第42話 父親との外出

 世間は土曜日で休日。


 お店は茜と白峰が見てくれるということで、俺は親父と共に車で外出をしていた。


「こんな場所に住んでいるお客さんなんていたっけ?」


 助手席の窓の外を見つめながらふとそんなことを尋ねた。

 視界に映るのは、のどかな田園風景とどこまでも続く田舎道。

 ここは大阪府の右隣にある奈良県で、お客さんの家に行くと言っていた親父についてきたのだが、思っていたよりも遠方まで来てしまったようだ。

  

 ガタガタと助手席で揺られているとやがて車は山道へと入り、辺りには暖かな木漏れ日が降り注ぎ始めた。


「ついたぞ翔太」


 ぼんやりと山道の景色を眺めていた俺は、親父の声でハッと我に戻る。

 そしてシートベルトを外して車を降りると、目の前に映ったのは純和風な日本家屋だった。


 いかにも有名な社長や政治家なんかが住んでそうな立派な門構えを前にして緊張してしまう俺に対し、隣では親父がいつものようにニコニコとした笑顔を浮かべている。

 そしてそんな親父が気負うことなくインターホンを押した直後、『どちら様でしょうか?』と男性の声がスピーカー越しから聞こえてきた。


「お久しぶりです清郷きよさとさん、萩原です」


 スピーカーから聞こえてきた声に対して親しげに、けれどもどこか敬意のこもった声で親父が答えた。

 するとその直後、『ああ、萩原さん』と嬉しそうな声が返ってきた後、門の向こうに見える大きな玄関扉がゆっくりと開いた。


「いつもありがとうございます。こんな遠いところまで来て頂いて」


 そう言って現れたのは、浴衣を着た白髪の老人だった。おそらく年齢は七十を過ぎているぐらいだろうか。

 顔には深い皺が刻まれているものの、背筋は真っ直ぐとしていてその凛とした佇まいからは衰えをまったく感じさせない。


「いえいえ、清郷さんには随分とお世話になったので気にしないで下さいよ」


 清郷さんという老人に対して親父はニカっとした笑顔で答える。

 そんな二人のやり取りを見ていると、今度は清郷さんの瞳が自分の方へと向けられる。


「こちらの方は……」


「息子の翔太です」


 親父の紹介に続いて、俺は「初めまして」と丁寧に頭を下げた。


「そうでしたか。たしかに美鈴さんの面影がありますね」


 そう言って清郷さんが優しく微笑む。この人、母さんのことも知ってるんだな……。

 俺がそんなことを思って目をパチクリとさせていると、今度は清郷さんの方が小さくおじきをした。


「初めまして、清郷きよさと宗一そういちと申します。立ち話もなんですから、お二人とも中へどうぞ」


 清郷さんはそう言うと俺と親父を家の中へと案内してくれた。

 正面門を抜けて石畳の上を歩いて行き、玄関へと一歩足を踏み入れればそこはホールかと見間違うほどの広い空間だった。

 漆喰の壁には日本画が飾られていて、欅で作られた靴箱の上には陶器の壺や盆栽などが置かれている。そしてそのどれもが高価なものだということが一目でわかるぐらいに逸品たちだ。


「いつもすみませんね、わざわざお願いしてしまって」


「いえいえ。家具をメンテナンスすることも僕らの仕事ですから」


 申し訳なさそうな表情を浮かべる清郷さんに対して親父が人懐っこい笑顔で応えた。

 なるほど、親父は清郷さんの家に定期的にメンテナンスをしに来ているらしい。


 こんな遠方までわざわざ訪れるぐらいだから、よほど深い関わりがあるお客さんなのだろうと思いながら二人の後ろを歩いていると、清郷さんが立ち止まって襖を開ける。

 そして通された和室に入ると、広い部屋の中央に一台のソファが置かれていた。


「マジかよ、コロニアルソファだ」


 和室に通された直後、滅多に見ることができない家具を前にして俺は思わず声を漏らした。


 視線の先に映るのは、経年変化したオーク材と本革のレザーが美しいソファ。


 オーレ・ヴァンシャーの代表作『コロニアルソファ』。


 デンマークの王立アカデミー家具科で教鞭もとったことのあるヴァンシャーは、デザイン界でも数々の賞を取ったことでも有名で、その優雅で機能性のあるデザインは没後30年以上経った今でも国内外と合わず高い人気を誇っている。


 そしてそんな彼の作品の中でも、このコロニアルソファは細く流麗なフレームが特徴的で、畳や襖といった和室テイストの部屋にも不思議とピッタリと合うほど洗練されたデザインだ。


 お客さんの家に来ていることも忘れてついソファに魅入っていると、隣に立つ清郷さんがソファの方へと近づいていく。


「このソファも萩原さんたちにお勧めして頂いてからもう15年以上になりますかね。これだけ座り心地の良いソファを見つけることは大変なので、以前住んでいたところからわざわざこっちの家に持ってきたかいがありましたよ」


 そんな言葉を言いながら、ソファを優しく撫でる清郷さん。

 親父が定期的にメンテナンスしているだけあって、そのレザーの色と質感は十五年以上も経っているとは思えないほど綺麗だ。


 さすが親父だな、なんて一人そんなことを感心していると、清郷さんが思い出したかのような口調で言う。


「そういえばあの頃、お二人とも大きな物件を抱えてましたよね」


「ああ、横浜のベイクォーターのことですか」


 清郷さんの言葉に親父がすぐに答えた。


「いやぁ、あれは本当に大変でしたよ。新店舗の立ち上げや施設との交渉で慌ただしかった上に、向こうの担当者が鬼のように厳しい人でしたからね」


 まあその人も結局最後は美鈴に説得させられてましたが、とわははっと笑う親父。

 両親の昔の話しなんてあまり聞く機会がないのでなんだか不思議な感じがするなと思っていたら、優しく微笑んでいた清郷さんがこちらを見る。


「翔太くんも、家具が好きなのかな?」


「はい。まだ高校生ですが父親のお店で一緒に働いています」


 俺の返答を聞いて、「ほう」と清郷さんが感心したような声を漏らす。


「学生の頃からやりがいのある場所で働いているなんて感心だ。まあ萩原さんのお子さんなら、きっとこれからたくさんの人たちに素敵な家具を提案していくでしょう」


 清郷さんはそう言うと、静かに一呼吸置いた。


「翔太くんのお父さんも、そしてお母さんの美鈴さんもとても素敵な人でしたよ。どんな時でもただ真っ直ぐにお客様のことを想い考え、そして相手が考えていた以上のコーディネートをいつも提案してくれる。私はお二人が以前働いていたお店の時からお世話になっていましたが、慎吾さんも美鈴さんもそれはもうたくさんのお客様から信頼されていましたからね」


 穏やかな口調でそんなことを語る清郷さん。そのとなりでは親父が恥ずかしそうに頭をかいていた。


「私はもともと家具や雑貨などにはまったく興味が無かったのですが、初めてお店に訪れた時に美鈴さんに『インテリアに興味がないなんて勿体無いですよ!』と言われたんです。ちょうど引っ越しを考えている時だったので、その言葉をきっかけに自分でも色々と調べるようになりました」


 そう言うと清郷さんは俺の方を見てニコリと微笑む。


「君のお母さん、美鈴さんは不思議と人を惹きつける女性でね。私もコーディネートが思いつく度にいつも彼女に相談しに行っていました。まあでもその度に『清郷さん全然センスないじゃないですか!』ってよく笑われましたけどね」


「……」


 うん、さすが母さんだ。お客さんに対してもストレートに言葉を言っている姿がばっちり想像できるな。

 

 ついそんなことを考えて苦笑いを浮かべるも、目の前で思いで話しを語る清郷さんからは嫌味な感じは一切なく、むしろ楽しそうだ。

 きっと母さんのことだから、その時から相手が喜ぶような接客をしていたのだろう。


「あの時は私もインテリアについてわからないことばかりでしたが、今は思います。たしかに美鈴さんがよく言っていたように、家具や雑貨には人を幸せにしてくれる力があるんじゃないかと」


 そう言って清郷さんは再びソファを見ると、懐かしそうに目を細めた。

 俺はそんな清郷さんの横顔を黙ったまま見つめる。


 その優しそうな瞳には、何だか母さんの姿が見えているような気がした。

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