第18話 会いたかった人(香世side)

真子ちゃんが遊びに来てくれて夕方近くまで賑やかな時間を過ごしたせいか、

1人になって少し寂しさを感じてしまう。


夕飯時に女中の1人が顔を出し、

『お夕飯はお好きに食べて下さい』と言われ

2人は帰って行った。


2人の女中からは、私の存在を良く思われて無い事は初めから分かっている。


この家に居る立場さえはっきりしない私に、

三食作って貰うのも気が引けるし…

正臣様が居なければほっとかれても仕方がないと思う。


食材も無く、夕暮れ時に1人で敷地内から出る事もためらわれ、一食くらい食べなくても平気だと、早めに入浴をしてひたすらお帰りを待つ事にする。


9時過ぎにうとうととしてしまい、

寝ない様にとわざわざ火鉢から離れた寒い場所に座り、ひたすら借りた本を読んでいた。


外で車のエンジン音がしてハッと思い、立ち上がりパタパタと小走りで廊下を急ぐ。


玄関前で人影を確認して歩み寄る。


一瞬、正臣様じゃなかったらどうしようと怖くなり恐る恐る声をかけてみる。


「正臣様、ですか?」


「ああ、そうだ。」

ホッとして急いで鍵を開ける。


「お帰りなさいませ。お勤めお疲れ様でございました。」

頭を下げて出迎える。


この人の声を聞くだけで、どうしてこんなにも安心するのだろう。


「ただいま…。」

顔を上げて正臣様を見上げる。


えっ……衝撃が走る。


中折れ帽を被った正臣様の姿を見た途端、3年前の出来事が走馬灯の様に蘇る。


断片的な記憶の中で…


通り魔に襲われた姉を私は咄嗟に、身を投げ出して助けようとした。


その時、怪我をしてまで助けてくれた人…


似てる……と思う。


人知れず心臓がドキンと高鳴り、時が止まったかの様な錯覚を覚える。


あの後、私自身も傷を負い2週間ほど死の淵を彷徨った。病院のベッドで朦朧とした意識の中、あの人にお礼をしなければ…


と、その事だけを強く思い生きたいと願った。


退院してからしばらく、同じ時刻にあの場所に行ってあの人に会いたいと…必死で探したけれど…。


半年ほど探したが、龍一の世話や家事に追われる毎日で、いつしか忘れなければと思うようになり、頭の片隅に追いやってしまっていた…。


「どうした?」

正臣様が怪訝な顔で私を見下ろす。


あの人も中折れ帽を被っていて顔が良く見えなかったから、絶対だという確証は無い。


私が潜在意識のなかで、そうだったら良いな、という気持ちがそう思わせてしまっているのだろうか?



「あ、あの…朝と格好が違っていたので…

びっくりして…。」

咄嗟にそう取り繕って何事も無かったかの様に振る舞う。

 

「ああ、要人警護の時は目立たぬように軍服を脱ぐんだ。」

そう言えば…あの人も軍人だと言っていたような。


「風邪を引くぞ。」


正臣様がパッと私の手握り、温かい居間へと連れて行ってくれる。


「寝てなかったのか?」


部屋に入るなり私を火鉢近くに座らせて、

自分で着替えをし始めるから、慌てて駆け寄りお手伝いをする。


「1人で大丈夫だったか?」

正臣様が私を気遣いそう聞いてくる。


「はい…。

お借りした本を読んでいたら夢中になり過ぎて、いつの間にか時間が過ぎていました。」


「そうか。それより顔色が悪く無いか?

ちゃんと夕飯は食べたのか?」

目敏く指摘されてドキッとする。


「お夕飯は1人なので申し訳なくて…

自分で軽く作って食べました。」

食べて無いなんて言えなくて、

嘘をついてしまった。


後ろめたくなって俯き、

ひたすらお着替えの手伝いに没頭する。


女中にちゃんと夕飯を作らせるように諭される。

「ああ、そうだ。これ手土産だ。」

そして紙袋を渡される。


中を覗くと和菓子屋の紙袋に包まれた箱が入っていた。


「今から食べるか?」

正臣様が気遣って聞いてくれるのだが、


「寝る前に甘い物は…なんだか悪い事をしているみたいで…気が引けます。」

と、食べたいと言う気持ちをひた隠しにする。


「誰が咎める?俺が誘ってるんだ気にせず食べるぞ。」


「はい…。では…用意します。」

嬉しさを隠しきれず思わず笑みが溢れる。


その後、お風呂場へ行こうとする正臣様を止めて温かい部屋で足を清めて頂きたいと、

テキパキと用意をする。


母が亡くなる前の1カ月間、

家で介護をしていたから戸惑わず支度を整える。


男の人なのに足のつま先まで綺麗だなと思いながら、丁寧に足の指から洗い始める。


「待て。そこまでやらなくて良い…。後は自分でやるから。」

そう止められてハッと気付く。


正臣様にとっては迷惑でしか無いのかも知れないと…。


それなのに、

私がカステラを切りに台所に行く時も、

使ったお湯を自ら持って付いて来てくれる。


なんで優しい人なのだろうと感動さえ覚える。


気付けば、この人とのこのひとときが、

大事で大切な時間だと感じ始めている自分に気付く。


本当に3年前に助けてくれた人なのでは?と思うけど…違ったら、と思うと怖くて聞けない臆病な自分に嫌気がさす。


夜更けに食べたカステラが思いのほか美味しくて、張り詰めていた気持ちを溶かしてくれるように、大好きな古典文学について、

つい語ってしまっていた。


正臣様は相槌を打ちながら、終始優しい瞳を向けて聞いてくれたから、つい喋り過ぎてしまったかも知れない。


気付けば時計が12時を近くを指していて、

慌てて片付け就寝する為支度を整える。


どこに行くにも、出来るだけ私を1人にしないように行灯を持って着いて来てくれた。


おやすみなさいを伝え、与えられた部屋へと入り、話し過ぎてしまったかもと少しの後悔を胸に布団に入る。


久しぶりに楽しい時間を過ごした高揚感で

なかなか眠る事が出来ず、ドキドキと高鳴る胸を落ち着けるまで何度も寝返りを打つ。


あの人は短刀を素手で握りしめて、受け止めてくれたから手のひらに切り傷がある筈

……左手、だったかしら?


確かめたい。


もしもあの人が正臣様だったなら、ちゃんとあの時のお礼をしたい。

微睡む意識の中であの人の面影を正臣様に探す。


背格好…やっぱり似てると思う……。

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