第10話 正臣の思い

三年前…、


殺傷事件の後、軍部に戻り医療室で傷の手当てをしながら少女の事が気になって仕方が無い自分に気付く。


傷口は深かったのだろうか?

あのあと、無事に帰れたのだろうか?


普通の人ならば刀を見た途端怯み、

体が固まるだろうに彼女は姉を守る為、

果敢に飛び出していった。


その瞬間が目に焼きついて離れない。


年の功なら14、5歳だろうか…。

女学生らしい海老茶袴姿が可愛かった…。


可愛いかった?


…自分にそんな感情があったのかと驚く。


その後、記憶は薄れていくだろうと思っていたのだが、ふとした時に彼女の事を思い出してしまう始末で…


例えば寝る前微睡む意識の中だったり、


仕事の合間の息抜きの瞬間だったりと、


どうしようも無く彼女の姿が駆け巡り

頭を悩ませた。


親の勧めで仕方なく見合いなんかもしたが、彼女のように心が動く事は無かった。


気付けば探し求め、彼女が誰なのか知りたいと思うようになっていった。


そして、遂に突き止めたのだが…。


彼女の家の事情を知り、

急いで自宅に部下を走らせたならばそこには既に居なかったと聞き、


大事な軍事会議の最中どうしようも無い不安に襲われた。


彼女の姉に花街に行ったのだと聞いた部下に、どんな手を使っても香世を連れ戻せと指示を出した。


香世を助け出せるのならば1000円だって惜しく無い。

 

その場はそう自分を納得させ、

彼女を連れ帰る事が出来安堵したのだが…。


香世自身は俺に買われたのだと思ってしまった。


俺にとっては香世を取り戻す手段にしか過ぎなかったのに…。


どうすれば良いのだろうか。

正臣は自室に戻り思わず頭を押さえる。


はぁーっと深いため息を吐く。


香世の心を手に入れるのは容易では無いと思う。


軍人の家に育ち、武道に明け暮れた少年時代を過ごした。

強い者だけ生き残れるのだと叩きこまれてきた。


そんな俺に女子(おなご)の扱いなんかさっぱり分からない。


祖父からは軍人たる者、恋や愛にうつつを抜かすなと言われてきた。

 誰かに心を奪われると肝心な時に命を捨てられ無い、軍人として駄目になると…。


それなのに…


香世を誰かに奪われると思うと居ても立っても居られなかった。

そのくせ、手に入れたのに優しくする事も出来ず泣かせてしまう。


香世の一挙手一投足に心が揺れ乱れる俺は、確かに弱くなったのかも知れない。


まだ泣いているのだろうか…。


嫌われたか…怖がられたか…

どのみち、だからと言って手離せはしない。


自分の不甲斐無さに天を仰ぐ。


翌朝、子供の足音で目が覚める。


時計を見ると6時前、辺りは暗くやっと手元が見えるくらいだ。


「…姉さん…香世姉さん。」

パタパタと廊下を走っている足音。

 

香世は一階の奥の部屋に寝ている。


俺の自室は2階で、真子はその隣の部屋に寝かせていた。


襖を開けて真子に呼びかけようとする。


ふと、階段上まで香世が来ている事に気付く。

俺は音を潜めそっと2人を見守る事にする。


寝巻きの浴衣に半纏を着た香世が薄暗がりで、真子を抱きしめている。


「起きたら、姉さんがいないから、うち、ひ、ひとりぼっちになったのかと、思って…。」

真子がシクシクと泣き出す。


「ごめんね、寂しかったよね。

よく寝れた?お腹、空いてない?」

香世が小声で話しかけている。


「お風呂に入ろうと思って、今薪を焚べてるんだけど、真子ちゃんも一緒に入る?」


「一緒に入る…。」

真子が香世にギュッと抱きついて離れない。


「真子ちゃん、後から二階堂様からお話しがあると思うんだけど、真子ちゃんを尋常小学校に入れてくれるんだって。」


「うち、学校行けるの?」


「読み書きそろばんができた方が、

良いお仕事に就けるし、

お給金だっていっぱいもらえるのよ。」


「本当?うち、学校行きたい。」


「良かったね。学校へ行く前に今日から私が、読み書きそろばんをちょっとずつ教えるね。」


「やったぁ!」

と、真子がぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「真子ちゃん、二階堂様が起きてしまうといけないから、騒いじゃ駄目よ。下に行こう。」

香世は上手に真子を誘導して階段を降りて行く。


昨日会ったばかりの2人だと言うのに、

真子は香世に懐き、まるで本当の姉妹のように見えるから不思議だ。


香世は子供の扱いが上手いのだと思う。


俺に買われる事を納得させる為に、

真子の事も一緒に引き取る事にしたのは、

その場の思い付きに過ぎなかったのが、

今となっては良かったと思う。


真子と穏やかな顔で話している香世を見て心が安らいだ。


俺では引き出す事の出来ない、

素顔の香世を垣間見る事が出来た。


頃合いを見て居間に降りる。


香世と真子が行儀良く正座して、朝の挨拶をしてくる。

「おはようございます。」

2人揃って頭を下げてくる。


香世の側を通ると石鹸の香りが鼻を掠め、

人知れずドキリと動揺する。


「おはよう。2人とも髪がまだ半乾きだぞ。

急がないからちゃんと乾かせ、風邪をひく。」


「申し訳けございません。」


香世が急ぎ立ち上がり、真子を連れて部屋を出て行こうとする。


「他の部屋は冷えている。ここで構わないから髪を乾かせ、もっと火鉢の側に来い。」


そう言って、席を譲り2人が火鉢に近付きやすいようにする。


「ありがとう、ございます。」


お茶と新聞を持って現れたタマキに、

お願いして香世達の為に手拭いを持って来させる。


「香世様、おはようございます。

お風呂をご自分で沸かされたのですか?

気付きませんで申し訳けございません。」


「いえ、早い時間でしたし、

このぐらいは自分で出来ますから。」

香世がフワッと笑いながらタマキと話している。


俺は新聞を読みながら3人の様子をそっと伺う。

香世は令嬢であったにも関わらず、

手指が荒れているし、風呂の薪も自分で焚べたと言う。


一通りの家事は1人でこなせるのかも知れない。


女中にする為に連れて来たのでは無いと、

知らしめる為、家事は一切しなくていいと昨晩伝えたが、香世にとっては酷な事だったのだろうか?


本当は家事が好きなのかもしれないと密かに思う。


「旦那様、お先に朝食になさいますか?」

若い女中が現れ、俺に声をかけてくる。


「いや、彼女達の支度が整ったら一緒に食べる。」

そう告げ、新聞に目を落とす。


香世の髪を真子が結いたがり、

タマキの指導の元、楽しそうにしている。


朝の素っ気ない風景が、

この2人がいる事で暖かみを増し彩鮮やかに見えるから不思議なものだ。


香世は髪を結い上げ、髪かんざしで押さえている。

それだけで少し大人っぽくなるから気が気じゃ無い。 


好いた女子が近くにいるだけで、

こんなにも朝から心臓は忙しなく動き、

彼女の一喜一憂を見逃さないように神経を尖らせてしまう。


そんな自分に苦笑いする。


「正臣様、お待たせしました。」



香世と真子の髪は整ったようで3人揃って

朝食を取る。


「真子、午後に一旦戻って来るから、

その時、孤児院の方へ連れて行く。

それまでに荷物をまとめておいてくれ。」


食べながら伝達事項のように告げる。


「二階堂様が真子を小学校に行かせてくれるって聞きました。本当ですか?」

真子が嬉しそうに言ってくる。


「ああ、そのつもりだ。

学校の手続きに数日かかるらしいから、

その間はいつでもここに来て、香世に勉強を教われ。」

抑揚の無い声で真子に言う。


「本当に!!ありがとうございます。

うち一生懸命に勉強します。ここも好きに遊びに来ていいんですか?」


嬉しそうな真子につられて俺も微笑む。


「遊びにでは無い、勉強をしに来るのだ。」

 

そう咎めるが、真子は嬉しそうに香世を見てふふっと笑う。


香世も優しく微笑みを浮かべる。


そんなたわいも無い会話ではさえ、

俺は彼女の表情にいちいち反応してしまう。


「あの…お代わりしてもいいですか?」

食事が終わる頃、おずおずと真子が俺に聞く。


「ああ、いくらでも好きなだけ食え。」


そう伝えると、パァっと嬉しそうな顔になり真子が香世に目を合わす。


「真子ちゃんお茶碗貸して、よそってあげる。」

香世は俺を見てにこりと笑う。


俺は、目を見開き驚く。

俺に笑いかけたのか?


昨夜の事で、1歩も2歩も後退してしまったであろう香世の心を思い計っていたのだが…。


「俺も軽く、貰おう。」

ついでを装ってそう言うと、


香世が

「はい。」

と、微笑み、お茶碗を取りに俺の元まで足を運ぶ。


俺が差し出した茶碗を丁寧に両手で受け取り、おひつの場所に移動して、

真子の茶碗と共に白米をよそう。


一つ一つの所作がまるで茶道のように綺麗だと、不覚にも見入ってしまう。


「真子は茶漬けは食べた事があるか?」


動揺する心を鎮めるために真子に話しかける。


「食べた事、無いです。」

真子がワクワクしながらそう言ってくる。


「香世、そこにある缶の中に茶漬けが入っているから振りかけてくれ。」


そう伝えると、香世は缶の蓋をあけ白米に程よくふりかけお茶を注ぐ。


それを2膳お盆に乗せて、


「どうぞ。」

と微笑みながら俺に渡してくれる。


真子にも同じように渡し自分の場所に戻る。


その動きをいちいち目で追ってしまう俺も大概だが…

それだけの事に何故か嬉しく思ってしまう。


「香世も遠慮せずに食べろよ。」

そう伝えるとまた、


俺ににこりと笑いかけてくれる。


「ありがとうございます。」

穏やかな微笑みをたたえてそう言う。


「香世姉さん、これ凄く美味しいよ。

うち何杯でも食べられる。」

真子が嬉しそうに笑う。


香世もふふふっと嬉しそうに笑い、


「良かったね。」

と、優しく真子を見守る。


朝食を食べ終え、

軍服に着替える為、箪笥部屋へ入る。


タマキがいつも着替えを手伝うのだが、


「旦那様、今日から香世様にお着替えを手伝ってもらってはどうですか?」

タマキが香世を連れて来る。


「…別に手伝いなど不要だ。」


俺は内心戸惑いぶっきらぼうに言い放すが、

長年一緒にいるだけあってタマキはまるで聞き耳を持たず、香世に勝手に指示を出す。


「香世様、軍服はいろいろ装飾があって扱いが難しいのですが、順序良く渡して行って下さいね。」


「はい。」 

と、香世は答え熱心に聞き耳を立てている。


俺が着物を脱ぎズボンを履くだけで、

真っ赤になって後ろを向いてしまう。


そんな初心な姿を見ると、

香世がまったく男慣れしていない事が良く分かる。


俺の方も若干戸惑い、普段よりは早めにシャツを羽織る。


「旦那様、うら若き乙女がいるのですから、

少しは配慮して下さいませ。」


タマキに何故か俺が咎められる。


「香世様、ワイシャツの襟元と腕のボタンを留めて差し上げて下さい。」


タマキの指導は淡々と続く。


香世が俺の前に立ち、真剣な表情で俺の襟首のボタンに手を掛ける。


俺と並ぶと香世の目線は襟首より下辺りなのだと言う事を知る。


少しやり難いのか香世が背伸びをする。


「旦那様は無駄にお背がお高いのですから、

少ししゃがんであげて下さいませ。」

また俺がタマキに咎められるが、

言われるままに少し膝を折る。


「留まりました。」

そうすると、幾分やり易くなったのか嬉しそうな顔をして香世が言う。


俺もついつられて微笑んでしまう。


腕首のボタンも留め終え、

香世はホッとした表情をする。


その上に軍服を羽織り、同じようにボタンを留める。


後は勲章を胸に留め、護身用の短剣と軽棒、短銃などをベルトに取り付ける。


「危ないものですから、慎重に取り扱って下さいませ。」


香世は頷き、順番に俺に渡してくる。


最後の短剣になって香世の手が止まる。

良く見ると震えている様に見える。


ああ、そうか…。


三年前の事件を思い出させてしまうのだな。と俺は思い、自ら手で取り短剣を腰に納める。


香世はハッとした顔をするが、

何気ない顔を装い、

「ありがとう。」

と伝え、玄関に移動する。


香世はそそくさとタマキと共に着いて来て、玄関でコートを羽織るのを手伝い、

弁当を渡してくれる。


「行ってらっしゃいませ。」


と頭を下げて見送ってくれる。

真子も女中2人と出て来て、手を振ってくる。


真子の頭をポンポンと撫ぜ、ついでを装い香世の頭も撫ぜる。


「では、行って来る。

午後には戻るから、香世も一緒に外出の支度を整えておけ。」


そう伝え、運転手の前田の車に乗り込む。


香世と真子、タマキが玄関先まで出て来て車が見えなくなるまで見送ってくれていた。




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