第16話 本心(正臣side)

香世が俺に笑いかけてくれた。


ただ、それだけで不思議と穏やかな気持ちになる。


運転手の前田が話しかけてくる。

「お2人、仲良くやってるようで安心しました。」


「まだ、そこまででは無い…。」


俺からしたら、香世はまだ遠慮だらけで

心の隙さえ見せてはくれない。


だからか、時折り見せる笑顔にどれだけ救われるか…。


香世との心の距離を縮めたいと自分を出来る限り曝け出し、弱い所も隠さず話すようにすると、少しだけ歩み寄ってくれた気がした。


しかし…


今朝、外から聞こえる話し声に胸騒ぎがして

2階の窓から外を見ると、

香世と知らぬ男が話している姿が見えた。


香世が笑顔で話している…


もしかしたら香世の想い人なのかと、

目の前が真っ暗になるほど衝撃を受けた。


聞けばそれほど深い関係では無くて少しホッとしたが…。


心が騒つき気が焦る。


気持ちを抑える事が出来ず衝動的に抱きしめてしまう。


これでは駄目だと分かっているのに…。


それなのに、

今日から一週間すれ違いの日々だ。


ろくに会話も出来ず顔を合わす時間も減る。


「今週一週間忙しくなると、香世様の事心配ですよね?心配なら俺がちょくちょく様子見に行って報告しましょうか?」


香世の安否は心配だが、俺以外の男と親しくなって欲しくは無い。


「いや、大丈夫だ。

香世だって子供じゃ無い、自由に過ごしたいだろう。」

正臣は香世の気持ちを慮る。


「それもそうっすね。

だけど香世様、お綺麗だから変な虫が付かないように気を付けて下さいよー。」


お前にだけは言われたく無いが…

心で思いながらどうするべきか考え込む。


「前田、1つ頼みがある。

帰りに合わせて手土産を買っておいてくれないか?」


「香世様にですね。

任せて下さい。女子は甘い物が好きだから、

きっと喜びますよ。」


「いま流行のカステラを用意しとけ。」

 

最近できた、和菓子屋のカステラが評判が良くて、午前中ですぐに売れ切れてしまうのだとタマキから聞いたばかりだ。


「かしこまりました。この前田、命に賭けても手に入れて見せます。」


「別に…命は掛けなくていい…」

呆れ顔で正臣は言う。


実は前田も元々は孤児院育ちだ。


1言えば10分かるほど頭が切れるし、

積極性と探究心も申し分無く、1年ほど前から運転手として雇っている。


香世を探し出す為にいろいろ手伝ってもらった事もあり、俺の香世への想いを唯一知っている奴でもある。


「香世様の実家にはこちらに居る事をお伝えして、会社についても話しを進めますか?」


前田には香世の父の会社の事についても秘密裏に動いてもらっている。


「あの会社を松下に頼もうと思っている。

香世もそれで良いと言っていた。」


「分かりました。日時を調整して話を進めるように伝えます。ボスも立ち合いますか?」


なぜだか前田だけ俺の事をボスと呼ぶのだが…。


「そうだな…

香世の父には会っておくべきだと思うから、その前に一度席を用意してくれ。」


「分かりました。

僕も香世様と一度お話をしたいんですけど、

香世様を見つけ出したのは僕の功績でしょ?乏しい情報からどんだけ苦労して探し出したと思ってるんですか。」


「…また折を見て会わせてやる。

今は待て、お前に会わせたら香世が混乱する。」


「何でですか?」


「彼女は3年前の俺との出会いを覚えていない…。」


「えっ…、本気ですか⁉︎」


「香世にとっては消したい記憶かも知れない…無理に思い出させたくは無い。」


「まぁ、香世様には怖かった記憶かもしれませんが…

それじゃあ、あまりにもボスが報われないです。」

何故が前田が肩を落としてがっかりしている。


「俺は香世さえ幸せであればそれでいい。」


それは本音だが…


出来れば俺の手で幸せにしたいとは思う。


だが、無理強いはしたく無い。


どうすれば彼女の心にもっと近付けるのだろうか…。



軍本部に着くと待っていたかのように真壁が頭を下げて近付いて来る。


「おはようございます。二階堂中尉。」

敬礼をして俺を出迎える。


「おはよう。緊急の報告か?」

軽く敬礼を返し、司令本部の自室へと歩きながら真壁に問う。


「今日の極秘任務の件ですが、時間が変わり17時から招集との事です。」


「分かった。総理は国会議事堂か?」


「はい。今日は1日本会議との事、

終わり次第任務に入ります。」


「了解。定時で終わり次第合流する。

真壁は先に待機していろ。」


「はっ。よろしくお願いします。」

短い伝達で話は終わる。


今日から一週間の任務は現役総理大臣の警護だ。


普段なら俺が指示を出し部下が動くのだが、

総理が俺を直々に任命してきたらしく、

断る余地は無く仕方無く真壁と付く事にした。


しかも、

それは世間では知られていない総理の妾との相蜜を警護する任務の為、

知るは上層部だけの極秘任務になる。


今の俺にとって最優先は香世の事が全てで、

他人の色恋沙汰なんて関わっている場合では無いのだと、無性に腹が立つ…。


しかし、上からの命令に逆らう事も出来ず、

ひたすら任務遂行の為淡々と職務をこなすしか無い。


香世を夜中近くまで家で1人置く事に少なからず不安を覚える。


しかも、女中頭のタマキと古賀も、この1週間は父の手伝いに駆り出され、居ないのだと言う。


家には若い女中2人と香世だけになる。


出来るだけ香世の話し相手になって欲しいと、タマキから2人の女中には伝えてもらったが、2人は通いで働いているから、夜はどうしても香世1人になる。


香世もまだあの家に来て3日は経っていない。

少なからず心細さを感じているのではないだろうか…。


執務室へ入り事務仕事をこなす。


中尉になってから意外と事務仕事が増え、

1日に結構な量の書類に目を通して印を押す。


定時でこれを全てこなし、尚且つ通常勤務の近衛兵達の欠席の交代、体調管理、配属場所の確認、振り分け等を決め、部下に伝達、指揮を執る。


第一部隊の近衛兵部隊は花形部署であり、

全国から選りすぐりの精鋭が集められている。人数は現在200名。


主な仕事は、要人警護や護衛、国内の凶悪事件の対処や国の重大遺産の警備や輸送など、多岐に渡りそれぞれこなす任務も違う。


決して失敗は許されない任務ばかりだ。


24時間の交代任務もある為、

日々どの任務に誰を置くかを考え、

適材適所を選び、配置し落ち度のないようにするのが俺の最大の役目だ。


兵士は毎日の丹念を欠かさず

どんな任務を任されようが、

直ぐに対応出来るよう身体を鍛えておく事も大切になってくる。


それは自分自身にも言える事だ。


コンコンコン


執務室のドアをノックする音が響く。


「第一小隊所属、酒井上等兵です。」


「入れ。」

書類の手を止める事無く部下に返事をする。


「失礼します。」

酒井が一礼をして部屋に入って来た。


「本日、9時より第一中隊は剣道、第二中隊は合気道の訓練に入ります。二階堂中尉はご参加でしょうか?」


「合気道に入る。後五分待て。」

手元の書類を片付けながら指示を出す。


「はっ。」

酒井はドアの付近に控え待つ。


手早く早急の書類を10枚程、目を通し確認印を押す。


「先日は、私的な事で動いてもらって悪かったな。」


「いえ、こちらこそ。美味しい物をご馳走して頂き、ありがとうございました。」

酒井は脱帽して頭を下げる。


真壁の部下である酒井は堅物ではあるが、

口が固く信頼のおける男の1人だ。


「この書類を各部署に回してくれ。」

決済書類を手渡す。


「了解しました。」

酒井は書類を配りに敬礼して部屋を出て行く。


俺は訓練所に向かう為立ち上がり、軍帽を片手に部屋を出る。


廊下で自父である大将に会う。


一礼して通り過ぎようとすると、珍しく声をかけられる。


「おい、正臣。

お前、女を家に囲っているそうじゃ無いか。」

貫禄のある図体は威厳に満ち、自分の親でありながら身が引き締まる。


「それはどこ情報でしょうか?さすがお早いですね。」

敬礼をし、父と向かい会う。


父も軽く敬礼で返し、部下を下がらせ2人で歩きながら話を進める。


「お前は女に興味など無いと思っていたが、

愛人にでもするつもりか?」


貴方のような生き方は決してしない。

と、腹で思いながら平常心を保ち話す。


「いえ、いずれ正妻にしたいと思っております。」

静かに告げる。


「没落令嬢を娶った所でなんの価値があるのだ?あれほど見合いを持って行ったのに、

どれもことごとく断り続けた不義理な愚息が、何を考えている。」


嫌味をぶつけてくる父に多少苛立ちながらも、平常心を保ち返事を返す。


「彼女を侮辱する事は、例え貴方でも許しません。」

強い視線を投げかける。


「ほお。慈善事業の一環か?

どんな女であろうと、軍人たる者、女にうつつを抜かすで無い。」


そう言う自分は何人妾を囲っているだ?と、

呆れながら悪態を吐きたくなるが、

仕事場で揉める訳にはいかないと気持ちを抑え、


「貴方にとやかく言われる筋合いは無い。

失礼します。」

そう言い放ち立ち去る。


朝から気分が悪い。

あの人は昔から何かに付け、息子である俺を小馬鹿にするところがある。


母との態度もそうだが…冷え切った夫婦に

最悪の親子関係、実家には用が無い限り近付きたくも無い。


今じゃ妾の家に帰り、妾の子を可愛いがり…

あの男こそ好き勝手に生きているではないか。

俺がそんな親に干渉されず、好きに生きたいと家を出たのは三年前だ。


実家には母と弟達3人で住んでいる。


今まで、幸せとは程遠い人生を生きてきた。


だからか…

人を愛すると言う事が、自分には欠如していると自覚している。


軍の敷地内を訓練所に移動しながら、

ふと、今までの半生を返り見る。


何か心に残るような感動も、思い出も何も無いな…。

だから尚更、香世との出会いは鮮明に色褪せる事無く、心に刻まれたのかもしれない。


ふと、空を見上げれば澄んだ青空が広がる。


この虚しいだけの俺の人生に、彼女が寄り添い歩む事は無いのだろうか…。


そう思い、ため息を一つ吐く。



本日の勤務は滞りなく定時で終わり、真壁の待つ議事堂に向かう。


極秘任務の為軍服を脱ぎ、紺色の背広にフロックコートを羽織り中折れ帽を被る。


昼もたいして食べず、書類仕事をこなした為、流石に腹が減ったなと思う。


「お疲れ様っす。

夜勤大変ですね。これ、カステラ手に入りましたよ。後、あんぱん買って来ました食べますか?」

車に乗り込んで早々に、運転手の前田から差し入れを受け取る。


「ありがとう、さすがだな。

今日は昼飯を食べ損ねたんだ。」


「そんな事だろうと思いましたよ。」

ニカっと愛想良く前田が笑い車が動き出す。


「要人警護だと言う事ですけど、お迎えはどのように?」


「そうだな。時間が何時になるか分からない。多分、国有車を借りる事になるだろうから、お前は先に上がってくれ。」


「承知しました。

あと、松下様に連絡取りました。

快く承諾してくれ計画書も預かりましたので、また時間が空いたら目を通して下さい。」


「ああ、ありがとう。」

あんぱんをかじりながら束の間の休憩する。


そんな時ほど香世の顔が浮かぶから、自分でも困ったものだと苦笑いする。


これが父が言う、うつつを抜かしている状態なのかは分からないが…

確かに俺の心の奥底に、香世が棲みついてる感は否めない。


今夜は何時に帰れるのか…。

香世に一目でも会えるのなら…帰りたい。

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