第6話


 次の日。

 僕はとりあえず学校に来ていた。

 昨日家に帰って自分なりに考えを整理してみた。

 事件の真相を追うとしても、僕に出来ることは取り立てて思い浮かばなかった。チーマーや

警察に突撃インタビューを仕掛ける勇気や度量もあるはずがないし、かけるリスク以上の成果

が得られるとは思えなかった。

 そこでイエナシさんの話に出てきた女の子を探すことにした。今この町で起こっている事件

の全体とは必ずしも関係するとは限らなかったけど、部分的な突破口にはなるはずだった。と

いうか、それ以外に僕に事件を探る糸口はないように思えた。

 学校には来たが、穂谷と話すつもりはない。昨日イエナシさんが僕たち全員に向かって大人

しくしていようと呼びかけてみんなそれに「はい」と答えたので、僕が女の子を探っているこ

とが穂谷に気取られないようにしなければならなかったからだ。

 とりあえず、サボり魔なのであまりあてにはできないけれど、井上に聞いてみようと思った。

だけど、直前になって気付いた。真面目そうな子という以外に、僕には彼女に関する手がかり

が何もなかったのである。

 昨日、廃病院で愛の逢瀬を交わせなかった二人は、そのあとどうしたのだろう、と考えてみ

た。夜になってちゃんとラブホテルに行ったのだろうか。

 彼らがどういった動機で廃病院を選んだのか。それが重要だ。

 お金がないから? 学生だから? どっちもあり得そうだった。

 気付いたのだけれど、当たり前のことだが、学生服でラブホテルには入れない。イエナシさ

んの真面目そうな子という印象が本当なら、ひょっとすると門限なんかもあったかもしれない。

@入れないこともない。

 そうすると、夜の公園で青姦というわけにもいかないだろう。

 そこまで考えてみて、ピンときた。だから僕は学校を出ることにした。

 昇降口で、偶然にも穂谷と遭遇する。本当にこれは偶然だろうか? つけられていたんじゃ

ないかと後ろを振り返る。誰もいない。前を見る。穂谷がいた。

 しっかりしろ! バカやってる場合じゃないぞ、と言い聞かせる。僕は出来るだけ自然を装

う。怪しまれないように。

「おはよう」穂谷の方から挨拶をしてくる。爽やかな声とは裏腹に怪訝そうな表情をしている。

 完全に怪しまれている。「何やってんの」という顔だ。

「おはよう。いやー、参っちゃったよー。現国の教科書家に忘れてきちゃってさー。家に取り

に帰るところなんだ」

「私隣だよ」

 一瞬意味がわからなかった。「だから?」という顔になっていた。

「二人で見ればいいじゃん」

「それは、……恥ずかしい、からさ」

 これは演技じゃなかった。穂谷と机をくっつけて授業を受けようものなら、クラスの連中に

どんな仕打ちをされたものか、想像するだに恐ろしい。男女結託して僕を糾弾し、退学に追い

込むだろう。

 それに、学校ではあまり穂谷と関わり合いになりたくない気持ちがあった。

「あっ、そう」すんなりと引き下がる。ありがたい。

「じゃあ、他のクラスから借りてくればいいじゃん」

 違う角度からの攻撃がくる。僕は機転を利かせてそれを避ける。

「……俺が他のクラスに友達いると思ってんの?」

「……なるほど」

 納得してもらえた。ホッとする反面、凹む。

「昨日、イエナシさんが言ってたよね。大人しくしていようって」

 穂谷が真っ向勝負に出る。やっぱり勘付かれているのか。

 これが女の勘というやつなのか。

「そうだね。しばらくは穂谷もサボらないほうがいいよ」

「私はサボらないよ。気を付けるってイエナシさんに言ったもん」

 小さい子供みたいな口調になる穂谷。少し、可愛いと思った。

「俺もサボるつもりはないよ。用が済んだら学校に戻ってくるつもりだし」

「用って何?」

「忘れ物を家から取ってくるんだよ」

 そういうと穂谷は押し黙った。この隙に僕はさっさと行ってしまおうと取り出した靴を置い

てそれを履く。

「……セイヤは、友達に嘘つかないよね?」

 ズルいなぁ。そう思った。本当にズルいのは僕なのに。

「当たり前だろ」

 盛大な嘘をついた。その場にいるのに耐えられないままに、足早に昇降口を出る。背中に穂

谷の視線を感じる。

 あーあ。そう思った。それしか思わなかった。

 あーあ。どうして俺、こうなっちゃったんだろう。



* * *



 学校を出てショッピングモールに向かった。

 穂谷とのやり取りがあって、心中穏やかではなかったけど、歩いていると次第にそういうの

も失せていった。

 穂谷に悪いとは思うけれど、ムカつくものはムカつくし、行き場のない苛立ちを何かにぶつ

けたい衝動は抑えられない。

 そうだった。ずっとそうだったんだと思う。

 高校に入ってから、ずっとそうだった。僕はずっと、八方ふさがりだったのだ。どこにも行

けず、ずっと鬱憤を溜めるばかりだった。

 その状況に、現実に、風穴を開けたいと思う。

 すっかり矮小になってしまった自分を意識して、自信がなくなって、心の中で悪態をつきな

がらもヘラヘラするしかなかった僕にも、何かをやるチャンスが巡ってきた。

 ここでやらなきゃ男が廃る、とは思わないけど、ここで折れてしまえばあとはズルズルと流

され続ける運命が待っている。

 去年の年末、僕は学校に行きたくないとしきりに親にぼやいていた時期があった。その頃は

まだ、家庭としては穏やかな雰囲気で、水面下ではいろいろなことが進行していたのだろうけ

ど、一応表面上はうまくいっていた。だから僕も甘えてそんなぼやきが呟けたのだった。

 それをきくと母は言った。

「一度休むのは簡単だよ。でもね、一回休んでしまうと、もう一回だけ、もう一回だけって、

気付くとズルズル休み続けてしまうものなのよ」

 そう言われても、当時はそんなわけないじゃんと一蹴するだけだった。

 今ならそれが本当だとわかる。事実、僕はこうして学校をサボり続ける日々を送っている。

 人間は怠惰で、惰性に流されることを学習する生き物だ。一度学習してしまったら、それが

悪いものならなおさら、何度もそれを繰り返すのだろう。

 だから僕は、ここで引き返すわけにはいかない。

 そんな当時、母に連れられて隣の家のおいちゃんと炉端を囲んで飯を食う機会があった。

 おいちゃんは、勤続四十年国鉄に勤めあげて定年退職した後の余生を送っている自由の身だ

った。

「休みたくなる気持ちもわかるよ。でもね、今の高校に受からなかった人の気持ちを考えたこ

とはあるかい?」

 穏やかにそう尋ねられた。僕はそれに答えられなかった。



 例の多目的トイレにつく。確認すると、中には誰もいなかった。

 不審に思われないように、使うトイレを毎回変えている可能性があった。

 このショッピングモールは広すぎて、二階建てだがワンフロアに複数の多目的トイレがある。

彼らが規則的な行動をしている根拠は何もなかったが、またここに来る気がしていた。他の多

目的トイレは午前中から昼にかけて人の目もそれなりにあり、やましいことを考える人は使い

づらいはずだった。刑事の勘というやつに頼る。

 ゲーセンコーナーはフロアの端に沿うようになっているので、多目的トイレに直接来る限り

一方向だけを確認していればよかった。以前のスロット台に座って椅子を若干外にずらして顔

だけで通路を確認する。

 ……来た!

 向こうから学生服を着た男と女が連れ立って歩いてくる。

 僕は顔を戻して、携帯を動画撮影モードにして通路に差し出す。左手で壁に携帯を押し付け

るようにして、右手でスロットを遊んでいるふりをした。

 何事もなく、二人は多目的トイレに入ったようだ。

 スライド式のドアが開かれる音がして、閉まる。ガチャッという音が聞こえる。

 僕はそこで撮影をとめて、映像を確認した。

 そこに映っていた二人を見て、携帯が手からずり落ちた。力が入らない。


 ……そこに映っていたのは、小高と工藤さんだった。紛れもなく二人だった。


 呆然とする。

 何が起きているのか、わからなかった。

 分かりたくなかった。

 僕は椅子を転げ落ちるようにして多目的トイレに駆け寄る。

 ドアを前にして、息が詰まる。膝から下に力が入らない。

 信じられなかった。信じたくなかった。

 意味が分からない。

 溜まる。

 膨れる。

 爆発する。

 言いようのない感情が爆発する。

 僕が悪いのか。

 何が悪いのか。

 もう何もわからない!

 くそっ!

 どうにでもなれ!!

 

 ドアを思い切り蹴とばす。

 何回も蹴る。痛いくらいに拳を握りしめ、ドアに叩き付ける。

 なんでだよ!

 しゃがむ。立ってられなかった。

 泣きそうだ。いや、泣いていた。

 中はシンと静まり返っている。きっと籠城を決め込むつもりなのかもしれない。

 振り返ると婦人服売り場のおばちゃんが、慌てた様子で内線電話に何か喋っていた。

 すぐに警備員が来る。

 僕の知ったことじゃない。

 よろよろと立ち上がり、壁に手をつきながらスロット台まで戻る。袖で涙をぬぐう。

 鞄をひったくって僕は力いっぱい駆け出す。

 何もないところに行きたい。どこか遠くへ。僕なんか消えてしまえばいいんだ。

 無我夢中で走った。階段を駆け上がり、屋上駐車場から外に出た。――



* * *



 住宅街に入って段々と速度が落ちて、いつの間にか歩いていた。

 そのことに気が付くと、急に気持ちが悪くなって内臓が暴れだす。

 側溝に向かって吐く。僕はすぐにしゃがみ込んでしばらく吐き続けた。吐くものがなくなっ

てもえずき続けた。えずく度に、目から涙が出た。

 えずくのがとまって、僕は何回も唾を吐いた。口の中のものを全部出す。

 喉がヒリヒリした。

 見上げると、今日はいい天気だった。

 上は大火事、下は大洪水。そんな下らないイメージが脈絡もなく僕の中に浮かぶ。

 なんだかスッキリしてしまった。感覚が麻痺したのかもしれない。そう思うことにした。

 歩くことにした。行く当てはないけど、僕は広さを求めた。公園に行こうと思った。

 歩いていると、まず工藤さんのことが浮かんだ。必死でそれを振り払うと、次に小高のこと

が浮かんだ。だから駆け出そうとした。でも、足は動かなかった。

 何も考えるな、と言い聞かせても、それ自体がきっかけになって色んなことを思い出し、考

えてしまう。

 僕は今目の前に見えるものに集中することにした。

 空を飛んでく鳥や風に揺れる道端の花や色んな家を眺めた。

 世界は平和だった。僕だけがその調和を乱しているようだった。

 気を紛らわすために音楽を聞こうと思った。

 携帯を取り出すと、さっきの動画ファイルが再生されるのを待っていた。削除する。

 画面がきれいになった。メールの通知が来ていた。

 一瞬手が止まる。無理矢理指を動かしてメールアプリを開く。

 ……違った。井上だった。

 件名はなく、メールを開く。

 今、どこ?

 ……そうだった。こいつのメールは毎回意図がよくわからない。僕は思わず声に出して笑っ

ていた。笑うと涙が出た。

 仕方ないから質問にだけ答える。それを送る。

 すぐに返事がきた。

 わかった

 何がわかったんだろう? また笑った。

 携帯を閉じる。公園に向かう。



 頂上に着く。

 そこには広々とした公園がある。遊具が満載でアスレチックもある。隣には球場が併設され

ていて、ここで付近の少年野球チームは日ごろ練習している。

 僕は公園の一角にある水道の蛇口をひねり、上裸になってその下に頭を突っ込む。冷たい水

が頬や首筋を伝う。そのまま鼻と口をすすぎ、顔も洗う。

 ベンチに腰掛けてイエナシさんから預かったままだったボックスから煙草に火をつける。咥

えたままイヤフォンを耳にはめる。ガリレオガリレイを聴く。涼しい空気がさっぱりした頭を

撫でていく。若者の抱えるものを歌い叫ぶ声を聴く。来ていたTシャツで頭を拭きながら聴く。

聴いていると、上杉のことが浮かんだ。西日を受けながら歩く上杉の背中が。

 サビの最後、その若者の行く末を歌う部分がくる。

 その部分が流れる前に、肩を叩かれる。

 井上がニヤニヤしながら立っていた。

 僕もヘラヘラしてそれに応えた。

 開口一番、井上は言った。

「腹減った」

「知らねぇよ!」僕は笑う。

「なんかいい店教えろよ。そしたら俺もとっておきの場所教えてやるからさ」

「ほう。それは楽しみだな。いざ参ろう」

「いいからお前服着ろ。見られてんぞ」

 井上が顎で示した方を見ると、乳母車を押すおばぁちゃんが立ち止まりこちらを見ていた。

「俺らがサボってるからじゃね?」伸びをする。

「そうだとしても、高校生が学校サボって公園で上裸でたむろしてるなんて通報されて俺まで

巻き添え食うのはごめんだから早く服着ろ」

「はいはい」

 見るとおばぁちゃんは歩を再開していた。僕もそれに習うことにした。

 空が澄み切っている。訳もなく胸が熱くなる。いや、訳はあるのか。

 上は大火事、下もちょっとしたボヤくらいにはなってる、なんて下らないことを考える。

 感傷に浸ってちんたらしていたら井上がはたこうとする。僕はそれをかわして素肌に直接学

ランを着る。一昔前のヤンキーみたいに。

 まるでボーイズラブである。



 というわけで満を持して、「サハラ」に来ていた。

「また来たの」とお姉さんの目が言っていた。

「また来ちゃいました」と可愛い後輩系女子のように言ってみた。僕とお姉さんの間に言葉は

要らないのだ。

 いつものやれやれが出迎えてくれる。眉を八の字にして色んな意味でその胸に飛び込みたい

衝動に駆られるが、両足が「もう限界だよぉ」と悲鳴をあげるので諦める。

 僕の世界が正常に機能しだした気がした。

「なるほどな」井上が納得する。

「いい店だろ?」

「お前が毎日サボる原因はこれか」

「一理ある」

 お冷のグラスを二つテーブルに置く音を聞く。

 いいものだな。

「彼も常連になるつもりらしいので、ここは景気づけに何かとびきり美味しいものをお願いし

ます」と無茶ぶりをしてみる。大丈夫だ。僕とお姉さんは通じ合っている。

「本当に何でも大丈夫?」とお姉さんは井上に聞く。表情が柔らかい。

 大丈夫だ。この違いはきっと、長年連れ添った旦那と初孫の違いだ。最終的には前者が勝つ

のだ。そう信じたい。

「だ、大丈夫です」井上は下を向いたまま答える。なんだかモジモジしている。

 なんだお前。気持ち悪いぞ。

「なんだお前。気持ち悪いぞ」ちゃんと伝えてあげる。

「うっ、うるせぇな」

 店内には僕たちの他には小さい子供連れの主婦二人が話し込んでいるだけだった。

「それで、何してたんだ?」

 気を取り直して、佇まいを直して、井上が聞いてきた。

 僕がどこから話そうかと考えていると井上が続ける。

「穂谷さんから言われたんだ。西谷が危ないかもしれないって」

「そうか」

「詳しいことは何も聞いてない。お前から聞かないと意味ねぇしな。それで、なんで目が真っ

赤でそんなにくたくたになってんだ?」

 僕は腹を決める。ついさっき見たことから話し始める。――



「そうか」

 口を挟まず、すべてを聴いた後で井上はそう言ったきり黙り込む。

 思い出したようにコーヒーをすする。僕もそれを見て、コーヒーをすすった。すする必要も

ないくらいコーヒーは冷めきっていた。

 井上は手付かずだった生姜焼きを食べ始める。僕もサンドイッチを齧る。咀嚼して飲み込む。

 胃に向かってそれが運ばれていくのを感じる。

 小高と歩いてくる工藤さんを見たとき、僕は思い知った。やっぱり僕は工藤さんのことが好

きだったんだと。

ショックだった。はぐらかされたことを、まだ可能性があると安心していたのだろう。そこに

甘えていた。踏み込んで傷つくことが、怖かった。

 僕は毎回、失ってからそれが大事だったことに気付く。

 ああしておけばよかった。こうしておけばよかったと、後悔してきた。何回も、後悔してき

た。今までそうやってきた。

「その小高ってやつが、実際どんなやつなのか見えてこねぇ。とりあえずお前が知ってる中学

の頃のそいつはどんな奴だったんだ?」

 手と口を忙しく動かしながら井上は促す。

 それを聴いて僕は、振り返る。中学の頃を。

 意味分からないなんて投げ出さず、包み隠さず井上に話す。――



 小高が今の小高になったのがいつからだったかなんてわからない。

 中学三年の頃には今ほどではないにしても、その兆候はあった。それも今にしてみればそう

思えるだけなのだが。

 僕たちがまだ中学二年生だった十二月。

 小高のお袋さんが死んだ。

 脳腫瘍だったそうだ。良性とか悪性とか本当のところはよく知らない。高校に入ってから母

から聞かされた。今となってはどうでもいいことだ。

 小高の親父さんは定職を持たずにフラフラしていて、たまに肉体労働に出るような感じの人

だったらしい。だから母親たちの間で交わされる話では、旦那がしっかりしてなかったからお

袋さんは死んだのだ、ということになっていた。この辺の地方の病院ではなく、都市部のきち

んとした大学病院なんかに通っていれば、助かるはずだったと。

 これはほとんどが母伝いに聞いた情報なので本当かどうかは分からない。個人の解釈も十分

混じっているだろう。だから経緯は重要じゃない。

 小高はそれで同情されたのかもしれない。親父さんのことを遠回しに糾弾されたのかもしれ

ない。それを受けて小高はどう思ったのか。周平に聞いた限りでは、親父さんとは不仲らしい。

いつも家を出たいと漏らしているらしい。僕にはそんなこと一言も言ってきたことはない。

 ただ、小高には妹がいて、それが気掛かりで、どこにも行けずにいるのだろう。

 いつもすべてがどうでもいいって感じから、もし妹がいなかったらどうなっているのか想像

するのに難くない。

 そもそも、僕たちが、いつもなんとなく集まって一緒に時間を過ごしているのは、きっとみ

んな家に帰りたくないからなんだと思う。

 僕も、小高も、周平も、イエナシさんも、穂谷だって、帰りたくない理由があるのかもしれ

ない。

 小高や周平と集まるようになってそろそろ三か月になる。今年の二月に偶然会ってからだ。

それまでは一切連絡をとってなかった。

 僕はもう楽しかったあの頃は戻らないことを受け入れて、受け入れようとして、後ろは振り

返らず、前だけを向いて生きてみようと思ってた。そう考えていた。

 でも挫折した。高校がこんな感じだったからかもしれない。友達の作り方が分からなくなっ

ていたからかもしれない。工藤さんに告白の返事をはぐらかされていたからかもしれない。や

っぱりあの頃が忘れられなかったからかもしれない。きっと全部が理由なんだと思う。

 だからまた集まった。みんな似たような理由だろう。

 あの頃はみんなにとっても、大事な時間だったんだと思う。だからこうして集まっている。

縋っている。執着している。

 でも僕たちはきっと目にも止まらない速さで生きているのだ。周りのものだけが物凄い勢い

で僕たちとすれ違う。僕たちはそろそろと手を伸ばしてそれをつかもうとするけど、はじかれ

る。当たり前だ。生半可な覚悟でつかめるわけがない。一回や二回やったくらいで、掴み方が

わかるはずもない。

 そして掴みそこねて、掴み続けることをやめた僕らは、ぬるま湯に浸る。それしか出来ない。

それしか出来ないと思い込んでる。そういうことにしている。

 だから僕は間違えた。掴み損ねた。小高を。

 チャンスはいくらでもあったはずだ。二年間もあった。消息不明になっていたわけでもない。

少し踏み込んで話をすれば小高は今の小高にはなってなかったかもしれない。

 きっと誰にも踏み込まれずに二年間過ごしたのだろう。その二年間はあまりにも大きかった

のだ。人ひとりの心を枯れさせてしまえるくらいには。

 僕は避けていたんだ。踏み込むことから。踏み込んで得られるはずの、楽しかったあの頃が

遠ざかっていくことを見ないようにして。

 また失うのが怖かったんだ。嫌だったんだ。だから全部拒否した。全部拒んだ。そうしたら

傷つくこともない。ちっとも前なんか向いてなんかない。ずっと下を向いて立ち止まってただ

けだ。

 何も得ようとしないまま、前に進もうとしないまま生きる僕に待ってるのは、ただかき集め

たものがひとつまたひとつと失われていくさまを見るだけの日々だ。

 このまま失い続けるのか、お前は。

 それでいいのか、お前は。

 ……いいわけないだろ。

 じゃあ、目を開けよ。すれ違うものをしっかり見張れ。手を伸ばせ。はじかれるのが怖いか?

 だったら手を伸ばせ。勇気なんて手を伸ばしたあとについてくる。

 それ以外に方法なんてないだろ。俺もお前もそれ以外に知らないはずだ。

 僕が知ってた方法なんて、それだけなんだから。



 中学の頃の小高と、あの出来事、今の小高のこと。

 すべてを語りながら、僕は覚悟を決めていた。

 今朝がたの覚悟じゃない。一度はじかれた後の覚悟だ。二回目はそうやすやすとはじかれて

たまるか。

 僕と井上はしばらく黙っていた。

 喫茶店には静寂が訪れていた。

 井上が顔を上げる。その目を見る。

「すっきりした顔しやがって」

「お前の話も聞いてやる」

「今度でいいさ。これからいくらでも聞いてもらう時間はあるだろ?」

 僕はそれに笑って応える。

 喫茶店の喧騒が耳に飛び込んでくる。いつの間にか昼時で喫茶店はすっかり混雑していた。

「俺のとっておきの場所に行こうぜ」



 井上は財布を持ってなかったのですべて僕が支払うことになった。

 不用心過ぎることを戒めようと、腹いせにケツに蹴りをいれようとしたら、

「飛び出してきたから忘れたんだよ」と言われたので収める。

 住宅街を抜けて途中、畑や林道を突っ切った先の住宅街の中にその目的地はあった。

 井上のとっておきの場所というのは、納骨堂だった。なるほど確かにここなら人はそう来な

いだろう。

 正確に言えば、割と広い納骨堂の敷地にある駐輪スペースだった。自転車は一台もない。

 ここから学校までは十分くらいだろうか。

 井上はサボったときは大抵ここにきて、僕と同じようにゲームしたり本を読んだりして過ご

しているらしい。

 陰になっているコンクリートの上にどっかり腰を下ろして井上は言った。

「さぁ。作戦会議だ」



 納骨堂は階段で少し高い位置に建てられている。駐輪スペースにあたる納骨堂の右側には、

その階段分のコンクリートの壁があって、その辺に落ちている石で僕らはそこに関係図を書き

ながら現状を把握することにした。

 僕は振り返る。この三日間のことを。

 あの日の昼前、僕はショッピングモールの多目的トイレでカップルがセックスしているとこ

ろに壁を隔てて居合わせた。

「あれ? おかしいな」

「なんだよ?」と井上。

「さっきそのトイレに入っていった二人はどちらとも俺の知り合いだった。小高と工藤さんだ」

「あぁ。それで?」

「その取り込み中の音を俺がその日のうちに小高に聞かせたんだけど、あのとき小高は特別な

反応はしなかった。今の小高なら、不機嫌になったりキレたりするはずなんだけど」

「なるほど。じゃあ、初日のカップルは今日の二人じゃなかったかもしれないってことだ」

「そうなる。でも小高はそのトイレで俺が録音したことを知ってたはずだ。そんなことは気に

しないっていったらそれまでなんだけど」

「まぁいい。それで続きを」

 言いながら井上はトイレのカテゴリーを描く。

「それでその日はさっき言ったように河川敷で小高と周平の三人でその録音を聞いたりしてて、

あっ、それでほぼ一年ぶりに上杉って中学の頃の同級生に会ったんだ。それで上杉と同じ生徒

会の女の子を含めた五人で駅まで行った。それから俺は一人で廃病院まで戻って来て、イエナ

シさんとダラダラ過ごした。その時にはイエナシさんはもう、異変に気付いていた」

「なるほどねぇ」と井上は相槌を打ちながらもせっせとタイムスケジュールを離れたところに

描く。

「そして二日目、昨日だ。イエナシさんの話を受けて珍しく学校に行った。その日のホームル

ームで担任が募金詐欺について言ってた。もしかしたらそれにレッドウィングズが絡んでいる

のかも」

「レッドウィングズ? なんだそれ?」

 何の躊躇いもなくその単語を口にしていた自分が怖くなった。

 慣れというものは本当に怖い。

「この辺でいろいろ騒いでるチーマーがいるだろ? そいつらが最近になって、――」

 ポケットが震えたので一瞬口を止める。

「どうした?」

「いや、なんでもない」

 そう言いつつも、携帯はずっと振動しているので、どうやらメールじゃなくて電話のようだ

った。携帯を開くと、周平からだった。

「どうした?」

 電話に出る。周平の荒い呼吸が電話越しに伝わる。

 なんだ? どういう考えでハッスルタイムの途中で男に電話をかけてくるんだ。

「……セイヤ。あのさ……」

 なんだ? 告白か? ボーイズラブか?

「悪ぃ。助けてくれ」

「……何言ってんの?」

 まったく、腹立たしい。でも、こんな関係なのは僕の怠慢が原因でもある。

「悪いは必要ない。助けるに決まってんだろ」

 しばらく沈黙があって、電話の向こうから周平がすすり泣くのが聞こえた。

 事態を整理する暇もなく、また何か起きているらしい。

 僕が通う高校で合流しようと言うと、周平はそれは無理だと言った。

「なんで?」

「警察に追われてる。たぶん、人通りがあるところは行けねぇ」

「分かった。事情はあとで聞く。とりあえず今どこにいんの?」

「わかんねぇ。住宅街の細い路地にいる」

 合流しようにも待ち合わせ場所をどうするか、頭をひねらなければいけないみたいだった。

「さっきまで俺たちがいたあの公園は?」事態を察知したのか、井上が口を挟む。

「うちの学校出て左にずっといくと丘あがってくだろ。その住宅街の一番上にある公園ってわ

かる?」

「あぁ。それなら行ける。ここからたぶん三分くらいで着く」

 僕は井上に向かって頷く。

「そこにある公衆トイレに籠っててもらえ」

「たぶんそこに公衆トイレがあるからそこに隠れといて」と僕は繰り返した。

「わかった」

「用心のため秘密の合言葉を決めとくぞ。合言葉は、そうだな、……レッドウィングズで!」

「……」周平の沈黙にすら動じないほど、僕はこの響きを自分の身体のように愛おしく思い始

めていた。

「なんだ嫌か? 好き嫌い出来るくらい余裕があるなら大丈夫そうだな」

「いや、……あとで詳しく話すけど、マジでその合言葉洒落になってねぇからな」

 そう言って通話が切れた。

 周平の言ってることがよく分からなかったが、とにかく井上と公園に向かうことにした。

 簡単に井上に今の状況を説明する。

「これでさっきの奢り分は相殺ってことで」

「なんで?」鞄を取りながら訊く。

「俺は穂谷さんに西谷を助けてほしいって言われてきたんだ。お前の友達は管轄外だから料金

が発生する」

「なんだそれ。お前冷たいやつだな」

「お前のことは助けるんだから、その言いぐさはないだろ」

 話しながら納骨堂をあとにする。もし何らかの理由で潜伏場所が必要ならまた来るかもしれ

ない。

「まぁいいや。ところで、お前は俺を助けに来たのか、穂谷に言われたから来たのか、それを

はっきり聞かせてもらおう」

「穂谷さんのために決まってんだろ」

「ふざけんな」笑う井上をはたく。

 井上は辺りを警戒しながら細い路地に消えた。どうやら別ルートで向かうらしい。

 僕は先導する井上についていく。駆け足で公園へと向かう。



* * *



「おい! ぶち殺すぞ! さっさと自首しやがれ!」

「あーもう。だから。とりあえず話を聞いてくれ!」

「うるせぇぞ! こっちには人質がいるんだ。大人しく自首すりゃそれで済む話だろうが!」

「自首したところで何をしたから自首したのかよく分からないんだから自首のしようもないだ

ろ!」

 僕は焦燥感をにじませながらも、言い返した。

 よくわからないのだが、僕と井上は柄の悪い連中に取り囲まれていた。おそらくレッドウィ

ングズだろう。

 名前しか知らなかった奴らとの感動のご対面、とは行かなかった。

 白いキャンバスにやたらめったら絵の具をこぼしたみたいに、遠目にも周平の顔は青かった

り紫だったり真っ赤な血が流れていたりした。

「わかった! とりあえずお前らのリーダーと話したい! リーダーはどこにいるんだ!」

 井上も叫ぶ。あとで超過料金を請求されなければいいが。治療費を払う羽目にもあいたくな

い。

「うるせぇ! 勝手に話進めてんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ! ヒロトさんはもうすぐ来る! 

それまでにさっさと自首した方いいって言ってんだよ! ヒロトさんが来たらお前らゼッテェ

殺されっからな! 知らねぇぞ!」

 さっきから何回殺害予告を聞かされただろう。あと絶対にうるさくはない。距離が離れてる

からむしろ大声を出さないと聞こえないくらいだ。

 観覧席の中ほどに僕と井上はいた。それを取り囲むようにしてグラウンド側からと公園側か

らレッドウィングズの一団がじりじりと寄って来ていた。

 一応幹部らしき男がピッチャーマウンドの辺りにいて、僕たちとやり取りしていた。その男

の横に頭をがっくりと垂れた周平が三人くらいの男に囲まれて膝をついていた。――



 ――公園とグラウンドのあるひらけた場所にくると、僕たちはそのまま公衆トイレに直行し

た。辺りには警官はおろか、人っ子一人いなかった。油断していた。

 公衆トイレに入ってすぐに三つある大便用の個室の扉が全部開いてることに気が付いた。あ

れ? と思ったのと同時に周囲に人の気配を感じた。ザッザッと多くの人間がこちらに向かっ

て歩いてくる音が聞こえた。

「チッ。はめられた! 走れ西谷!」

 井上の一言で事態を把握した僕は後に続いて公衆トイレを飛び出る。

 辺りを見回すと、僕たちを取り囲むように、いつの間にかわらわらと険悪な雰囲気をまとっ

た男たちが現れていた。とりあえず観覧席まで移動したが、逃げられないことを悟り、自然と

足が止まった。とりあえず話し合いに持ち込むしかないようだったが、それがうまくいくなん

て微塵も感じられなかった。

「俺たちは友達に呼び出されてきた! よく状況がわからない!」

 井上が叫ぶと、集団の歩が止まった。

 集団の中から一人の男がピッチャーマウンドまで出てきた。周平と他三人がそれに続いて出

てきた。

「お前らが俺らをはめたんだろ!」

 幹部らしき男はそう叫ぶ。逼迫した状況ではあったが、僕と井上は思わず顔を見合わせる。

お互いの頭上にクエスチョンマークが浮かんでいた。

「知らない! 詳しい話を聞かせてくれ!」

 僕は叫んだ。集団が襲い掛かってくる様子はない。

「ふざけんな! ぶっ殺すぞ! お前らがやったってのは知ってんだぞ!」――



 ――そして今に至る。それから何を言っても詳しい状況は分からず、ぶっ殺す! か、うる

せぇ! しか要領を得た返事はもらえなかった。

 やり取りをしていて気づいたが、彼らは頭がよくない。笑うところじゃないが。

 それでもさじ加減は知っているのか、周平がたまに身じろぎするところを見ると、死にかけ

ているわけでもなさそうだった。

 やり取りが始まってから、彼らが暴挙に出る様子はないため、よほどそのヒロトとかいうリ

ーダーの力が強いのだろう。バカばかりなのかもしれないが、統率は取れている。

 その辺は井上も了解しているのか、僕たちは何重にも殺害予告をかけられながら時間を引き

延ばしていた。リーダーから手は出すな、との指示を受けているのか、彼らも素直にそれに応

じてくれていた。

 状況を把握するためには、そのリーダーと話す必要があった。

「自首するにしても、ヒロトさんに一応話を通しておいたほうがいいだろ!」と井上。

「うるせぇ! そんなことは分かってんだよ、馬鹿野郎。俺はお前らが自首する気があるかど

うか聞いてんだよ! ぶっ殺すぞ!」

 自首を勧められながらぶっ殺すぞ! と言われるちぐはぐさに思わず笑いそうになる。

 状況が安定していることを知って気が緩んだのか、それが顔に出てしまった。

「てめっ。笑いやがったな! もういい。お前らやっちまえ!」

 それが幹部の癇に障ったらしい。集団が一斉に包囲網を狭めてくる。

 井上はチッと舌打ちすると「こっちだ!」と言いながら駆け出す。観覧席を平行に移動しな

がら、井上が包囲網の一番薄そうな場所を切り抜けるつもりらしいと分かった。

 いや、無理だろ、と自分が招いた結果にも関わらず僕はそう思っていた。なんとかして井上

だけは逃がそうと思い、策を練りながら後ろに続く。

 集団の一端と衝突するまであと数メートルというところで上の方から凄まじい爆音が聞こえ

てきた。

 集団は頭に血が上っているのかそれが聞こえないみたいで、そのまま突っ込んでくる。井上

は腹をくくっているようで、そのまま突っ込む。

 どうしよう、と思ったのも一瞬で、僕は井上のあとに続こうと駆け出した瞬間、信じられな

いくらい大きい美声が僕らの耳に飛び込んできた。

「やめろお前ら!」

 一瞬で集団が動きを止めた。呆気にとられて井上も寸前で止まる。

 観覧席の一番上に立っていたのは、僕も知っている人物だった。――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る