第46話 親子関係 〜その2〜


 俺がそう言った直後、さっきまで顔を伏せていた白峰が驚いた表情でこちらを見つめてきた。


「彼女の接客には僕や他のスタッフにはない魅力がたくさんあります。そしてそんな華煉さんの接客で幸せになったお客様を僕は確かに見てきました。それに彼女は学校では成績がトップクラスな上、時間があればインテリアや接客の勉強までもしていて、そんな努力家の華煉さんであれば学業も一人暮らしだってこれからちゃんと両立できるはずです」


「だから……」と俺はそこで一旦言葉を区切ると、覚悟を決めるために深く息を吸う。そして――。


「だから東京に連れて帰ることについては、もう一度考え直してくれませんか?」


 お願いします! と俺は誠心誠意を込めて頭を下げた。


「萩原くん……」


 隣にいる白峰が、少し震えた声で俺の名前を呟く。その声に後押しされるかのように、「どうかお願いします」と俺はもう一度深々と頭を下げた。

 そんな自分に対して、目の前で黙っていた白峰の父親が呆れたようにため息を吐き出す。


「では君に聞こう。私の娘がこの店で顧客に満足してもらっているということをどうやって証明できる?」


 淡々とした口調で問われたその質問に俺は想わず返答に詰まってしまう。

 証明しろと言われても、お客さんもいないこの場では難しい話しだ。

 するとそんな自分の様子を見て、白峰の父親が話しを続ける。


「それに現状一人暮らしができていない時点で今後両立ができる可能性など低いも同然。君は頭を下げてまで頼んでいるが、もしも娘が学業面で支障が出て将来進路に影響が出てしまった場合はどう責任を取るつもりなんだ?」


「それは……」


 痛いところを突かれてしまい、俺は今度こそ言葉を失ってしまう。

 どう責任を取るかなどと聞かれてしまったら、もはや自分の立場ではどうすることもできない。

何も言い返せずに黙っていると、視界の隅で白峰が再び何かを喋り出そうと唇を開くのが見えた。


 けれどもその言葉を遮るかのように、先に白峰の父親が口を開く。


「今さら何を言ったところでもう遅い。お前が住んでいるマンションもこの後解約しに行くつもりだ」


「そんなっ」


 白峰の父親の言葉を聞いた瞬間、俺は驚きのあまり顔を上げた。隣では白峰も愕然とした表情を浮かべている。


「私も多忙なんだよ。こんなところでいつまでも子供のわがままに付き合っていられないんだ」


「だから早く帰る支度をしろ」と白峰の父親が突き放すような口調で言う。

 その言葉を聞いて、悔しそうにぎゅっと唇を噛み締める白峰。店内に息が詰まるような沈黙が漂う。


 何か……何か言い返さないと!


 このままでは本当に白峰が連れ戻されてしまうと焦った俺は必死になって頭を働かせる。

 けれどもこの状況で打開策など何一つ浮かばず、もはやこれまでかとグッと拳を握りしめた時だった。

 ブロロンと扉の向こうから聞き慣れたエンジン音が聞こえてくる。


「この音は……」


 ハッと我に返ってガラス窓越しに店の前を見てみれば、そこに映るのは黒のハイエース。

 ちょうど店の入り口前で止まったその車から現れたのはこの店の店長である親父と、そして助手席から降りてきたのは一人の老婦人だ。


「白峰ちゃん、お久しぶりね」


 カランと鈴の音が鳴ってガラス扉が開いた直後、そんな言葉と共に現れた老婦人の姿を見て俺も白峰も思わず目を見開いた。

 何故なら視線の先にいたのは、以前白峰がソファの接客をしていたあのお客さんだったからだ。


「いやーちょうどお店に行きたいって話してくれたお客さんとたまたま駅で会ってな。だから車に乗ってもらって一緒に来たんだが白峰ちゃんのお客さんだったか」


 相変わらず呑気な声でそんな言葉を口にしたのは、一緒に店内に入ってきた親父だ。

 その隣では、お客さんがニコニコとした笑顔を浮かべている。


「約束通りソファを買いに来たわよ。だからまたあなたに接客をお願いできるかしら?」


 優しく微笑みながらそんなことを話すお客さんを前に、茫然とした様子でその言葉を受け取る白峰。

 けれども彼女はすぐにハッとした表情に戻ると、今度はその瞳をじわりと滲ませた。


「はい、もろちんですっ」


 活気のある声音が、コンシェルジュの店内に響いた。

 そんな彼女の声に驚いて隣を見てみれば、白峰が初めて嬉しそうな笑顔を浮かべているではないか。


「あなたのおかけで家族も喜んでくれるソファが見つかったから感謝しているわ。これからも欲しいものがあったときは白峰ちゃんにお願いするからよろしくね」


 そう言ってお客さんは白峰のことを見つめたままニコリと笑う。

 そして二人は店内の奥のほうに展示しているソファへと向かっていくと、以前よりも楽しげな様子で話しを始めた。


「あの姿を見ても、まだ信じることはできませんか?」


「……」


 二人の様子を見ていた俺がそんな質問をすると、白峰の父親が黙り込む。

 そして彼はしばらくの間考え込むような表情を見せた後、今度は諦めたように息を吐き出した。


「……どうやら私の考えが間違っていたようだな」


 白峰の父親が静かな口調でそんな言葉を口にした。

 そして彼は、お客さんと接客している白峰の方を見る。


「昔からコミュニケーションが苦手で家族とさえまともに話しができなかった華煉が、まさかあんな風に人と話すことができるようになっていたとは」


 先ほどまでの無機質な口調とは違い、白峰の父親がどこか驚きを滲ませた声でそんな言葉を口にする。

 俺はその言葉を聞いて、ホッと息を吐き出した。おそらくこれで白峰も、少しは父親に自分のことを認めてもらえたはずだろう。


 そんなことを思って一人安堵していると、何故か白峰の父親が再び厳しい視線を俺へと向けてきた。


「ところで、君と華煉の関係は本当にただのクラスメイトという認識で良いのだな?」


「……え?」


 急に茜みたいなことを、茜以上の迫力と恐ろしさで聞かれてしまい、俺は思わずぎょっとした表情を浮かべてしまう。


 なんだよこの人、けっこう娘のこと溺愛してるじゃねーかよオイ。


 心の中でついそんなツッコミを入れてしまうも、もちろん口に出して言うわけにもいかず俺は苦笑いでこの場を誤魔化す。

 すると「まあいい」と声を漏らした白峰の父親が再び話し始めた。


「今回のことは目を瞑るが、今後の華煉の態度次第では私はまた連れ戻しにやってくる。だから君もそのつもりで娘と接してほしい」


「は、はい……」


 ピシャリとした厳しい声音でそんなことを言われてしまい、俺は反射的に背筋を伸ばした。

 どうして自分がそんなことを言われたのか釈然としないが、とりあえずここは素直に頷いておくことが無難だろう。


 まあでも……今回はこれで白峰も助かったか。


 俺はそんなことを思うと、もう一度店の奥の方を見る。

 すると視線の先に映るのは、嬉しそうな笑顔を浮かべて接客を続けている白峰の姿。

 その姿を見て小さく安堵の息を吐き出すと、俺は心の中で思った。


 きっと彼女のそんな姿も、これからコンシェルジュの日常になっていくのだろうと。

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