

、申し訳なく思っております。」


香世に抱きついて離れない龍一の頭を撫ぜて

、正臣は姉に頭を下げる。


「とんでもありません。

助け出して頂いただけで…充分でございます。」

姉も目頭をハンカチで抑えながら、首を横に振る。


さすが姉妹、なんとなく雰囲気が香世に似ているなと思う。


兄妹3人ひとしきり抱き合い慰め合う。


「さぁさぁお嬢様達、二階堂様を差し置いて

失礼になりますよ。早くお席にお座り下さい。」

温かい紅茶を運びながらマサが部屋に入って来る。


香世がハッとして、

「ご、ごめんなさい。」

と、慌てて龍一を抱いたまま正臣の側に

座り直す。


姉も涙を拭き、その前の1人掛けソファにゆったりと座る。


「二階堂様、もしかして昨夜は父が失礼な事をしましたか?」

姉が心配そうな顔を正臣に向ける。


「お父様が何が言ってたの?」

香世も心配になって姉に聞く。


「昨夜遅く、とても憤慨した様子で帰って来られて…当たり散らしていたので…。」


渋い顔をしながら正臣は答える。


「自分も少し感情的になってしまい、仲違いしてしまったので…香世殿に申し訳なく思っています。」


「父はあの通り気性が荒く、自分の思い通りに他人を動かしたいような人ですから、二階堂様が気に止む事ではありません。

香世ちゃんとの婚約の件は私が認めております。

どうか香世ちゃんを幸せにしてやって下さい。」

姉として深々と頭を下げる。


「心強いお言葉ありがとうございます。」

正臣はホッとして思わず笑みが溢れる。


「あの、つまらない物ですがこちらをお受け取り下さい。

これは香世殿が気に入った生菓子なのですが、是非皆さんで食べて頂きたいと思い持参しました。」

正臣は手土産を手渡す。


「お気遣いありがとうございます。良かったらみんなで頂きませんか?」


姉がそう言いながらマサに貰った手土産を

手渡す。


「あら、和菓子に紅茶は合わなかったかもしれません。入れ直しましょうか。」

マサが気遣う。


「マサさん大丈夫です。

きっとあのお菓子なら紅茶も合うはずです。」

涙目を拭きながら香世が言う。


「では、こちらの生菓子をありがたく頂戴致します。」


「…香世お姉様は…結婚するのですか?」

やっと涙が止まった龍一が、香世に抱かれながら正臣を見てくる。


「龍一君、お姉様をお嫁に貰いたいんだ。

許してもらえるだろうか?」

正臣は子供相手でもちゃんと気持ちを伝えてくれる。


香世はそんな正臣を見て感動し、涙が再び出そうになる。


「僕…香世お姉様が居ないのは寂しかったよ。でも…お姉様が幸せなら…僕も嬉しい。」


正臣を見ながら少し龍一は考え込む。


「お姉様、幸せ?

二階堂様はお父様みたいに怖く無い?」

香世に向かって聞いてくる。


「お姉様はとっても幸せよ。

正臣様はとても優しい方だから、心配しなくても大丈夫。

それに、とても強い方だから龍ちゃんの事も守って下さるわ。」

香世は優しく龍一に言う。


「二階堂様、僕も強くなりたいんだ。

お姉様達を守れるくらい。僕に武術を教えてくれますか?」


「ああ、良いよ。

武術なら一通り出来るからなんだって教えてやれるよ。」

にこやかに龍一の頭を撫ぜる。


「本当に⁉︎

僕、剣道を教えて貰いたいんだ。」


龍一は途端に目を輝かせきらきらの笑顔を

見せる。


「お安いご用意だ。

龍一君はお姉様達を守れる為に、強くなりたいんだな。」


「うん。お父様が酔うとたまに暴力を振るうから…お父様から守りたい。」


龍一はいつも父に怯えていた。

姉に庇われながら強くなりたいと悔しく思っていた。


まだ小さいのにそんな事を思っていたなんて

、ちゃんと男の子なんだと、香世は龍一の成長を嬉しく思う。


「龍ちゃん、正臣様は中尉様なのよ。」


香世が優しく教えてあげる。


「本当に⁉︎凄いや…あの、所属は何部隊ですか?」


「第一部隊だ。

皆、各地からより集められた精鋭部隊を率いている。

龍一君は軍隊に興味があるのか?」


「凄い!格好いいです。

僕も大人になったら軍人さんになりたい。」

龍一は元気にそう正臣に宣言する。


だけど正臣は寂しく微笑み、

「正直なところ、軍人になるのを勧める事は出来ない。」

ゆっくりとだけど龍一の目を見てハッキリと話しかける。


香世もその言葉を聞きハッとする。


「今は平和な世の中だけど、この先何が起きるかは分からない。

もしも、戦争が起きたら国を守る為、大事な人を守る為に、軍人は最前線に行って戦わなければいけないんだ。

そうなると、龍一君の大切な家族に心配をかける事になる。辛い思いをさせる事になる…」


正臣は最後の言葉で香世を見る。


2人しばらく時が止まったかのように見つめ合う。


「二階堂様は、辛いね…。

軍人さんは大変なお仕事なんだね…。」


龍一の声で2人我に帰る。


「お姉様はそうなったら寂しいし、辛いね…。」

龍一は香世を見て抱きついてくる。


「お姉様は…大丈夫。

もうとっくに覚悟を決めてます。

それでも正臣様のお側に居たいと思っています。」

香世はあえて明るく、龍一にも正臣にも伝わるようにハッキリと言う。


「そうか…。」


正臣は一瞬目を伏せてそっと息を吐く。


「お待たせしました。

お手土産の生菓子とても美味しそうですよ。」

マサが沈んだ空気を取り除くように

お皿をそれぞれに置いていく。


「わぁー。凄いや!本当に桜の花びらみたい!!」

初めて生菓子を見た龍一のはしゃぐ声も手伝って、その後は終始和やかに穏やかな時間を過ごす事が出来た。


帰り際、姉も龍一も笑顔で手を振り

「また来てね。」

と、送り出してくれた。


正臣と香世は行きと同じように肩を並べ

石畳を車まで歩く。


「香世、俺の気持ちを押し付けて強引に婚約に取り付けたが、これで良かったのかどうか正直迷っていた。

この先、自分自身の命さえ不確かな軍人だ。

もしもの時は独りぼっちにさせてしまう。」


正臣は、心の淵に秘めた思いを口にする。


「正臣様、軍人じゃなくたって先の事は分かりません。病気になるかもしれないし、いつ事故に合うかも、誰にも分からないじゃないですか。

もしかしたら、私だって正臣様より先に死ぬ事だってあるんです。

先の事を考えて、今を諦めるのは嫌です。

私は大丈夫です。だからもう気にしないで下さい。」


真っ直ぐこちらを見て、はっきりと話す香世が凛々しく美しいと、思わず正臣は見惚れる。


少しの間、正臣は香世の言葉を噛み締め歩く。


「香世のその凛としたところが堪らなく好きだ。」

正臣は振り向き、香世に向かって爽やかな笑顔を見せる。


香世は突然の告白に驚き、ドキンと心臓が脈を打ち、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなる。


「こ、こんな所で…

と、突然そんな事言わないで下さい…。」

真っ赤な顔を両手で隠し香世は俯く。


「茹で蛸みたいだな。」

ハハッと笑って香世の頬をサラッと撫ぜていく。


そんな2人を乗せて車は帰路に着く。

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