第5話 高校生活って大抵1,095日なわけ。休みとか引いたら700とか? 放課後駄弁るのって何回ぐらい出来るんだろ
「えー。紆余曲折ありましたが、あらためてきちんと紹介するよ。俺と同じクラスの穂谷。今
日から廃病院同盟に加盟する」
ドタドタと小高と周平がパイプ椅子から転げ落ちる。新喜劇か!
「あー、……どういうこと?」周平が首を傾げる。
どういうこと?
そう言われてはたと気づく。
どうして穂谷は、僕が廃病院に出入りしていることを知っているのだろう?
「そういえばなんだけど、なんで穂谷は俺らが廃病院に出入りしてるって知ってんの?」
突然穂谷が笑い出す。
なんだ? 本性を現すのか。
「いや、あまりにも心底不思議そうに聞いてくるもんだから。あのね、一年の頃、ひとりで潰
れた病院の周りをウロウロしている人いるって結構噂になってたんだよね」
僕は唖然とした。その顔のまま、小高と周平を見る。二人とも同じような唖然とした顔でポ
ツリと呟くように言った。
「「馬鹿じゃん」」
「すいません!」
勢いをつけて謝る。いや、僕が謝るべきところなのか疑問ではあるけれど、とりあえずだ。
「そんなに?」
僕は本当に驚いていた。そんなこと言われていたとは。
「それなりに。あまり学校に来ない私の耳に入るくらいには」
気を付けようと素直に誓った。僕はヌケサクキャラじゃない。梅雨前にキャラ補正しておか
ないと。
「でも、中に入ってることまでは誰も知らないよね?」
あまり触れたくはなかったが、はっきりさせておかないといけないことだった。今後小高に
「あの時は云々かんぬん」とねちっこく言われることを覚悟する。
「たぶんみんな知らないんじゃないかな。いつ頃から中に入るようになったの?」
「一年の二学期くらいから」
「じゃあ大丈夫だと思う。みんなが噂してたのは、一年の最初の頃だけだったから。それから
は一切聞いたことはないよ」
「じゃあなんで、穂谷さんはセイヤが廃病院に入ってることまで知ってんの?」
ナイス小高! 密かにエールを送る。本人には決して言わないが。
自分が指摘される分にはイラつくけど、こういうとき小高はいい仕事をしてくれる。
「穂谷でいいよ。ちなみにセイヤって西谷のこと?」
「そうでございます。穂谷様。私共の間では彼はセイヤと呼ばれているのです」
穂谷登場からずっと無言だった周平が口を開いたと思ったらスイッチが入っていた。
あぁ、そうかー。こういうのお前のドストライクだもんね。
周平は一応アウトドアの趣味を持っているが、基本的にはオールマイティなオタクで、勿論
アイドルの追っかけもその多岐にわたる活動の一翼を担っている。ドルオタモードの周平がこ
んな感じなのは、いつか遊び半分で付いて行った握手会のときに知っていたが。
「様って何? 様って」眉間に皺を寄せながら笑う。
あっ、それ「サハラ」のお姉さんのやつだ。グッとくるやつだ。
案の定、周平は目頭を押えて何かをこらえている。
なんだか今日は、同い年の仕草が気付かないうちに洗練されていることに気付いて、やけに
凹む日だなぁと思った。
「小生の推しメンに任命させてもらってもよろしいですか?」話すときに中指でスチャスチャ
眼鏡を押し上げるのが、ドルオタモードに入った証拠である。
「あー、私アイドルじゃないし、そういうのはちょっと」穂谷の笑顔が引きつりつつある。こ
ういう輩の対応には慣れていないようだ。学校ではいつも女子に囲まれているから、隠れファ
ンも近づけないのだろう。
僕が横から穂谷はモデルをやっていることを伝える。ついでに「落ち着け。今後がやり辛い」
と釘をさしておく。
「なるほど道理で……」言いながら周平はフリーズする。
ん? って顔の穂谷をよそに僕はその隙を縫ってさっきの話の続きを促す。僕は早く種明か
ししてもらいたいのだ。
「あぁ、それね」
しばし黙る。僕は固唾を飲んで見守る。うん、とひとつ頷き穂谷は続ける。
「言ったと思うけど、私ちょくちょく今日みたいにサボるんだよね。それである日、同じパタ
ーンでセイヤを駄菓子屋で見かけて尾行したときがあったの」
小高がジト目でこちらを見ているが無視する。
「それで廃病院の裏通りに曲がってったから、「あっ、あの人が例のうろちょろしてる人なんだ」
って思ってちょっと期待して同じように角を曲がったらいなくなってて、おかしいなって思っ
たの」
廃病院の裏側に直接行くときは、住宅街の縁に沿うように整備された道を通るしかないの
だが、穂谷が言うように裏通りに合流する際、角を曲がる必要があった。
「それから何回か尾行したんだけど、毎回角を曲がるとすぐに消えちゃうから、幽霊かなとか
思ったりしたこともあったんだけど、ほら、潰れた病院だしね。でも冷静に考えたら建物の中
に入ってるんじゃないかって思って」口を押えつつも、穂谷は笑いを止められないようだ。
僕としてはそのまま幽霊扱いでもよかったのだが。
「迂闊なんてもんじゃないね。そんなに無警戒なんて信じらんねぇ。だいたい、昼過ぎで明る
いのに何やってんだよ」小高がぐちぐち攻めてくる。僕はムッとするがグッとこらえる。おっ
しゃる通りだ。
「それで今日、かまかけてみたの」悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
まぁ、そういうことらしかった。
僕は穂谷の手のひらの上でひとり勝手にサンバでも踊っているような感じだった。
穂谷がおばちゃんに注文している横で、小高がひそひそと言ってくる。
「どうすんだよこれ」
「仕方ないだろ。ばれちゃってるんだから」
「お前のせいだろ。変なことになったらお前が責任とれよ」
そうですか。責任問題に発展しますか。
「はいはい、分かっってますって」僕はこれで話は終わりだと、そっぽを向いてメロンソーダ
を吸う。
「イエナシさんはどうすんだよ?」小高はまだ突っかかる。よほど言いたいことが尽きないら
しい。そのエネルギーを贅肉を燃やすのに使ってみてはどうか、とつい提案したくなる。
「それは訊いてみるけど、イエナシさんなら別にお前みたいにうだうだ言ったりしないでしょ」
今日は機嫌が悪い日のようだ。小高の癇癪玉は頻繁に破裂すように出来ている。
「そうじゃなくてさ!」
何か続けて言おうとしたが、そこで小高は口をつぐんだ。
穂谷がやって来て「作戦会議は終わった?」なんて言う。
小高はむすくれて「まぁね」とだけ答える。
「言っとくけど、なんかあったら本当にお前が責任とれよ。俺は知らねぇからな」
そう言い切ると、運ばれてきた二皿目のたこ焼きに食らいつく。お前何個食うつもりなんだ
よ。つーかそれ、二皿目なのか。何皿めだよ。どうでもいいよ。
僕は穂谷の加入がこんなにややこしくなるとは思ってなかった。
そのときフリーズしていた周平が急に叫んだ。
「明太子のやつか!」
意味が分からなかった。こいつはこいつで何をしてるんだ。
そういう僕の心境とは裏腹に穂谷が明るい声をだす。
「そう! 知ってんの?」
「勿論ですとも。いつも楽しく拝見させて頂いております」
周平がお辞儀する。
「いやー、嬉しいね。あのCM昼の時間帯だから知ってる人少ないんだけどね」
どうやら周平は、穂谷が出演しているCMのことを思い出そうとしていたらしい。さぞかし
膨大なデータベースなのだろう。必要な情報を取り出すのに時間がかかり過ぎている気もする
が。脳ミソ掃除した方がいいんじゃないか。
小高はそんなやり取りの中も、ひとりむすくれてたこ焼きをしばいていた。
* * *
廃病院に来たときには、辺りは暗くなっていた。
周囲を警戒する。警戒に警戒を重ねて警戒をまぶす。警戒を撒き散らす。かき集める。
一体僕は何をしているんだろう。そう思いながらも、さきほど口が酸っぱくなるほど小高は
ねちねち言っていたので、こちらも血管が破れそうになるほど我慢した分キョロキョロする。
僕の警戒心とは相変わって三人は和やかに談笑していた。ちくしょう。
もう大丈夫か。そう思って裏口を開けようと鍵を取り出すと、思い切り小高に頭をはたかれ
る。
「痛ってぇな! なんだよ」
小高が顎をしゃくるほうに目を向けると、角を曲がって歩いてくる女性がいた。
「もう一回口では伝えたからな。今回からは手が出てくるってことだ」
まだなんか気に食わないのか。まぁ全部俺が原因ではあるんだけど。
ひとしきりまた周囲をキョロキョロしてから、耳を澄ませる。
……なんだろう。
目と耳で確認する限りでは何もないはずなのだが。
嫌な予感がする。薄気味悪いというか。
マックで穂谷と話していたときの感覚に似ている。ちらっと穂谷を窺うと、周平と普通に会
話しているように見えた。
誰かにどこかから見られているような気もする。
これがイエナシさんが言ってた違和感かもしれない。あるいは、イエナシさんがそう言って
たから、今日の僕は神経過敏になっててありもしない何かを勝手に感じているのかもしれない。
小高が僕を肘でつつく。
「もう大丈夫だろ」
「なんか、嫌な予感がする」
「はぁ?」
周囲を確認して、「何もねぇじゃん」とこちらをなじる。
言い方に棘があってムッとするが、その苛立ちよりも気色悪さの方が僕の中を占めていた。
「今日はやめた方がいい」
「はぁ? なんだ、当てつけか」
「そうじゃない。本当に変な感じがするんだ。イエナシさんも最近変な感じだって言ってたし。
今日は引き返した方がいい」
僕は努めて冷静に提案する。小高が苛立っているのを隠そうともしないで右足で貧乏ゆすり
をしだす。
「もういいって。そういうの、さっさと入らない方が逆に不審に思われんだろうが」
「だから早くここから別の場所に移動した方がいいって」
ここで言い合いをしてもまったく意味はないし、何か悪いことが起きようとしているならむ
しろ逆効果だと思っていても、つい言い返してしまう。
「だ・か・ら! 別になんもねぇって言ってんだろ!」
小高が怒鳴る。瞬時に僕は冷静になって辺りを窺う。特に目につく異常はない。
穂谷と周平が驚いてこっちを見る。
「どうしたの?」穂谷は穏やかにそう尋ねる。
なんだ? どういうことだ? 原因は穂谷じゃない。そのはずだ。そう思いたい。
ここで引き返せばとりあえず穂谷が病院に入る機会は延期にできる。次の機会が来る前に一
旦イエナシさんに相談できる。でも。
目の前の小高を見る。暗くて表情はよくわからないが、貧乏ゆすりの域を越えて地面を何回
も蹴っている。
こいつはなんでこうなっちゃったんだろう。
中学の頃は誰よりも寛容的で、おおらかで、そんなこいつが僕は好きだった。
昨日から僕を取り囲む色んな要素が僕を混乱させるが、ストンと音をたててその想いが胸の
底に落ちる。
原因なんてひとつだ。わかりきっている。
あのとき僕に何かできることがあったのだろうか。わからない。分かっていたとしても、き
っと何も出来なかったとも思う。
自分を責めるつもりはない。でも、厭世的になって常に自棄を起こしてるみたいな小高を見
ていると、僕が悪かったと思わざるをえない。
「……わかった」
我ながら小さい声だった。最後にもう一度辺りを探る。
さっきまでの気色悪い感じはなくなった、ような気がした。そのままそう思うことにした。
そっと鍵を開ける。
四人でさっと中に入る。音を立てないように扉を閉めて、内側から鍵をかける。
真っ暗な廊下にカチャンと音が響く。
携帯の明かりで足元を照らしながら203号室に向かったが、そこにイエナシさんはいなかっ
た。階段で四階に上る。
電気も水道も使えるので、侵入成功当初は調子に乗って、エレベーターを使っていたが、今
では使う気も起きない。
「ドキドキする」
四人分の呼吸音と足音以外何も聞こえない中、穂谷がつぶやく。
周平の息遣いだけが荒くなる。
やめてくれ。俺が責任者なんだぞ。
四階には、以前はおそらく見舞客と入院患者の談話スペースとして使われていたのだろうひ
らけた場所があった。
いた。
イエナシさんは丸椅子に腰かけて、どこから持ってきたのかスタンドライトで照らしながら
大きなキャンバスに絵を描いていた。
「こんばんは」
僕に続いて三人が口々に挨拶する。穂谷の声にちょっと驚きながらイエナシさんは振り返っ
て言った。
「こんばんは。新入りさんかな?」
初対面でいきなりダッチワイフ呼ばわりしないところが素晴らしい。
いや、それが普通なのだが。
「穂谷と言います。よろしくお願いします」
きれいなお辞儀を披露する穂谷。
「ひとつ、訊いていいかな?」
イエナシさんはスタンドの向きを変えて僕らの顔が見えるようにする。床に反射した暖色光
が、僕らの顔を浮かび上がらせる。取り調べみたいだと僕は思った。
「どうぞ」
「目的は何?」
いつもは穏やかに細められているイエナシさんの眼が、鋭く強い光を帯びる。見定めるよう
に。
「セイヤと友達になりたかったんです」
簡潔に、穂谷は言う。他に何も余分がない言葉だった。僕は思わず赤面する。その真っ直ぐ
な言葉が僕に向けられたもので、噛み締めるようにして熱いものが僕の中に断続的に広がって
いく。
イエナシさんは穂谷の眼をしばらく見つめて、何かを確かめたあとニッコリと微笑んだ。
「そっか。よろしくね。穂谷さん」
どうやらイエナシさん的には何も感じなかったらしい。少しホッとする。
じゃああの違和感は何だったのだろう?
「あの、どうやってここの存在を知ったとかって聞かないんすか?」僕は進言する。
「おおかたセイヤがつけられたとかそんなところじゃないのかな?」
その通りだ。穂谷が思わずフフッと笑う。イエナシさんも穏やかに微笑む。
それでも僕を責めないイエナシさんは、純粋に良い人だと思う。
それと同時に疑問も湧く。彼はなぜホームレスをやっているのだろう?
イエナシさんはスタンドをキャンバスの方に向け直して絵の作成に戻った。その絵を見て、
穂谷が何か言う。画家の名前だと思うが、よくわからない。二人は絵について話し始めた。
周平と小高は細長いブロック状の腰掛に寝そべってゲームを始めていた。度々僕らはイエナ
シさんも含めて四人でゲームをする。中学校の頃にハマったあのゲームの新作で、四人同時に
通信協力プレイが出来る。
イエナシさんはゲームをするつもりはないらしい。小高がお前はどうすんだよ、と目で訊い
てくる。僕は拝み手を左右に振ってやらない意思を示す。二人はさっそくクエストを開始した
ようだった。
ゲームをしたい気持ちもあったが、僕には考えることがたくさんあった。
はっきり言ってまだ、穂谷への疑念が完全に消えたわけじゃない。穂谷が所属しているのは
タレント事務所なのか、なんなのか知らないが、演技のレッスンもあるかもしれない。僕は騙
されているのかもしれない。
穂谷がいる前ではあるが、イエナシさんの意見を聞くことにした。
「イエナシさん、昨日言ってた違和感のことなんですけど」
イエナシさんは小さいヘラのようなものでキャンバスの上の絵の具を延ばしたり押し付けた
りしながら、「あぁ、あれね」と答える。片手で脇にあったタバコのボックスとライターを僕に
渡してくる。僕はそれを受け取ったが、穂谷がいたのでとりあえず手に持ったままで待機した。
「違和感って何?」すかさず穂谷が訊いてくる。
僕が何か言おうとする前にイエナシさんが答える。
「最近この辺が変な感じがしてるって言ってたんだ。穂谷さんは何も感じない?」
「いいえ特には。ただ、個人的なことですけど、ここ最近この辺に来ると肌がざわつく感じが
してて。誰かにじっと見られてるような」
「この辺って、じゃあなんで駄菓子屋なんかに来てたのさ?」
「セイヤが来ると思って」と、真面目な顔の穂谷。
えぇー。やめてよそういうの。困るんだよ。なんか調子狂っちゃうしさぁ。
イエナシさんはふふっと笑ったあと、真面目な顔に戻って続ける。
「穂谷さんの感じは間違ってないと思うよ。今日は僕もこの辺りを出回って情報収集をしてた
んだ。楼蘭亭っていう、僕がたまに行く中華料理屋のおばちゃんが言ってたんだけど、最近こ
の辺で強姦事件が何件か発生しているらしいんだ」
僕は一気に胸糞が悪くなった。この場合、胸糞悪いっていうのが適当な表現かは別にして、
血の巡りが悪くなって息苦しい感じだ。
穂谷は表情を変えない。もともと白いので青ざめているかどうかは定かじゃない。
身近なところでそんな事件が起きるなんて考えもしていなかった。
「犯人は一人じゃなくて複数の若い男らしいんだけど、大体目星はついているみたいでこの辺
で暴走族まがいのことをやってる集団がいるでしょ? チーマーってやつになるのかな。もっ
ぱら彼らの仕業ってことで警察は動いているらしい。この辺の住民もみんなそう思ってるみた
いだ」
ショッピングモールにほど近い位置にファミレスがあったのだけれど、僕が高校に入学して
間もない頃、そこで暴力沙汰というか、少々派手な喧嘩騒ぎがあって店がめちゃめちゃになっ
たことがあった。それでその暴走族まがいのうち、何人かが捕まったのだが、もともとそのフ
ァミレスは夜になるとその手の連中が現れることで有名で客の入りも昼はともかく夜は微妙で、
その事件があってからめっきり人が寄り付かなくなってしまったのが原因で、事件からひと月
もたたずに潰れてしまったのだった。
それでも今なおこの辺では、ときどきやかましい音を撒き散らしながらちんたら走る連中が
いるため、のんびり活動していることはみんな知っていることだったが。
彼らも大概暇人である。僕も他人のことは言えないが。
でもまさか強姦事件を起こすような奴らだとは認識していなかった。いい意味か悪い意味か
は別にして、そんなことを出来る連中だとはみんな思ってなかったはずだった。
日頃の鬱憤が溜まって地域住民が彼らの所業だと断定するのは分かりやすい推測だけど、現
実にこの辺りで集団で悪事をはたらく連中と聞けば反射的にみんな彼らを連想するのは明らか
だった。
「違和感の正体のひとつはそれだ。狙われているのは女子高生だけらしいから、もしかしたら
穂高さんもセイヤをつけてるつもりで自分がつけられていたのかもしれないね」
イエナシさんは相手に不快感を与えない程度に、絶妙な調子で穂谷をたしなめるように言っ
た。
「気を付けます」それを受けて穂谷も少しシュンとする。
「ひとつっていうことは、他にもなんかあるんすか?」
「うん。その前に今思い出したんだけど、彼らは最近になってチーム名みたいなものをつけた
ようでね。レッドウィングズっていうらしいよ。被害女性が口々にその名を口にするらしい」
はっきり言ってそんな「世界びっくりニュース映像」みたいな馬鹿なことがあるわけないと
思った。犯行時に自分たちの身元が割れるようなことを言うだろうか? でも彼らならそんな
こともやってのけそうでもある。
「話の続きだけどね。二つ目は、僕たち全員に関係することなんだけど、この病院が危ない状
況にあるのかもしれないってことだ」
僕はドキッとした。恐る恐る尋ねる。
「それってもしかして俺のせいなんすかね?」
「その可能性もあるにはあるけど。たぶん違うんじゃないかと思う」
僕は少し安心する。穂谷が近くから丸椅子を二つ引きずってきて、ひとつを僕に渡してくる。
腰を据えて話さなくては、ということだろう。
ちらと小高と周平の方を窺うと、周平はゲームに熱中しているようだった。小高は周平がゲ
ームに熱中しているのをいいことに、いつものようにゴミを周平の鞄に入れていた。
ゴミを人の鞄に忍ばせるのは小高の癖というか、定番の悪戯だ。だから鞄に見覚えのないゴ
ミが入っていると、すぐに小高だと分かってしばいた。中学の頃は、「悪い。悪い」と言いなが
ら何かしら奢ってくれた。奢るためにやっていたのかもしれない。高校になってからやってい
るのをはじめて見た。
僕によっぽど腹が立っていたのか、小高は自分の鞄から何か小さいゴミを大量に周平の鞄に
詰め込んでいた。関係ないやつに腹いせすること自体悪いことだけど、それにしても尋常じゃ
ない量のゴミだった。こちらからはスタンドの光が弱くてよく見えない。
いろいろ思うところはあったけど、これ以上小高を刺激するのはよくないと思い、黙ってお
く。ゴミは周平が捨てれば済むだろう。
壊れた椅子をちゃんと座れる椅子に替えてきた穂谷が椅子に座り、話が再開する。
「具体的にどう危ないんですか?」と穂谷。
「うーん。これはうまく言えないんだけど、この病院が注目されてるって感じかな。実際に今
日の昼過ぎにあったことを話した方が早いかもしれない」
そこでイエナシさんはヘラを置いてこちらに向き直り、片手でピースサインを作って僕に振
ってみせる。僕は黙って持っていたタバコとライターをイエナシさんに手渡す。腰を据えて話
すつもりなのだろう。
「えっとね、どこから話せばいいかな。あっそうそう午前中に一通りの外回りを終えて、一旦
ここに戻ってきたんだ。昼食はちょうどさっき言った中華を食べてきたから、食後のコーヒー
でも飲みながら読書をしていてそのまま寝ちゃってたみたいなんだけど、ガンガンって激しい
音がして目が覚めたんだ。何事だと思って飛び起きて慌てて音の出所を探ったんだけど、裏口
からその音は聞こえてきていてね。窓から外の様子を見てみた。場合によっては、管理者か業
者が、建物の様子を見に来たかもしれなかったから、相当焦ったんだ。一気に覚醒しちゃった
よ」
イエナシさんは笑う。ということは違う人間だったのだろう。
「予想に反して、管理者とかそういう人ではなかった。どうやら裏口のドアを蹴るかどうかし
てるみたいで、無理矢理入ろうとしているらしかった。裏口の上にはほら、屋根というかひさ
しみたいなやつがあるよね? だから窓からそいつを見るには身を乗り出さないといけなくて、
諦めてそいつが帰るところを見ようと思った。そしてずっと観察していると、屋根の下から一
人が困った顔で出てきたんだ。どうやら裏口から一歩引いたことでこちらから見えるようにな
ったらしかったんだ」
それを聞いて思わず口を挟む。
「じゃあ、さっきの、その、レッドウィングズの奴らが何人か来ていたってことっすか?」
チーム名を口にするとき、だいぶ恥ずかしかった。僕は彼らに純粋ではない尊敬の念を抱い
た。
「うーん。それも判断しかねるんだよね。その一人っていうのが、女の子でさ。真面目そうな
女子高生で、穂谷さんと同じ制服を着ていた」
「誰だろう?」と穂谷は僕に訊く。
「学校にほとんど行ってない俺が知るわけないじゃん」
「それもそうだね」と普通に納得されて凹む。
「それでしばらく様子を見ていると、その女の子がたぶんドアをこじ開けようとしているやつ
に向かってだろうけど、『やめなよ』とか『もういいよ、行こう』とか言って止めようとしてい
たんだ。ずっとそうやってたんだけど、どうしようって感じでその子が声かけをやめてふとこ
ちらを見たんだ。僕は慌てて顔を引っ込めたんだけど、たぶん気付かれたと思う。そしたらす
ぐに音はやんだんだ。きっと女の子がそいつに中に誰かいるって言ったのかもしれない。しば
らく身を隠したあと、外を見るともう誰もいなかった」
僕はもう、何がなんだかわけがわからなかった。だから素直に訊くことにした。
「つまりそこから分かることってなんなんすかね? もう俺こんがらがってわけわかんねぇっ
すよ」
「穂谷さんはどう思う?」イエナシさんは穂谷に意見を訊く。凹む。
「うちの生徒の間で、この病院に入れる噂みたいなものが広まってるってことですか?」
イエナシさんはうなづく。
「僕もその可能性は考えた。でも、そうしたらあんな風にこじ開けるわけがないと思わないか
い? 入り方を知ってないと入ってみようって気にはならないと思うし。僕の主観だけど、彼
らはきっとここを、ラブホテル代わりに使おうと考えてたんじゃないかと思う」
「じゃあうちの学校の生徒同士で来たってことですか?」穂谷とイエナシさんで話が進んでい
く。僕に入り込む余地はないようだ。
「その可能性は高いと思う。でも君たちと同じ高校に通う生徒同士とは限らない。現に周平も
小高も違う高校だし。しかも普通に考えれば自分の高校に近いところで他の人に見られるかも
しれないのにそういったことはしないはずだ。そうすると違う高校の生徒ってことになるんだ
けど、紛れもなく僕が見た女の子は穂谷さんと同じ制服を着ていた。結局は僕が見た女の子に
直接問い質すしかないと思う」
僕はイエナシさんの言葉が切れた隙を縫って口を挟む。
「男がレ、レッドウィングズの一員ってことはないですかね?」
先ほどより恥ずかしさは弱くなった。こうして彼らも堂々と胸を張ってチーム名を名乗るよ
うになるのだろう。要は馴れだ。
「その可能性も高い。あの粗暴な挙動からしてもあり得る話だ。でもとりあえず、男の正体を
話し合ってもここではっきり結論は出せないと思う」
蛇足だったようだ。申し訳ない気持ちになる。さっきからずっと役に立ってない。
「それで話が最初に戻るけど、さっきのセイヤの話は的を射てるんだ」
おっ。無駄ではないのか。
「この近辺で強姦事件が起きている。捜査当局から直接話を聞いたわけじゃないから正確な情
報はわからないけれど、どこかで実際にその行為が行われていて、場所が判明してないにして
も、していたとしても、そういう事件が起きやすそうな場所と言えば、この場所以上に適した
ところはないと思わないかい?」
その通りだ。冷や汗が背中を伝っていくのを感じる。
「現に今日の二人もここをラブホテル代わりに使おうとしたと僕たちは容易に想像できる。チ
ーマー連中がここでたむろしている可能性も普通に考えられる。ここで犯行が行われていても
なんら不思議はない。むしろ妥当じゃないかな?」
その通りだ。脇汗が半端じゃなかった。身体が熱を帯びている分、汗の冷たさに息が詰まる。
「そういう意味で、この病院は今非常に危ないと思うんだ。絵が完成していないけど、僕もし
ばらくはネットカフェに拠点を移そうかと思ってるし。穂谷さんは一回しか来てないけど、様
子を見た方がいい。少なくとも事件が解決するまでは」
鼓動が急速に早まっていた。さっき感じた違和感はこれのことだったのかもしれない。警察
か、レッドウィングズか、僕らは見張られていたのかもしれない。一応鍵は閉めたけど、集団
で押し寄せてくるかもしれない。
「ヤバいです。イエナシさん。実はここに入る前、妙な違和感を感じたんです」
「違和感?」イエナシさんの目つきが険しくなる。
「誰かに見られているみたいな。今日はずっとそんな感じがしてたんです。穂谷と一緒にいた
からかもしれないですけど、それにしても入るときに強くその感じがしたんで、警察かチーマ
ーが乗り込んでくるかもしれない。早く出ましょう!」
それを聞いてからのイエナシさんの動きは素早かった。あっという間に必要なものを203号
室に取りに行った。僕達には荷物を持って一階のホールに移動するように言い残して。
息を切らしながら一階に来たイエナシさんの手には鍵が握られていた。正面玄関の鍵だ。
「やむをえないからね」
それで正面のドアを解錠した。僕たちは黙ってイエナシさんに続く。イエナシさんが表の様
子を確認して、僕たちは廃病院を脱出した。
集団で大通りを歩く。これならチーマーに囲まれる心配はないだろう。もっとも本当に世界
おもしろ映像に出れるくらいの馬鹿さ加減なら人前でも堂々と取り囲んでくるだろうが。
イエナシさんはそのまま駅前のネットカフェに泊まるつもりらしい。時刻はあと少しで十時
になろうとしていた。
五人で連れ立って歩く。周平と小高はなんで僕たちがこんなに慌てているかわかっていない
ようなので、穂谷が説明をしていた。
それで僕はイエナシさんに一応今日の僕の収穫を伝えておくことにした。
募金活動に乗じて詐欺事件が起こっていること。今日一日、マックと裏口から廃病院に入る
際、嫌な気配を感じたこと。いずれも誰かに見られているような気がしたことなど。
「絶対に変なことが起きてるよね」
それを聞くとイエナシさんはそう漏らす。
「こんなに狭い地域でそうそう複数の事件が同時に起こるなんておかしくないかい?」
「言われてみれば」そうだ。犯罪促進週間が催されているのだろうか。そんなはずはない。同
時多発的に起こった事件は一つのところに収束していくものだ。
「絶対にしばらく大人しくしていた方がいい」
イエナシさんには珍しく、少し苛立った雰囲気がした。
いつの間にか駅前に着いていた。
「そうですね。イエナシさんも気を付けてください」と僕は言った。
でも、これでいいのだろうか。そういう考えがなくはない。
本当にこれでいいのだろうか。そういう気がする。
ここで引いて、そうしたらもしかしたらこのまま僕たちは二度と廃病院に入れないかもしれ
ない。穂谷は結局一回しか廃病院にはいれないままかもしれない。
そのままイエナシさんはどこか遠いところに行ってしまって、穂谷とも話すことはなくなる
だろう。
……なんだかムカついた。
納得が出来なかった。
僕は怒っているのかもしれない。その怒りかなんだかわからないものは、とりあえず僕にや
る気を起こさせた。何かせずにはいられなかった。
イエナシさんや周平、小高、穂谷を巻き込みたくはない。
だったら、答えはたったひとつだ。
僕一人で、事件の真相を暴いてやる。
* * *
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