第16話 翔太の接客
階段を降りていきひょっこりと店内の方を覗いてみると、いかにも金持ちといわんばかりの高級スーツを着た中年の男性が白峰に話しかけていた。
「こっちも忙しいねん。さっさと答えろや」
白峰にスマホの画面を見せながらやたらと威圧的に話しをする男性。
たまにいるんだよなぁ、自分がちょっと金持ちだからって上から目線で偉そうに話してくるおっさんが。
そんな大人げないおっさんに絡まれてしまった白峰はというと、これがプライベートならビンタの一発でも食らわせていたのかもしれないが、さすがにお客さん相手だとそうはいかないようで珍しくただおろおろと狼狽えているだけだった。
これは早いとこ助っ人に入ったほうが良さそうだな……。
そう思った俺は二人がいる方へと近づいていくと、白峰をさっと背中に隠すようにして彼女の前へと立った。
「お客様申し訳ございません。宜しければ私が代わりにお伺い致します」
言葉遣いと声音を切り替えて、俺は目の前にいる男性を真っ直ぐに見つめる。
こういうお客さんを相手にした時は、あえて丁寧な口調で話しながら堂々とした態度を貫くことが大切だ。
するとどうやら俺の予想は正しかったようで、相手は一瞬虚を突かれたかのような表情を浮かべてこちらを見てきた。
が、すぐにふんと鼻を鳴らしてきたかと思うとその態度を戻す。
「ちっ、またガキか。この店にはまともな店員がおらんのかいな」
その言葉を聞いた瞬間、爽やかスマイルを浮かべている俺の口端が思わずひくっと引き攣る。
この野郎、言わせておけば好き勝手なこと言いやがって!
ついカチンとして怒りのパラメーターが上がってしまうも、そこはスマートな接客を目指す己のポリシーから何とかぐっと堪える。
そしてチラリと相手のスマホの画面が見えた瞬間、俺は反撃ついでに口を開いた。
「なるほど。お探しのソファはル・コルビジェが手がけたLCシリーズですね」
不意に俺がそんな言葉を発した直後だった。
相手の男性が再び驚いたように目を見開く。
「なんやお前、このソファのこと知ってんのか?」
「ええ、もちろんです」
半信半疑の声音で尋ねてくる相手に、俺は笑顔を浮かべたまま大きく頷いた。
「ル・コルビジェといえば近代建築の三大巨匠の一人と呼ばれ、数々のインテリアをデザインしたことでも有名な建築家の一人。中でも彼のイニシャルを商品名にしたLCシリーズは百年近く経った今でも憧れを持つ人が世界中に数多くいるほどの逸品です」
俺は言葉を途切れさすことなく、名作と呼ばれているソファについて語り出す。
フランスの建築家ル・コルビジェの代表作『LCシリーズ』。
通称グランコンフォールと呼ばれるこのソファシリーズは、スチールパイプのフレームとレザーの素材を使ったモダンテイストを代表するようなデザインで、ニューヨーク近代美術館にも所蔵されている名作ソファの一つ。
おそらくネットでググれば「ああこれか」と見覚えのある人も多く、最近では某スパイ家族漫画にもちゃっかり登場していたというのはこれまた快人からの情報である。
どうやら写真だけで商品のことを言い当てたことが効果的だったようで、相手の男性は何やら興味深げに俺のことを見定めるような視線でジロジロと見てくるではないか。
よしよし、とりあえず布石はこんなものでいいだろう……。
俺は内心でそんなことを呟きながら思わず心の中でほくそ笑む。
残念ながら見定めさせてもらったのは俺の方で、おそらくこの男性はインテリアに対してそれほど関心があるわけではなく、とりあえず高価な家具がほしいだけの成金野郎なのだろう。
当店の理念には合わないこういったお客様には早々にお引き取りいただくことが賢明だ。
そんなことを思った俺はこほんと小さく咳払いをすると、落ち着いた声音で再び話しを続ける。
「しかし残念ながらお客様がお求めのソファは当店に取り扱いがなく……というより偽物なら市場にもたくさん出回っているのですが、もしも本物のLCシリーズをお求めの場合はカッシーナ・イクスシーというお店でしか購入することができません」
もちろんお客様のように一流の家具をお求めの方であればご存知のことだとは思いますが。と俺はあえて余裕のある声音でそんな言葉を付け足した。
すると、さすがに己の無知さ加減に気が付いたのだろう。
相手の男性は一瞬気恥ずかしそうに眉を顰めた後こちらをギロリと睨みつけてきて、「知ってるに決まってるやろ!」と怒鳴りながらそんな言葉を吐き捨ててきた。かと思えば今度は逃げるように背中を向けてくると、そのまま足早にお店を出て行ってしまった。
「だはぁー……何とか上手くいったか」
店内にいつもの静けさが戻った直後、俺は脱力して盛大なため息をついた。
「大丈夫だったか白峰?」
「え、ええ……」
後ろを振り返りそんな言葉をかければ、白峰が少しソワソワとした様子で返事を返してくる。
まあそりゃ初めて接客したお客さんがあんなおっさんだったら誰だって動揺するだろうな。
「たまにいるんだよあんなお客さんが。『俺はすごく金持ちなんだぞ!』ってアピールしてくるくせに家具に対して知識もこだわりもなくて、挙句の果てに店員に偉そうなことばっかり言っては結局何も買わないんだよなぁ」
俺は呆れた口調でそんな話しをする。まあでもああいうお客さんは商品を買ったら買ったで「木目が気に入らない」とか「イメージしてたのと違う」とかすぐに難癖をつけてくる傾向があるのでさっきみたいに何事もなく帰ってもらうことが一番無難なのだが。
「だからさっきのことはあんまり気にしなくても……って、なんだよ?」
白峰があまり気に悩まないようにとそんな話しをていたら、何やら相手が物言いたげにじーっと俺のことを見つめてくることに気づいた。
まさか俺に八つ当たりでもしてくるじゃないだろうなと思わず身構えた直後、今度は白峰がぼそりと言う。
「萩原くんって意外と頼りになるのね」
「……はい?」
突然予想もしなかった言葉を言われてしまい、俺はついきょとんとした顔をしてしまった。
まさか白峰のやつ……いま俺のことを褒めたのか?
意外と、と言われた部分が何だか気になるところではあるのだが、こちらを真っ直ぐに見つめてくる白峰の瞳にはいつものような軽蔑の色はない。
これはおそらく馬鹿にされているわけではないのだろうと思った俺は、白峰に対してここぞとばかりに胸を張った。
「ふふふっ、どうだ見直したか白峰。これぞ萩原流接客術の一つでその名も――」
気分を良くした俺がつい茜と話すような口調で話し始めてしまった直後だった。
今度は殺気を纏ったようにすっと目を細めてきた白峰が、「気持ち悪い」の一言で俺の会話も心も一刀両断してきた。
ダメだ、さっきのおっさんよりもやっぱこの人のほうが怖いッ!
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