第14話 2人っきりの夜

車が走り出し、

小さくなって行く真子の姿を振り返り、

香世は少し涙する。


「酷なようだが、これが真子にとって一番最善なんだ。許せ。」


正臣が謝ってくるので香世は慌てて首を振り、


「正臣様は、正しい事をしておられます。

何の非もございません。」

と、頭を下げる。


「夕飯を食べて帰る。」


正臣がおもむろにそう言って、

着いたのは街角の洋食屋さんだった。


「懐かしい…。」


香世はたまらず言葉を洩らす。


「以前にも来た事が?」


「まだ母が元気な頃は良く連れて行って貰いました。」

懐かしい幸せだった頃を思い出す。


「そうか。香世の母上は病気で亡くなったのか?」


「はい…元々身体が弱い人でしたので、

それに今の生活を見たらきっと、

母は耐えられなかったと思います。

幸せな頃に生きられて良かったのだと、

今は思います。」


生粋のお嬢様だった母が今の質素な生活に耐えられる訳が無い。

母は何も知らず幸せな一生だったのだと思いたい。


お店に入って久しぶりに贅沢な雰囲気に圧倒される。


正臣と向かい合って座ると香世は急に緊張してくる。


これではまるでデートのように、

見られてしまうのでは無いかと恥ずかしくなってくる。


給仕の人からメニューを渡されて思わず顔を隠してしまう。


「香世は何にするんだ?」

正臣から聞かれてハッとする。


「えっと…、正臣様は何になさいますか?」


頭が真っ白で何も浮かばない香世は、

メニューで顔を隠したまま正臣に聞き返す。


「俺はハンバーグステーキにしようと思うが…」


正臣からメニューをパッと取られて香世は驚く。


「何故、顔を隠す?」

怪訝な顔の正臣が香世を見据える。


「あの……

私がここに居るのは場違いでは無いかと思って…。」


「場違いなものか。

元々、香世はここに来た事があるのであろう。ならばもっと堂々としていろ。」

そう言われておずおずと正臣に視線を合わせる。


「今の私には不似合いです。

出来れば女中のように扱って頂きたいのですが…。」

香世は思わず、ずっと思っていた違和感を口にする。


「自分で自分を卑下するな。

香世はそんなに俺が嫌か?」


「そんな事…滅相もありません。

こんなに良くして頂いて感謝しかありません。」


「では、もっと普通でいろ。」

不機嫌そうに正臣が言う。


「で、何を食べたい?」


正臣がそう聞いてくる。


こう言う時、父なら勝手に同じ物に決められてしまうのに…。


ずっと食べてみたかった物を食べていいのだろうか…。


少しの間考えて、

「オムライスが食べたいです。」

と、香世が小さく言う。


正臣は分かったと頷き、給仕の人に2人分頼んでくれる。


「香世の父上の会社の事だが…。」

正臣が静かに話し出す。


「今現在、何とか持っている状態で今月に不渡を出せば銀行からの融資もおりなくなり危ない状態らしい。」


昨日の今日で早速状況を把握するべく動いてくれたらしく、

内部事情や従業員への給料の未払いなど事細かに調べあげていた。


「そこで、どうするべきかと考えたのだが、

お父上にそのまま残って経営を助ける人を呼ぶべきか、退陣して頂き新たな体制で立て直すべきか、香世はどう思う?」


えっ⁉︎と、香世はびっくりして目を見開く。


もちろん今まで経営に携わった事も無ければ、会社にさえ行った事が無い。


「私になぜ、聞かれるんですか?」

驚きを隠せず正臣に問いかける。


「香世が1番辛い思いをした筈だ。

誰も好き好んであんな場所に行きたいとは思わないだろう。」

正臣は香世の心情を推測ってくれたようだ。


「私は、私が出来る事をしたまでです。

特に父を恨んだりはしていませんが…

ただ、がっかりはしました。

父親として少なからず尊敬はしていましたから…。

そこまで追い込まれていたのかもしれませんが。私に何の愛情の一欠片も無かった事に落ち込みました。」


香世は思ったままを口にした。

本来ならば親に対して物を申す事自体間違っていると教わって来たから、正臣がどう捉えるかは分からないけれど…。


少し沈黙の後、


「香世は偉いな。

そのように自分の人生を割り切れることはなかなか出来ない。だから、心配でもある。

そなたは誰かの為に喜んで命さえも捧げてしまいそうだ。」


そう言うと正臣は寂しそうに笑う。


「出来れば香世には誰かの為じゃ無く、

自分の為に生きて欲しい。」

なぜこんなにも私の事を思ってくれるのだろう。

香世は不思議な気持ちで正臣を見つめていた。


頃良く、給仕がオムライスとハンバーグを持って来たため、2人で手を合わせ頂く。


「…美味しい…。」


始めて食べたオムライスは思っていた以上に美味しくて、

香世は知らず知らずのうちに笑顔になっていた。


そんな表情を見て、

正臣も密かに嬉しくなって安堵もした。


香世の笑顔をずっと見ていたいと、

瞬きすらも忘れて香世を見つめてしまう。


「どうか、されましたか?」


目が合い不思議そうに首を傾げる香世が可愛くて仕方が無い。


本当に俺はどうしたのかと、正臣自身も思ってしまう。

思わず自分自身に苦笑いしてハンバーグを食べ始める。


「正臣様、私は…父に退陣して貰いたく思います。

お給金を未納されても未だ働いてくれている社員の為にも、新しい方に立て直して頂く事が会社にとって良い事だと思います。」


父が憎いからでは無く、会社の事を1番に考えた答えだった。


正臣は嬉しそうに微笑む。


「さすが香世だ。

見も知らない社員の事を思って決めたのだな。消して悪いようにはしない。

お父上にはカタチだけの会長の座を残して置き、月々の給金は入るようにする。

香世の家族の生活の維持は心配しないで欲しい。」


「何から何までありがとうございます。」


香世は正臣の笑顔に、信じられないものを見た思いを抱きながら頭を下げてお礼をした。


「また細かい事が決まったら話をするから、香世が必ず納得のいく様にして欲しい。」


「はい…。

正臣様は何故?

そこまで私の為にご尽力いただけるのですか?」


会ってから何度も聞いているのだが、

未だにちゃんとした解答を貰えていない質問をもう一度してみる。


「香世が思い出してくれないと何も言えない。」

意地悪な顔をしてそう言われた。


香世はまだ思い出せないでいる正臣との出会いを、

一生懸命思い出そうとするのだがまったくと言っていい程何も浮かんで来ないでいる。


「何か手掛かりだけでも教えて頂けませんか?」

そう聞いてみるが、


「駄目だ、自分で思い出せ。」

と、冷たく突き放す。


正臣は香世が自分の事をずっと考えてくれている事に、満足して嬉しく思ってしまうのだ。


緊張していた2人だけの食事も、

いつしか美味しい料理に心が解け、

終始穏やかな気持ちで過ごす事が出来た。


家に帰る車の中、


「そろそろ桜が咲くらしい。

咲いたら花見に行くぞ。」

正臣が突然言うから、


「えっ?」

と香世は驚く。


正臣様と2人で?

少し戸惑いながらも嬉しく思う自分がいた。


私は買われた身なのに…

こんなに穏やかな毎日で許されるのだろうか?と、不安にもなる。


「俺と出掛けるのは嫌か?」

正臣は運転しながら香世に問う。


「いえ、決してそう言うわけでは…、

ただ正臣様は由緒正しき家柄の出、

没落した家の私なんかが一緒にいると周りから何を言われるか分かりません。

……貴方に私は相応しく無いと思います。」


小さな声で俯きながら香世は言う。


「誰が何と言おうと気にしなくていい。

俺はお前といたいんだ。

二度と自分を卑下するな。堂々としていろ。」


ハッキリそう言われて香世の胸はドキッと高鳴る。


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