第17話

真壁と議員控え室近くで落ち合う。


「お疲れ様です。今、本会議が終わった所なので、総理が一息付いて出てくる頃だと思われます。」


「お疲れ。通常勤務の奴らは帰ったか?」


「はい。先に上がらせました。」


極秘任務の為同じ軍人にさえ気付かれてはならない。


気を引き締めて、総理が出てくるのを待つ。


「おお、お疲れ。

正臣君、久しぶりだねー。」

総理はにこやかに片手を上げてこちらにやって来る。


極秘任務なのにこれじゃバレバレじゃ無いかと真壁と2人苦笑いする。


「お久しぶりです。車を出しますのでこちらにどうぞ。」


挨拶もそこそこに裏口から予め用意されていた車に乗り込む。


運転手は真壁で助手席に俺が乗り、 

後部座席に首相が1人乗り込む。


秘書はここまでと言うように頭を下げて見送る。


「いやぁ、正臣君は見ないうちにまた一段と男前になったな。

うちの娘にどうかと思ったのに断られたのは残念だよ。」

首相は上機嫌で俺に話を振ってくる。


「恐れ入ります。私とお嬢様では格が合いません。相応しい方が他にいらっしゃると思いますので辞退させて頂きました。」


「娘は大層がっかりしていたがな。」


「勿体無いお言葉。

軍人の私ではいつ何時命を落とすかもしれませんし、そんな男ではきっと幸せにはなれません。」


自分で言っておきながら、香世の顔が浮かび心がズキンと痛む。


「まぁ、そうだな。

本当に好きな人とはなかなか添い遂げられ無いもんだ。」

首相は考え深げにそう呟く。


聞くつもりは無いが、今から会う妾が首相の想い人なのかもしれない。


上流階級ほど、政略結婚や親の言いなりで結婚は決まる。

お互い体裁だけ整え、裏では愛人や妾を囲っているのが常なのだ。


夫婦とは何なのか…幸せとは何か…


誰にも気付かれる事無くため息を吐く。


「もうすぐ目的の旅館です。」

真壁が運転しながら俺に伝える。


「分かった。裏口から入る手筈になっている。入るまで抜かるなよ。」


「了解です。」


「もう直ぐ到着です。

出来るだけ目立たぬよう帽子で顔を隠して下さい。」


「ああ、分かった。

妾がもう直ぐ子を産むんだ。産まれたら見に来てくれ。」

嬉しそうに総理は言う。


「それは…おめでとうございます。」

真壁と共に頭を下げて祝福する。


おめでとうなのかは産まれて来る子を思うと

喜べはしないが…。


先に俺が車から降り周囲を伺う。


問題無いと確信し、首相を下ろし盾になりながら真壁と両側から囲い裏口に入る。


指定した通り、裏口近くの部屋の前で旅館の女将が待っており、無言で頭を下げ挨拶を交わし総理を部屋へ入れる。


「ありがとうございます。

我々は隣部屋で待機しますので、女将さんは通常勤務にお戻り下さい。」

真壁が女将に告げ、隣部屋に2人待機の為に入る。


豪華な和室に男2人まったく楽しめる余地も無く、入り口付近で真壁が廊下を監視する。


俺は窓側に行き外に目を光らす。


俺達の苦労など気にもせず首相は妾と束の間の相引きを楽しんでいる。


笑い声が時折聞こえるたびため息が出る。


そんな調子で3時間ほどもち場を交換しながら

警備にあたる。


9時過ぎやっと部屋から出て来た首相を再び車に乗せ自宅へと運び、今夜の勤務は終了となる。


「これ、1週間はキツイですね…。」

普段はあまり根を上げない真壁もさすがにぐったりと肩を落とす。


「お疲れ。首相の妾が理を臨月なのだそうだ。出来れば立ち合いたいのかもしれないが

さすがに無理だと毎日会う事で納得して貰ったらしい。

明日は違う料亭だ。誘導の道と料亭の下見を事前に頼む。」


「お疲れ様でした。

明日早速、下見に出向きます。」


自宅前で俺を下ろし、国有車を返す為真壁は議事堂へと戻る。


やっと自宅に戻り、玄関までの石畳を速足に急ぐ。


ふと腕時計を見ると9時を過ぎていた。


玄関の外灯は付いているが、さすがに香世は寝ているだろうな、と思い寂しさを覚えながら玄関の鍵を自ら開けようと鞄から鍵を探す。


すると中から明かりが灯り人影が浮かぶ。

ハッと思い、目を凝らすと中から


「…正臣様、ですか?」

香世が伺いながら恐る恐る言うから、


「ああ…そうだ。」

と、答えると、

ガラガラと扉が開き香世が姿を現す。


「お帰りなさいませ。

お勤めお疲れ様でございました。」

頭を深く下げて出迎えてくれる。


「ただいま…」


香世が頭を上げ俺をハッとした顔で見る。


「どうした?」


香世が目を見開き驚く顔で俺を見るから、

怪訝な顔をして中折れ帽をとる。


「あ、あの…、朝と格好が違っていたので…

びっくりして…。」


「ああ、要人警護の時は目立たぬように軍服を脱ぐんだ。」


見れば香世は寝巻きの浴衣に半纏を着込んだだけの格好だ。


「風邪を引くぞ。」

急ぎ手を取り居間へ促す。


握った香世の手がヒンヤリと冷たくそれだけで心配になる。


「寝てなかったのか?」

部屋に入り、香世を火鉢近くに座らせる。


俺は自分でクロックコートを脱ぎハンガーに掛ける。


すると香世が慌てて立ち上がり、甲斐甲斐しく俺の世話を焼く。


「1人で大丈夫だったか?」

背広を脱ぎながら香世に話しかける。


「はい…。お借りした本を読んでいたら夢中になり過ぎて、いつの間にか時間が過ぎていました。」


「そうか。それより顔色が悪く無いか?

ちゃんと夕飯は食べたのか?」


心配し過ぎかもしれないが、どうしてか香世の事になると、些細な事でも気になり聞いてしまう。


「お夕飯は1人なので申し訳なくて…自分で軽く作って食べました。」


「女中は食事の支度も仕事のうちだ。

申し訳ないなどと思わなくて良い。

それが彼女達の仕事なんだから。

それにちゃんと食べないと駄目だ…香世は食が細いと思う。


ああ、そうだ。これ手土産だ。」


香世に前田に用意させたカステラの入った紙袋を渡す。


「今から食べるか?」


「寝る前に甘い物は…なんだか悪い事をしているみたいで…気が引けます。」


紙袋の中を覗きながら、可愛く葛藤している香世を見て思わず笑みが溢れる。


「誰が咎める?俺が誘ってるんだ気にせず食べるぞ。」


「はい…。では…用意します。」


少し微笑みを浮かべた香世に俺は心底ホッとして、寝着の浴衣に着替えて半纏を着ると、

手足だけ洗おうと風呂場へ向かおうとする。


「旦那様。桶にお湯を張りましょうか?

お風呂場は冷えておりますし。」


それに気付いた香世が気をを利かせてそう言ってくる。


「香世、名前で呼んで欲しいって言ったよな?」


「あ……ごめんなさい。正臣様。」

口に手を当てる仕草が可愛い。


「自分でやるから、香世はカステラを切ってくれ。」


「いえ、正臣様の事はタマキさんから頼まれてますので、やらせて下さい。」

香世はそう言って、急いで廊下に出て行ってしまう。


どうするのだろうと見ていると、桶に水を少し汲み布巾の上に置き、火鉢の上のやかんから湯を桶に足す。


やかんを重たそうに持ち上げるのですかさず手伝う。


簡易な腰掛けをどこからか持って来て俺を見上げ、

「腰掛けてください。」

と、言う。


どうしてこうも香世の1つ1つの所作は綺麗なのだろう。

つい見入ってしまう…


言われるままに腰掛けに座る。


石鹸まで持ってきていて両手で泡立てて

丁寧に足の指から洗い始める。


さすがにタマキにさえここまで丁寧に洗われ

た事が無く、身体が勝手に反応しそうになり

慌てて止める。


「待て。そこまでやらなくて良い…。

後は自分でやるから。」

何事もない様に振る舞うが、内心気持ちが乱れる。


足を自分でそそくさと洗い流し、渡された手縫いで拭く。

 

反対側の足を香世が丁寧に拭いてくれるから自分を制御する事に精神を集中する。


普段、手を握るだけでも戸惑う香世が、

こう言う事は平気なんだなと意外に思っていると、


「母が亡くなる前、自宅で介護をしたのを思い出します。」

香世がポツリと話し出す。


「母上を、家で看取ったのか?」


「はい…。

母が望んだので私が介護をかって出ました。こんな風に体を綺麗にしてあげると、母が穏やかに笑ってくれて、今思えば1番幸せな時間だったと思います。」


香世が穏やかに笑っている。


その笑顔が眩しいなと思いながら、俺も思わず笑顔になる。


「カステラを切って来ます。」

そう言って1人、足を洗った桶を持って出て行こうとするから、


「俺が片付ける。」

と、多少強引に奪う。


「あ…ありがとうございます。」


香世が行灯を持って足元を照らしてくれる。


台所へ2人移動してお湯を捨てる。


「正臣様、お仕事でお疲れだと思いますので

お部屋でお寛ぎ下さい。

直ぐにカステラをお持ちします。」

香世が心配顔で俺を見てくる。


「香世と居れば疲れは直ぐ癒される。

気にするな。」

そう言うと、香世が赤面して俯いてしまう。


無意識に香世に触れたくなる己の手を意識的に制御しながら、怖がらせない様距離を測る。

そんな心内をひた隠し、何気ない風を装い

手縫いを濯ぐ香世の手元を行灯で照らす。


ああ、また手が荒れてしまうと勝手に心配になる。



「あ、ありがとうございます。」


香世は俺のそんな気持ちなど知るよしもなく

カステラを綺麗に包丁で等分に切り分ける

その手元でさえ綺麗で、見入ってしまう。


お盆に2人分のカステラと湯呑みを乗せ、

香世が注意深く歩く。


危なっかしいと心配になりお盆に手を伸ばすが、

「大丈夫です。」

と、拒まれる。


「正臣様は…台所に入る事に躊躇しないのですね…。」


「どう言う事だ?」

心意が変わらず聞き返す。


「我が家では、男子は台所に入るなと父の

教えでしたから。」


「そう言う事か。

それは祖父母から良く言われたな。

ただ、言われた所で従う様な素直な子供では無かった。」


ふふっと花が可愛く笑う。

「分かる様な気がします。」


「こうあるべきだと言われる事が煩わしくて、3年前から家を出てこの家で生活している。」


居間に戻り、火鉢を囲みながら2人カステラを食べる。


「美味しい。」


思わず呟く香世が幸せそうに笑うから、俺も嬉しくなって、これは明日も何か買って帰らなければと強く思う。


今夜の香世は1人寂しくしていたせいか良く話し、良く笑ってくれた。


時を忘れてしまう程、ずっとこうして耳を傾けていたいと思ってしまう。


ふぁーと香世が手で顔を隠し、小さく欠伸をしたのに気付いて、ハッと時計を見ると針が12時近くを指していた。


「もう、こんな時間か…そろそろ寝るか。」


香世も時計を見て驚く。


慌ててお皿を集め湯呑みと共にお盆に乗せる。


俺は当然だと言うように、行灯を片手に香世に寄り添い台所へ着いて行く。


洗面所で2人揃って歯を磨き、自室に向かう。


隣同士の部屋で別々に寝るという、この拷問に近い配置はタマキが勝手にしたのだが…


確かに2人で暮らすにしては部屋数の多いこの家で、ちょっとでも香世に安心を与えられているのなら、喜んで拷問を受けようと思ってしまう自分がいる。


「おやすみなさいませ。」


部屋の前で香世が頭を下げてくるから、

少し名残惜しい気持ちを抱えながら、彼女の綺麗な黒髪を撫ぜる。


「おやすみ。」


襖に手を掛け自室に入る。

 

引き留めて強引に布団に誘えばきっと彼女は拒まないだろう。


ただ、そこに気持ちが無いとしても…。


俺に金で買われたと思う気持ちを払拭したくて、何度かそうでは無いと言ってみたが。


どれだけ香世の心に届いているかは計り知れない。


俺からは動けない。


香世が大切でなによりも大事だと、どう伝えれば良いのか分からず躊躇してしまう。


触れたい、抱きしめたい、自分のものにしたい。その気持ちをひたすら抑え、布団の中で悶え苦しむ。


どんなに修練を積んだとしても、この気持ちを抑えるのはなかなかに難しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る