第23話 花見デート

香世は正臣が運転する車の中


1人、身を固めドキドキと高鳴る胸をどうする

事も出来無いでいた。


考えて見れば、今日は朝から初めてづくしだった。


朝、嫉妬されたのも初めてだし、抱き締められて口づけをされたのも初めてだった。


朝ご飯を食べる時も、正臣の支度を手伝う時も、ずっとどうしようも無く意識してしまって…。


ご飯の時は箸を落とすし、支度の時はボタンがなかなか通せないし…香世は散々な状態だった。


おまけに正臣はそんな香世を面白がり、

咎める事無く、優しい眼差しで見てくるから、調子が狂ってしまう。


いつものように氷点下の瞳で、咎めてくれた方が、よっぽど気持ちが冷静になれたのに…。


終始優しさ全開で、転がる箸を拾い丁寧に拭き、食べさせようか、とまで言ってきた。


ボタンが留まらない時なんて、香世の手を取り一緒に留めようとして来て、逆にもっと緊張してしまった。


不慣れな自分が嫌になる。


その後、なんとか気持ちを落ち着かせ、正臣の為初めてのお弁当作りに精を出す。


女中の1人が朝食の後片付けをしていたから、

遠慮しながら料理をしていると、


手持ち無沙汰の正臣が来て、香世が料理をしている所を見てみたいと、上がり框の上に腰をかけ、こちらの方を腕を組んで見守り始める。


少しでも水を使う様ならば、すかさずやって来て、野菜を洗う手伝いなどをし始めるから慌てて止める。


「正臣様、女中に示しが付きませんから…」

香世が小声でそう伝えると、


「香世の手がせっかく治ってきたのに今、水仕事をさせる訳にはいかない。」

と言う。


思いがけない過保護を発動する正臣に、慣れる事が出来なくて、また緊張してしまった。


そして今、やっとの事お花見に繰り出したのだ。


香世が車の中で静かにしていると、


「香世、直ぐにとは言わないが、2人でいる事に少しずつで良いから、慣れていってくれないか?

そんなに緊張されるとこっちだって緊張する。」


正臣は運転しながら苦笑いしている。


「正臣様が…?

緊張される事なんて、あるのですか?」

香世は驚いた顔を見せる。


「俺をなんだと思ってる?香世の前では、威厳も誇りも取っ払って、ただの男に成り下がる。

だけど、そんな自分も嫌いじゃ無い。」


「…私もそんな正臣様、嫌いじゃありません。」

香世も釣られてそう伝える。


2人顔を見合わせて笑う。


正臣に、ポンポンと頭を撫でられて、お陰で香世も少し肩の力をが抜けて、やっといつもの香世に戻る。


「今日はどちらに行かれるのですか?」

香世は落ち着いた自分にホッとしながら、車窓から辺りを見渡す。


「もう少し先なのだが、桜で満開のお寺があるんだそうだ。真壁がやたらと勧めてきて煩くて…。

香世も日がな一日家にいるのも飽きただろうしと思ってな。」


「そうなんですね。ありがとうございます。

真壁さんの傷の具合いはどうですか?

もし、宜しかったらお見舞いに伺いたいのですが。」


「あいつは元気にしてる。香世が気にかける事はない。どうしてもと言うならこの後少し顔を出してもいいが…。」


「はい。是非お会いしてお礼を言いたいのです。」

嬉しそうに香世が笑う。


正臣としては、他の男に合わせるのはいささか複雑な思いだが、香世が喜ぶなら仕方が無い。


お花見のお寺に到着して、思いの他、人の多さに驚く。


道端には出店が並び、まるで縁日のように華やかな着物を着た人々で賑わっていた。


「このようなところではぐれては、二度会えなくなりそうだ。どこかに掴まれ。」

正臣からそう言われ、香世は戸惑い少し考える。


今日の正臣は和服で紺の着流しを着て、その上に薄手の灰色のトンビコートを羽織っている。

香世も薄桃色の着物に赤地の道行袖のコートを羽織っている。


どこに掴まるのが正確か香世には分からないが、正臣のトンビコートの裾元をそっと掴んでみる。


フッと笑い正臣はそっと香世の手を取り、

手を繋いでくるからびっくりして目を丸くする。

思わずその顔で正臣を見上げるが、当の本人は何食わぬ顔で、 そのまま香世の手を引いて歩き出す。


これは許されるのだろうか…。


香世は思わず周りをキョロキョロして俯き加減に、正臣の後ろを隠れるようにコソコソと着いて歩く。


「ひ、人前で、手を繋いで大丈夫でしょうか?」


「こんなに人がいるんじゃ誰にも見つからないし、手を繋いでても気付かないんじゃ無いか?」

まるで何事も無いかのような振る舞いで


「そうですか…。」

と、香世も呟くばかりだ。


「何か、欲しいものがあったら言ってくれ。

何でも良いから遠慮するな。」

と、正臣が香世の心を見透かしそう言う。


露店には飴細工に焼き鳥屋、うどん屋なども

並び芳しい香りがただよってくる。


小さな子供達は紙風船や竹とんぼをねだり、

お店には人々が立ち並んでいる。


そんな光景を目にすると、香世の気分も上がり楽しい気持ちになる。


片手に風呂敷に包んだお重箱を持ち、

正臣に手を引かれながら人混みを頼りに参道に入る。


満開の桜が参道を囲むように咲き誇り、風がふわりと吹くたびに桜吹雪が舞い散る。


「綺麗…。」


香世は思わず口にする。


「凄いな。」

正臣も顔には出ないが感動を覚えて思わず足を止める。


今まで、花を見る為に家族と来た覚えも無かったし、ましてや誰かを連れて来るなんて事を考えた事も無かった。


何故だか真壁が香世の事を心配し、どこかに連れて行ってあげるべきだと、しつこく言ってきた為、どこが良いのか前田に聞いたところ、今の時期は花見が1番だと言うから今回来る事にしたのだが。


香世の嬉しそうな顔を見て、連れて来て良かったと心から思った。


「あれはなんでしょうか?」


香世が指差した方を見ると、そこには人だかりが出来ていて、人一倍盛り上がりを見せていた。


「行ってみるか。荷物貸せ。」

ぶっきらぼうにそう言って、正臣がお重箱を持ってくれる。


「ありがとうございます。」


正臣は香世の手を引き人混みを掻き分ける。


一段高くなった舞台には、舞妓のような衣装の踊り子が数人、 三味線の音に合わせて踊りを舞っていた。


「あっ…。舞鶴ねぇさん…。」

香世は思わずそう言って正臣の手をぎゅっと握る。


「知り合いか?」


「藤屋でお会いした方です。

とても綺麗な方だったので…。」

香世はそう言ってじっと見つめる。


もしもあの時、

正臣が救い出してくれなかったら、私はあちら側の人間で、決してこちら側には戻って来れなかったのだとしみじみ思う。


「正臣様に合わなかったら、きっと私も

今頃あちら側で踊っていたのかもしれません。」

と、香世は呟く。


「あり得ない。」

正臣が少し咎めるような口調で言って、香世の手を引き舞台から離れる。


「香世が例え戻りたいと言っても、この手は絶対離さないからな。」

少し早くなる足取りに、香世もパタパタと着いて行く。


「戻りたいとは決して思いません。

私の考えが浅はかでした。

父に従うだけのこの私の人生を、正臣様が変えてくれたのです。

自分で決めて良いと言ってくれたのは、

正臣様が初めてです。凄く感謝しております。」

正臣の足が止まり香世を見る。


「すまない。感情的になった…。」


ぶんぶんと首を横に振る香世の姿を微笑ましく思い、思わず頬を撫でる。


「何が甘い物でも食べるか?あそこに団子屋がある。」


「はい。」

にこりと笑う香世が眩しい。


2人で露店の長椅子に座り、香世はみたらし団子を食べながら真上に咲く桜を見上げる。


薄桃色の桜が青い空に映えて浮かび上がって、まるで絵葉書のように綺麗に見える。


突然、ふわっと春風が吹き抜け桜の花びらが舞う。


ハラハラと頭上に舞い散る桜の花びらを、

手のひらに拾おうと、香世は片手を差し出して捕まえようとする。


儚い花びらは香世の手のひらを通り抜けて、

地面に落ちて行く。


残念そうに地面を見つめていると、


不意に正臣ふわりと香世の髪を撫ぜるから

ドキッとして振り向く。


正臣が香世の手のひらに1枚の桜の花びらを乗せる。


フッと笑ってくれるから香世も釣られて笑う。


正臣が手を伸ばし香世の唇に触れてくる。

親指で優しく唇の端を撫でられ、目を丸くして見ていると、ペロリとその親指を舐める。


瞬きを繰り返し正臣を見入ってしまう。


「子供か?」

正臣が可笑しそうにハハッと笑う。


初めてこんなに楽しそうな正臣様を見たと、

香世も嬉しくなる。


ハンカチを袂から取り出し口を拭い、

そのハンカチにそっと手のひらの花びらを挟む。


「ありがとうございます。」

香世はふわりと笑う。



正臣が手を伸ばし香世の唇に触れてくる

親指で優しく唇の端を撫でられ目を丸くして見ていると、ペロリとその親指を舐める。


瞬きを繰り返し正臣を見入ってしまう。


「子供か?」

正臣が可笑しそうにハハッと笑う。


初めてこんなに楽しそうな正臣様を見たと

香世も嬉しくなる。


ハンカチを袂から取り出し口を拭い、

そのハンカチにそっと手のひらの花びらを挟む。


「ありがとうございます。」

香世はふわりと笑う。


しばらく2人参道を歩きながら桜を楽しむ。


広く開かれた場所に出て、ござを引いて桜の下で飲み食いしている人達がいる。


正臣が一つの長椅子を指差し、

「あそこにしよう。」

と、言ってくるから、香世はこくんと頷きついて行く。


桜の木がちょうど木陰になって程良く、溢れ日が差し込むそこに風呂敷を解き重箱を広げる。


2段に分かれた重箱には、1段目にお稲荷とおにぎりを入れ、2段目にはだし巻き卵や菜葉のお浸し、ぶりの照り焼きに根菜の煮物など、彩りどりに並べられてとても美味しそうだった。


「凄いな。あの短時間でこの種類を作ったのか。」

正臣がしきりに感心する。


箸を渡し、取り皿代わりの蓋に幾つか乗せる。


「いただきます。」

と、普段通りに手を合わせ正臣は箸をつける。

だし巻き卵を1番に選び、ぱくり口に運ぶ。


「美味いな。」


「良かったです。」

心配で正臣を見つめていた香世はホッと胸を撫でる。


「香世も食べろ。」

正臣が香世に食べるように促す。


「いただきます。」

遠慮がちにお稲荷さんに箸を運び、

ひと口小さくパクりと食べる。


時間が無くてバタバタしたが、味はいつもの感じに出来て良かったと微笑む。


「香世は料理は好きか?」


「はい。作るのは好きです。」


「もし、自分で食事を作りたいのなら、女中2人は本家に行って貰おうと思っている。

来週にはタマキも帰ってくる。

香世も気を使わずに、好きに台所を使えた方が良いだろう?」


「お2人がそれで良いのなら…私は構いませんが。」


「そうか、分かった。」

正臣は納得したらしくまた食べ始める。


香世もちょっとずつ箸を進める。


爽やかな春の風が桜の木を揺らし、あちらこちらでは笑い声が聞こえる。


穏やかで暖かな幸せな時間が流れている。

幸せに浸りながら香世はのんびりと桜を楽しむ。


「来週、香世の父上に会う予定だ。

その時に結婚の許しを貰うつもりでいる。」


「えっ⁉︎」

突然現実に引き戻されて驚く。


昨日思いを打ち明けたばかりの香世にとって、早い展開に少しの戸惑いを覚える。


「元々、会社の事もあって会う予定ではあったんだ。香世を預かっている事も伝えなければと思っていたから良い機会だ。

香世も一緒に行くか?」


「私も…ですか?」

父に会いたいかと言えば、会うのが少し怖い。

ただ、弟や姉がどうしているのかは知りたいとは思う。


「自宅に行くのですか?」


「いや、小料理屋で一席設けている。」


父はどう思うのだろう…


花街に売った娘が突然婚約をしたいと現れるのは…。

私は父にとってただの駒でしか無いのは

とっくに分かっている。

今更会ったところで、傍迷惑でしか無いのではないだろうか…。



下を向いて唇を噛み締める香世に正臣は今、話した事を後悔する。


「申し訳ない…。

こんな所で言う話では無かった。

香世が会いたく無いのであれば決して会わせない。嫌な事を思い出させて悪かった。」


正臣は香世の頬に触れ、これ以上唇を噛み締めないように、優しく親指で唇を撫でる。


「大丈夫です。いつか会わなければと思っていました。それが思っていたより早くて、多少驚いただけです。」


「そうか…。

もっと配慮して言うべき事だった。

婚約となるとそれでも親の許可を取って、結納をちゃんとしておきたいと思っている。

出来れば早く香世の立場をはっきりさせたい。」


結納…花街を出る際に既にお金は沢山出してもらっている。

これ以上は申し訳ないと香世は思う。


「あの…正臣様。」

香世は箸を置き、正臣に向き合う。


「なんだ?」

正臣も箸を置き、香世を見る。


「結納は省いて頂きたいと思います。」


「そうはいかない。

嫁に貰う為にはちゃんと支度をして、堂々と嫁いで来て貰いたい。

俺がそうしたいのだ。従って欲しい。」

柔かに笑う正臣が眩しい。


従って欲しいと言われ嫌だとも言えない…

香世は困ってしまう。


「嫌なのか?」


「正臣様は、私如きにお金を使い過ぎです。」

香世は申し訳ない気持ちで一杯になる。

どうやって返すべきかも分からない…。


「香世は心配しなくても良い。

どうせ貯まる一方で使いようが無いのだ。

それに香世がずっと側に居てくれるのならば安いものだ。」


それだけで良いのだろうか…。

側にいるだけでお役に立てる事が、私にもあるだろうか…。


「もう気にするな。

せっかくだから本堂まで参るぞ、ちゃんと食べろ。」

正臣が箸で煮物の蓮根を掴み、香世の口元に運んでくる。


えっ?と驚きながらも口を開ける。

口の中に放り込まれてもぐもぐと咀嚼するしかない。

それを正臣は可笑しそうに笑って見ている。


今日だけで正臣のいろいろな素顔が垣間見れて香世は嬉しい。

そして彼の事をまだまだ知らないと思う。


重箱のお弁当を食べ終えて、手を繋ぎ本堂へ向かう。


よく聞くと、

ここは縁結びの神様だと言う事を知り、正臣が苦笑いする。


「前田に嵌められたな。

神などに頼まなくても、俺と香世の縁は絶対切れる訳が無い。」

そう呟く。


香世はせっかくだからと、正臣の為に健康祈願のお守りを買う。


そして正臣は香世の為に露店を回り、鈴の付いたかんざしや、花柄の巾着袋、湯呑みやお茶碗などありとあらゆる物を、香世が手に取り見つめる物すべてを、手当たり次第買い与える。


「正臣様…あの…本当にもう大丈夫ですから。」

正臣に手を引かれながら、香世はこれ以上はと何度も止める。


「我が家を香世が少しでも住みやすい場所にしたい。

それにはまだまだ物足りないくらいだ。

そうだ。来週末は買い物に行こう。」

楽しそうにそう言うから止められ無くなってしまう。


こうして2人のデートは終始楽しく終わり、

沢山のお土産と共に帰路に着く。

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