第4話

駄菓子屋の傍にある小さな公園のベンチに腰を下ろした。

 穂谷さんは何も言わず、僕はなんとなくついてきてしまった。

 穂谷さんは棒ゼリーを手にしたまま何かを考えている風だった。

 手持無沙汰というか、僕は居たたまれず、気になったことを訊いてみることにした。

「穂谷さんも早退したの?」

 僕たちの学校は放課後も課外活動が課せられていて、基本的に六時前に帰られないようにな

っていた。この時間、この付近に僕と同じ高校の生徒は出歩いていない。

「そう」

 それしか返ってこなかった。だから僕も、

「そっか」としか返せなかった。二つ目の気の利いた質問を考え始めた。出来上がるのは一時

間後くらいになりそうだった。

「私モデルやってて」まだ続きがあったようだ。やっかみであることは百も承知で、モデルや

ってるとか自分から言っちゃうやつ僕は嫌いです。

 はっきり宣言してストレス発散、気持ちを切り替えて次の質問のネタにならないか、と僕は

耳をそばだてる。

「学校には遅く登校したり、早退することが多いんだ」

「そうなんだ」と返事をする。モデルをネタに掘り下げていくという方針が決まった。

「うちの高校にモデルさんがいるなんてなんか不思議だな。穂谷さんの他にもいるの?」

「さぁ。知らない」にべもない。もっと愛想が欲しいところだった。ひょっとして職業病だろ

うか。それとも僕に対しては慢心するのだろうか。

 これ以上穂谷さんと話していると、余計キラキラしているものが嫌いになりそうだったので、

適当に切り上げて退散しようという気になりだした。明日のことは、明日考えればいいと、少

し自棄になりつつある。

「穂谷さんは今日、何時から仕事なの?」時間を聞いて、解散を催促する。

「穂谷でいいよ」と穂谷さんは言った。話題がずれる。

「じゃあ、穂谷、って今度から呼ぶわ」率直にそう言って、僕は話題を戻そうとする。続きを

促すように、視線を注ぐ。

 穂谷はそれを受けて、フッと儚げに笑う。意味はともかく、少し見入ってしまった。

「実をいうと今日は、仕事が理由で早退したんじゃないの」

「え? 体調が悪かったとか?」僕は訊いた。言ってから突っ込んだ質問だったかな、とか思

う。

「違う違う。そういう日もあるけど」

 含み笑いをする悪戯っぽい顔があった。そんな顔もするんだと、僕は今までの自分の中にあ

った穂谷のイメージを改めることにした。

 いつも群れの中で鈴の音のようなささやかな笑顔を浮かべて、ただそこにいる印象しかなか

った。

 だから、と言うわけではないけれど。

 僕は穂谷のことが苦手だった。

 実際には、たぶん違うのだろう。

 きっと、元を辿れば、僕からあの楽しかった鬼ごっこの日々を奪ったそういう類のことが嫌

いなだけなんだと思う。具体的に言うなら、恋愛だ。そしてそこから連想されるものも、成長

するにつれて概ね嫌いになっていった。

 不思議なことだが、僕はさほどリア充が嫌いじゃない。

 付き合ってしまって、関係が安定して持続していることは、むしろこちらまで幸せを感じる

くらい好意的に思っている。

 僕が嫌いなのは、そこに至るまでの過程だ。

 そのもどかしい過程が、僕からあの楽しかった日々を奪っていったのだと、たぶん、中学校

の頃の僕はそう解釈したのだろうと思う。

 そういうわけで、オシャレに気を使う男や女らしさを周囲に振りまきながらキャピキャピす

る奴らのことが、僕は嫌いなのだった。

「今日はサボり」ポツリと、大切なキーワードをここだけの話でこっそり教えてくれるかのよ

うに、穂谷は呟いた。

 聞くと、学校としても華やかな世界に身を置く生徒が、籍を置いているというのはなかなか

に箔がつくことらしく、結構自由にやっているとのことだった。

「西谷くんと同じ」そう言って笑う。

「不公平だ」僕がそうむくれると、穂谷は本当に楽しそうに笑った。

「実は結構サボるんだよね、私」

 まったく知らなかった。

 そもそもうちの学校にモデルがいること自体知らなかった。校内交流が少なすぎるのかもし

れない。穂谷とは今年から同じクラスになったので、一年生のときにどれくらい穂谷が出席し

ていたかとかはわからないし。

 確かに僕も、自分を含めた周りの人間とは造りからして違う奴がいるな、となんとなくは思

っていた。

 でも、二年にあがってからは割とほとんど学校をサボっていたので、穂谷がいるのかいない

のか、ちゃんと学校に行ったときにもその辺気付かなかった。

「ってかさ、モデルだけど駄菓子とか食っていいの?」

 僕は素朴な疑問を口にした。口調がフランクになりつつあるのはご愛敬だろう。いつの間に

か、離脱するプランは保留になっていた。

 穂谷は目をくるりと回して「さあ」と言った。普通にうまい棒を齧っている。

「そんなに本腰で活動しているわけじゃないし」

「将来の夢はパリコレモデル、とかじゃないの?」

 うまい棒を頬張る穂谷の綺麗な額に皺ができる。

「そんなのじゃないよ。ただ単純に楽しいかなってのと、まぁちょっとしたお小遣い稼ぎみた

いな感覚なのかなぁ」

 はぁ。いろんな人生があるものだ。僕はそう思った。

 すっと立ち上がって自販機の前に立ちながら訊く。

「何がいい?」

 穂谷はベンチに腰掛けたまま前のめりに首を伸ばし、自販機をのぞき込む。

「マッチ」と、その辺を指さす。

「あいよ」とボタンを押す。ガコンッと毎回やや不安にさせられる音とともに、ペットボトル

が下に落ちてくる。

 こういう場面で、「えぇ。いいよー。払うよ」とか言うのが女子だと思っていたが、モデルと

いう職業柄なのか、穂谷は奢られ慣れているような気がした。

 美人だし、話し込むと不快な喋り方や性格でもなくむしろ好ましい感じなので、嫌悪感こそ

抱かなくなったが、距離を感じる。おそらくこの距離は、生きる世界が違い過ぎて、そのギャ

ップに自分が傷つくのが怖くて、自己保身のために掘った溝だろうと思う。

 紛れもなく僕が作った溝だ。

 コーラのボタンを押して「よいしょ」と腰を落とす。落ちてくる小銭や、取り出しにくいペ

ットボトルを回収するためだ。

 マッチを手渡す。「サンキュ」とフランクに感謝される。

 まぁこれも、ちょっとした年貢だと思えば安いもんかな。

 教室内のあれやこれやに、もはや興味はないけれど、サボり魔同士で軽い同盟を結んでおく

のもいざという時のために役立つかなと考える。

 高校生にもなってまだ鬼ごっこ云々言ってる男子と、まだ高校生にも関わらず大人に囲まれ

て柱として働く女子。

 相容れないだろう二人が、奇妙な偶然によって駄菓子屋で知り合った。

 ただそれだけだ。

 はっきり言おう。僕は、穂谷が苦手だ。

「そういえばひとつ、訊きたいことがあるんだけど」

 僕はそう、前置きする。

「何?」

 平坦な口調で簡潔にそう訊き返す穂谷に言った。

「穂谷って、BL好きなの?」

 一瞬、間があった。

「……は?」

「いや、なんとなくそう思ってさ」

「別に、嫌いとか好きとか、特にないけど」怒った様子もなく、そのままの調子でそう答えた。

「あっ、そう」僕はそれしか言えない。

「西谷くんはBL好きなの?」

「ちょっと待って! ちょっと待って! どうしてそうなる?」

 全力で問いただす。

「いや、だってだから同じ匂いを感じて訊いてきたんじゃないの?」

「違う違う違う! 全然違うから!」

 全力で否定しておく。かと言って、俺と井上のボーイズラブ的なやり取りをじっと見てたよ

ね、なんて言えるわけもなく、否定するにとどまる。

「変なの」

 首を傾げる仕草が小憎たらしい。流れる動作でマッチを飲む。

「まぁ、それはいいとして」

 僕は話題をシフトさせようとした。穂谷が変なこと吹聴したりするようには思えなかったが、

この話題は早く切り上げたかった。

「それはいいとして」

 穂谷は鼻歌を歌うみたいに復唱した。少し楽しそうに。

 それがちょっと鼻につく。

「くん付けは気持ち悪いからやめてくれ。西谷でよろ」

「ラジャー」駄菓子の詰まった袋を漁りながら穂谷は言った。「はいはい、分かりましたよ」と

言ってるように僕には聞こえた。

 無性に工藤さんに会って話したい気分だった。

 なぜ、ここにいるのが工藤さんじゃなくて穂谷なんだろう、とさえ思ったかもしれない。



「じゃ、俺はこれで」

 タイミングを見て、僕はその場を去ろうとした。

 もうこんな風に会うこともないだろう。

 ポッキーを怒涛の勢いで食べ進めていた穂谷はふとその手を空中で止めた。

「どこ行くの?」

 そんなことを聞かれるとは思っていなかったため、僕はしばし答えに困ってしまった。

 特にこれからどこに行こうとは決めていなかった。

「決めてない」素っ気ない感じで答える。

「そっ」これまた素っ気ない感じで応えられる。

 穂谷はベンチからすっと立ち上がり、スカートをはたいて言った。

「じゃあ、とりあえず歩こう」

 そのまま歩き去ろうとしていた足を止めて、僕は振り返る。

「なんで?」

 直接的に言うことにした。この気持ちがなんなのかわからないけど、なんだかモヤモヤして、

苛々した。からかわれている気がしているのかもしれない。

「なんでって」穂谷は黙る。

 僕も黙ったままだ。

「……このあと、病院に行くんでしょ?」

 予想外の方向から攻められた。訝し気な顔から一気に素っ頓狂な顔に変わった自覚があった

ので、穂谷に笑われる予想をしたが、そんなことはなかった。

 返答に窮す。なんと答えればいいのか。そもそも今日は廃病院に行こうとか前もって決めて

いくような日はないので、それで凌ぐことにした。

「今日は行く予定はなかったけど。穂谷は行く予定があったんだ?」

 無難な聞き方だと自負している。

「……病院ってあれだよ? そこの廃病院のことだよ」

 穂谷がジッとこちらを見る。見つめてくる。

 学校で、よく目が合っていたことを思い出す。あの視線は、つまりこのことについて僕を問

い質したいという意味を帯びていたのだと、腑に落ちる。

 正体が分からないから怖かったのだけど、正体がわかって余計怖くなった。知らぬが仏とい

う言葉が身に染みて痛い。

 駄菓子屋で捕まったときから仕組まれていたことだったのだ。さっさと切り上げるべきだっ

たのだ。ジュースなんて奢るんじゃなかった。などなどいろいろな後悔の念が押し寄せる。

 ただ。

 ただ、穂谷がそうする目的が読めない。完全にマウントは取られているにしても、相手の持

つカードを少しでも知っておこうと思った。

「その前提で話してるつもりだけど。穂谷さんが廃病院に用があるようには思えなくてさ。差

支えなかったら、教えて欲しいんだけど」

 ちょっとぶっきらぼうになっていたかもしれない。でも、こういうときに隙を見せないこと

は大事なことだと思う。教師や警察に問い詰められることはなんとなく予想していたけど、ま

さか同級生の女の子にそうされるとは思ってもみなかった。

 僕から視線を外し、下を向いたあと、意を決したように穂谷は言った。

「私も病院に入れて欲しいんだけど」



* * * 



 とりあえずマックに来ていた。ショッピングモールに併設されたそこは、平日の夕方前でそ

ろそろ人が多くなり始める時間帯ではあった。

 店内に入ると、油の匂いが充満していた。わざわざマックに来た甲斐があるというものだ。

 穂谷の反応を窺う。

 顔色ひとつ、変わっていなかった。

 はっきり言って、嫌がらせだった。どうやら僕の密かな目論見は不発に終わったようだった

が。

 レジカウンターの前に列はできていなくて、穂谷は少し手前で立ち止まる。

「何がいいの?」

 穂谷が肩にかけた学校指定の鞄から長財布を取り出す。値が張りそうな代物だった。

 それを見て多少もやっとする。

「奢ってくれんの?」

 何の意味も期待も込めてない言葉だ。

「さっきのと、一応、情報料のつもり」

 廃病院への年間フリーパスがたったマック一回分で済ませようという魂胆は、例えば小高が

そうしたならすぐさま延髄切りをかますところだが、穂谷だと少しあれっという感じがした。

 すぐさま安く見積もられてんのか、という見解に至るが。

「まだ教えるなんて言ったつもりはないけど。まぁいいや。えびフィレオセットで、コーラを」

 さっきから僕はずっとぶっきらぼうのままだ。不貞腐れている。そんな自分に苛々するのと

同時に、誰のせいで僕がこんな風になってるのか、と自分でも見当違いの責任転嫁だと分かっ

てるけど、やっぱりそう考えてしまう。

 人は、まぁよくできた人間がどうかは別として、一度不信感とかネガティブな感情を抱いた

他人に対してなかなか心を開かないというか、そいつが何をしててもネガティブな感情しか抱

かないように出来ているんじゃないかと思う。自然の性質で。

 だから格言とか教訓とかで自分を言い聴かせて、そういう感情を取り換える作業が必要なん

だと思う。

 きっとそれが出来たら大人なんだろうな。

 注文をする穂谷の横で後方のウィンドウ越しにプレイランドで遊ぶ子供たちを見るとはなし

に見る。

 会計が済んで、横にずれる。駄菓子屋からこっち、穂谷はめっきり喋らなくなった。

 こちらから話題をふる義理はないが、手持無沙汰で話しかける。

「注文が済んでしまって今更訊くのもなんだけど、ここでよかったの?」

 さっきからポテトをいじりながらこちらをちらちら伺う大学生風の男の視線がうざったい。

「別に。滅多にこないし」

「そうですか」気取りやがって。とは言わない。

 徐々に不愛想になっているとも言える穂谷。早々にこのやり取りを終わらせたい気持ちが押

し寄せてくる。

 あぁ、工藤さんが恋しい。

 正直、まだ工藤さんと付き合いたい気持ちがあるのかどうか、定かではなかった。

 その、答えを出すつもりのない命題に対し、理屈をこねだす前に注文したものがカウンター

に並べられた。



 ボックス席に二人向かい合わせで座る。

 ストローの紙包装をとって、カップに差し込む。吸い込む。

 同じ作業を終えた穂谷と目が合う。

「それで」

 とりあえず切り出す。

「一応、廃病院に出入りする奴には軽い盟約っていうか、約束事みたいなものがあるんだけど」

「それを満たせば、私も入れてもらえるの?」

 言い終わらないうちにそう穂谷はそう重ねてきた。

 話が早くて助かる。

「そう、あらかじめ聞くべきことはそう多くない。ひとつは、基本的に誰にも口外しないこと。

俺としては結構その点が心配なんだけど」

「大丈夫」

 さっさとして、という意思がうかがえる。

「それを保証する何か根拠みたいなものはある?」

 話を早く切り上げたい気持ちはあるけど、それとこれとは別で、こういうことは最初にきっ

ちりさせておかないといけない。

 実際、廃病院にまつわる話が広まって一番困るのはイエナシさんだ。勿論僕もあの場所がな

くなるのはすごく困るけれど、住んでいるイエナシさんはもっと困るに違いない。

 死活問題だ。

 とは思いつつも、イエナシさんなら廃病院がなくなっても、すぐにどこか別の場所を見つけ

そうな気もするが。

「今のところ、特にはないけど」

 話がご破談になって、切り上げる線が見えてきた。それは好ましい。

「一回でも私が出入りすれば、私も共犯者なわけだし、口外するメリットがなくなるように思

うんだけど」

 ……その通りだ。むしろ、ここでご破談になって、穂谷が誰かに告発すればそれで一巻の終

わりだ。それを忘れていた。

 どうやらもう、穂谷が廃病院同士の会に入会するのは確定的になっているようだ。

「オーケー」

 僕がここからなすべきことは、穂谷に守るべきことを徹底すると宣誓させることだ。

「二つ目は、廃病院に入るとき、誰かにばれないように注意することと、万が一ばれたときは、

他のメンバーを売らないこと」

 僕たちが廃病院に入るときに使う裏口は、向かいがちょうど住宅街になっていて、そこの十

人に通報される恐れがあった。

「大丈夫。根拠はさっきと同じ」

「他のメンバーを売らないことは約束出来る?」こちらとしてもここをどうにかクリアしてほ

しいが、難しいかもしれない。

「そのことなんだけど」

 そう言って、穂谷は一呼吸置く。その一呼吸がやけに長く感じられた。

「……仲良くなれたり、しないのかな?」

 呆気にとられる。何を言い出すんだ突然! と怒鳴り散らしたくなる。キラキラしたやつに

からかわれるのが一番癪に障る。

「仲良くなって、友達になれば、そんなことはしないと思う」

 抑えろ。抑えろ。抑えろ。

「それは、……そうだね」飲み込んだ。

 仲良くなりたいっていうその話が本当なら、僕としてもこんなに嬉しいことはないね、と皮

肉を言いそうになる。

「だから根拠は同じ。一緒に廃病院で過ごしていれば、友達になれれば、その約束は守れる」

 悩んだ。僕が勝手に感情的になってるだけで穂谷を信じない根拠はない。まだ高校生で、多

くの人間と関わった経験はそれほどない僕でも、穂谷が裏切るようなことをするとは想像でき

なかった。

 それでも。

 普段学校で、女子と群れてキラキラしている穂谷を知っている僕は、何かこう腑に落ちない

ものがあった。生理的に一歩引いていたいというか。

 でも既に乗りかかった船というか、穂谷はもう乗り込んできていた。断る選択肢はなかった。

それに、イエナシさんが穂谷と会ってくれれば、僕よりも多くのことを正確に判断してくれる、

という期待もあった。

 そういう理屈で、僕は納得することにした。

「わかった。それで最後に三つ目。結局これが、入ってくる奴が信じれる奴かどうか判断する

一番の材料なんだけど」

 いつの間にか喉が渇いていたので、カップの蓋をとってコーラを流し込む。

 理由のない焦燥感みたいな気味の悪さを感じていた。でも、その正体を確かめるすべを僕は

持ち合わせていない。半ば、イエナシさんに丸投げしようと少し自棄になりつつあった。

「廃病院に来る目的を聞かせて欲しい」

 真剣に聞いていた穂谷がふっと息を吐いて安堵する気配があった。口元に笑みが浮かぶ。

「それはさっき言ったよ。実をいうと、廃病院はそんなに重要じゃない」

 何を言い出すのだと、僕は内心戦々恐々としていた。穂谷が浮かべる笑みが、より一層それ

に拍車をかけているかもしれない。訳の分からない苦しさが僕の内側にこもる。一気に喉が渇

く。

 一層笑みを深めて、穂谷は言った。

「友達になりたいの。西谷と」

「……は?」

 思わず口に出していた。穂谷は噴き出す。

「は? はないでしょ。まぁ、西谷相当警戒していたしね。それは私が悪かったんだけど」

「どういうこと?」

 わからないことは、素直に尋ねることにした。キラキラの前に恥を晒すのは一生の不覚のよ

うな気もしたが、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥。もうどうにでもしてくれ、と丸投げるの

をそういうことにしておく。

「あのね」と穂谷が話出したとき、背後からボックス席の背もたれをコンコンと叩かれたので、

ギョッとしてバッと振り返る。

 そこにはアッハッハと楽しそうに笑う上杉がいた。

 ……何が何やら。こっちは全く愉快じゃないんだが。



「いやいや、お取込み中申し訳ない」

 ひとしきり笑い終わったあと、上杉は片手で拝みながら僕の隣に腰を下ろした。

「別に取り込んでないけど」と素っ気ない返事。

 さっきまでの笑みはどこへやら、穂谷は急に不機嫌になった。話の腰を折られたことがそん

なに気に食わなかったのか。

 もしかしたら僕は上杉に助けられたのかもしれない。ホッとする。

「セイヤも隅におけないねぇ。紹介してくれよ」

 上杉は屈託なく笑う。昨日会った時陰が差していたように思えたけど、今日は底抜けに明る

い。なんだか中学の頃に戻ったみたいだ。

 僕の呼び方も西谷じゃなくて、中学のことのあだ名で呼んだし。

「紹介っていうほど、知り合ってる仲じゃないんだけど」

 僕も自然に笑顔になる。見ると、それと反比例するように穂谷の顔が曇る。

 なんだ? 生理か?

 口に出したら女子から批難轟轟間違いなしの推測だ。

「俺上杉。東高に通ってるんだ。よろしく」

 手を差し出す上杉。その手をジッと見るが、握手は返さない穂谷。初対面だよね?

 と気になるも僕が何か言えるわけもなく、そのやり取りを見守る。

「西谷と同じクラスの穂谷。今後がないからよろしくする必要はないと思う」

 うわぁ。険悪な態度だぁ。さっきまで不機嫌がどうとか思ってた自分の推理はにべもなく棄

却され抹消された。やられるのが自分じゃないとすぐに楽しめるのが、僕のいいところでもあ

り、ゲスなところでもある。

「つれないねぇ。穂谷さん。セイヤとつるんでるなら、これから会うことも増えてくると思う

けど」

 すげなくされてもまったくひるまない上杉に、純粋に尊敬の念を抱く。

 セリフだけ取り上げると、いけすかないナンパ男のように思えるけど、嫌な感じはない。僕

の目にはすごく好意的に映る。身内だからかもしれないけど。

 上杉は、そう、中学の頃の上杉は、こんな奴だった。誰とでも普通にしゃべるんだ。真面目

なやつにも脳筋にも不良にもギャルにも、ブスもイケメンも大人も子供も関わらず。

 会話は終了したと言わんばかりに、黙々とポテトを口に運び出した穂谷を見て、上杉は僕に

向かってやれやれといったジェスチャーをする。瞬間、犬のように寄り掛かってじゃれたい衝

動に駆られるが、心の中で「ノットボーイズラブ」なる訓戒を三回唱えて抑え込む。

 洗練された人間というのは、やれやれっていうジェスチャーが様になっているのかもしれな

いと思った。上杉のそれは、「サハラ」のお姉さんのそれと同種の寛容さというか、心の広さを

感じさせる何かがあった。

 会話の切れ目に合わせるように、僕らのテーブルの横に一人の女生徒が様子を伺うようにし

て現れる。

 上杉が「あぁ」と歓待の感嘆符を零す。「待っていたんだよ!」そう聞こえるようなニュアン

スが詰まっていた。僕にこれほどの表現力があれば、と思わずにはいられない。

 制服を見る限り上杉と同じ東高の生徒らしい。アイドルにいそうな可愛さだった。穂谷や工

藤さんとはまた別のベクトルを持った魅力を備えていた。

「じゃあ俺は行くけど、また今度何か奢らせてくれよ。邪魔して悪かったな」

 再び片手で拝みながら上杉はその女生徒と去って行った。いったい、あの子とはどういう関

係なのだろう、と思った。

 高校に進学して、あんなに毎日一緒にいた上杉ともめっきり会わなくなっていた。小高から

日頃の上杉の様子は聞いていたし、そんなに疎遠になった印象はなかったけど、実際に会って

みると印象はだいぶ変わっていた。

 反恋愛主義を掲げていた中学の頃の面影は鳴りを潜め、そんなものどこ吹く風といった感じ

で連日あらゆる女生徒とペアで見かける。

 今日の上杉はなんだか、昔みたいで少しホッとしたけれど、一年で僕と上杉の間にも知らな

い出来事がいつの間にか増えてきているのかもしれない。

 それが積もりに積もって、いつか大人になって他人みたいになるのかもしれない。

 そう思うと無性に悲しくなった。僕にとって大切な鬼ごっこの日々の思い出が、その気持ち

に拍車をかける。

 現に、上杉は廃病院のことは一切知らない。僕や周平や小高みたいに現状に不満を抱えてい

るわけでもないし、別に誘っても迷惑なんじゃないかと思ったから。

 でも、本当にそうだろうか。

 そう思う自分もいる。成績も相変わらず優秀で、部活でも楽しくやりつつそれなりの結果を

残しているようだし、生徒会にも入って傍から見ても順風満帆だ。

 そんなあいつを見て、僕の中に黒い感情が芽生えてない、と言ったらウソになる、のだろう。

 いい高校に進学したとはいえ、そこからの僕は落ちこぼれて、部活にも入ってないし、家庭

ではいろいろ揉めてるし、家にも帰りたくないし学校にも行きたくない、おまけに恋愛のれの

字もないような現状だ。

 あいつと比べて僕には何もなくて、唯一出来た自分の居場所、秘密基地を隠して優越感に縋

りだけなのかもしれない。

 きっと、穂谷に抱く嫌悪感と同じ感情を、僕は知らず上杉にも抱いているのかもしれない。

 再度確認する。

 僕は、キラキラが、嫌いだ。

 そしてそんな自分のことが、嫌いだ。



「なんであんな感じだったの?」

 店を出た後、僕は唐突にそう訊いてみた。

「あんな感じって?」

「ほら、なんか怒ってるような感じ」

「怒ってないよ」

 即答だった。

「えぇー。あれで怒ってないとは言えないでしょ。初対面の奴にあの態度は。僕の蓄積した常

識からするとあり得ないと思うんだけど」

 率直に聞いてみた。気付けば穂谷との会話であれやこれやと一々何か考えたり感じたりする

ことはなくなっていた。

 不思議だ。久しぶりに頭を使い過ぎて、脳ミソがショートしてバカになっているのかもしれ

ない。

「私黙ってるとよく、怒ってるの? とか言われることが多いんだけど」

 真顔で僕の方を見る。

「うーん。怒ってるって言うより、なんかのっぺりしてる」

 平手が飛んできた。すかさずかわす。言い方がまずかったのは承知している。

「彫刻みたいってことだよ」

 僕は慌てて繕った。それを聞いて「ふん」と鼻を鳴らす。これでチャラということらしい。

「それでなんだったの? さっきの」話を戻す。

「あー、なんかね。怒ってるんじゃなくて、なんだろう? 怖いって言うか、なんか気持ち悪

かったんだよね」

「気持ち悪い?」

 僕は思わず訊き返す。上杉を気持ち悪いなんていう輩がいるとは思いもしなかった。贔屓目

を差し引いても、清潔感溢れる好青年という評価は妥当であるように思えた。

「そう、なんかね。いや、見た目とかそういうのじゃなくてね。雰囲気と言うか」

「ちょっとナンパ男みたいな口調のこと? まぁ、そう言われればそうかもしれないけど。俺

は特にそうは感じなかったかな。身内だし、男だからかもしれないけど。でも普通、そういう

のって女より男の方が目敏く気付いてうげって思うんじゃないかな?」

 首を横に振って、それを否定する。しばし考え込む。

「そういうチャラいとかっていうのじゃなくてね、なんていうかこう、うまく言えないんだけ

ど、上から目線っていうか、見透かしてるっていうか、馬鹿にされてるっていうか」

 僕はそういう印象を上杉に対して抱くかどうか想像してみた。

「……やっぱりイメージ湧かないかな」

 上杉のキラキラに対する嫉妬めいた感情ならわかるんだけど、穂谷がそういうのを上杉に対

して感じるはずないし。

「まぁ、ざっくり言うと女の勘ってやつかな」

「それはそれは、俺には未来永劫わからないやつだね」

 それでその話は終わった。辺りはすっかり赤く染まっていた。

 次の目的地はたこ焼き屋だ。振り返ってみると、今日はやたらと食い倒れ珍道中をしている

ように思えなくもない。

 しかも穂谷は駄菓子屋からずっともそもそ食べてばっかりだ。本当にモデルなんかやってい

るのだろうか。怪しい。

「そういえば、さっきからずっと食べてばっかりだけど、たこ焼きも食べるつもりなの?」

 怪しいと言えば、上杉の登場ですっかり途切れていたけど、友達云々の話も途中で聞きそび

れたままになっている。僕としては少し気恥ずかしさみたいなものもあり、こちらから再び話

題にするのも躊躇っている。それと同じくらい、藪から棒な感じの急展開にも恐怖を植え付け

られている。

「もち。余裕だよ」

 不思議そうに首を傾げる。「何言ってんのアンタ」って感じ。

 それが本当なら、僕が言うべきことはひとつだ。

「不公平だ。と他の女子が思っているよ」棒読みで伝えてあげた。

「そっ」と素っ気ない感じ。私の知ったことではありませんよ、という感じ。

 キラキラした奴だけが、そんな態度取れるんだぞ、という忠告はしないでおく。



* * *



 いつものたこ焼き屋に行くと、既に小高と周平がパイプ椅子に腰かけてたこ焼きを頬張って

いた。

 あまりにもたこ焼きに夢中になり過ぎてて、僕たちが二人の前に立つまで気付かなかった。

 二人は同時に僕たちを見上げ、しばらく呆けたように僕と穂谷を見つめたあと、黙ったまま

またたこ焼きに戻った。

「いや無視か!」

 心地よくツッコミを入れる。

 周平はツッコミを受けてもなお、たこ焼きに集中したままだ。のろのろと小高がこちらを見

る。死んだ魚の目をしていた。

「セイヤ。たこ焼き屋にダッチワイフを連れてくる馬鹿を俺は初めて見たよ。そんな奴と言葉

を交わして通りすがりの人に知り合いだとは思われたくないってのが普通だろう?」

 周平がガフッガフッとむせて、激しく悶えだす。

「ダッチワイフ? いきなり何を言い出すんだお前は」

 胡乱な目つきで僕の隣の穂谷を一瞥する。「私?」と視線がバトンリレーのように僕のところ

まで回ってくる。僕はそれを小高に送り返すだけだ。

「もし仮に、こんなクソ田舎にそんなフランス人形みたいな美少女がいたとして、そしてたこ

焼きを食すことがあると百歩譲ったとしても、そんな美少女がセイヤと並んで歩くことなんて

万が一億が一にもあり得ない、というのが万国共通の不変の真理なので、現実的に考えて、そ

の子はダッチワイフだ」

 僕はギュッと目を瞑り、拳を握りしめる。

 隣では穂谷が「聞き飽きてるけど、やっぱり嬉しいものだよね。どうもありがとう。ところ

でダッチワイフって何?」と小高に語りかけ、黒目をあらぬ方向に飛ばしすっとぼけようとし

てただの気持ち悪い奴になってる小高の横で、腰を落とした低い姿勢で小さくジャンプしなが

ら自分のみぞおちを連打する頭がおかしい奴になってる周平にたこ焼き屋のおばちゃんが「大

丈夫かい。ほら、そんなに慌てて食べるから」と水を差し出す。

 目を開くと、綺麗なオレンジ色の空が僕の視界いっぱいに広がっていた。


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