第3話 突然の来訪

 快人のくだらないボケにツッコミを入れたり、のんべんだらりと授業を受けたりしていたその日の放課後。

 みんなが部活やら友達同士と遊びに行っているであろう時間帯に、帰宅部の俺はこれといって寄り道もせずに真っ直ぐに家へと向かって歩いていた。


 ほとんどの生徒が最寄りの弁天町駅を利用して電車通学している中、自分は徒歩圏内に学校があるというありがたいご身分だったりする。まあ放課後のほうが忙しくなる自分にとっては、それを狙って学校を選んだところもあるのだが。


 そんなことを考えつつ、絵の具を塗ったような青空の下をはらはらと舞う桜の花弁と共に進んでいけば、辺りの景色は徐々に住宅街へと移り変わっていく。

 駅近くは高速が通っていたりファミレスがあったりとわりとガヤガヤとしているのだが、この辺りは一変して落ち着いた静けさが漂っている。 


 あれは野々宮さんの家で、こっちは清水さんの家……などと、今まで訪れたことのある家の屋根を何となく目で追っていると、今度は視界の先に見慣れた我が家の看板が見えてきた。


「おう翔太、おかえり!」


 一階入り口のガラス扉を開いた瞬間、カランカランと鳴った鈴の音と同時に耳に届いてきたのはうるさいぐらいに元気のある声だ。


「見てくれ翔太。この新しく仕入れたチェア、なかなかのデザインだろう!」


 再び意気揚々とした声音でそんなことを言ってきたのは、現役でアメフトでもやっていそうなほどガタイの良い大男。

 

 夏を先取りしたかのようなその白いTシャツは筋肉によって……いや今は脂肪のせいでパツパツになっており、腰にはいつもの黒いサロンを巻いている。年齢はとうの昔に四十は超えているのだが、無造作に生えた髭がやたらとダンディな感じを醸し出しているこの陽気なおっさんは親父の萩原はぎわら慎吾しんごだ。


「なかなかのデザインだろって、そのチェアこの前色違いで仕入れたばっかじゃん」


 俺は半ば呆れた口調で、親父の足元に置いてある椅子を見つめながら言う。

 背もたれと座面がプラスチック素材で一体化したデザインのそれは、ミッドセンチュリーなテイストで人気のあるモデルだ。


 俺の言葉を聞いて親父はびしっと人差し指を立ててきたかと思うと、「ちちちっ」と何やらわざとらしく振ってきた。


「わかってないな翔太は。色が違うからこそ新しい価値が生まれ、新しい顧客開拓に繋がる。つまりこのチェアが仲間入りすることで、この店の魅力はさらに磨かれるということだ」


「まあその魅力がちゃんとお客さんに伝わればいいんだけどな」


「ばっちり伝わるさ、男のロマンと一緒にな!」


「……」


 決め台詞のつもりなのか、ニカっと白い歯を見せてサムズアップしてくるおっさん。あれ……もしかして俺の周りってボケ担当の人間しかいないのでは?


 今さらになってそんなことを思い小さくため息を吐き出すと、俺は辺りの光景をぐるりと見渡した。

 視界に映るのは随分と経年変化して赤みがかった板張りの壁に、そして足元にはこれまた思い出を刻むかのように傷や汚れのついたコンクリートの床が広がっている。


 一軒家の一階の壁をほとんどぶち抜いてワンフロアにしたこの場所は言葉だけを聞くとボロい空間のようにも思えるのだが、実際は天井から吊り下げられた様々なデザインをした照明たちの暖かい輝きによってそんな風には見えない。

 むしろオシャレなカフェのような落ち着いた雰囲気さえ漂うこの空間には、洗練されたデザインの椅子やテーブル、ソファなどをはじめとした数々の家具や雑貨がずらりと並べられている。


 インテリアショップ『コンシェルジュ』。 


 かつて祖父母が営んでいたという酒屋さんをリフォームして俺の両親が作り上げたのがこのお店だ。


 もともとインテリア業界で有名な会社で働いていた二人は、いつか自分たちのお店を持つことが夢だったらしく、俺が小学生に上がるタイミングに関東から大阪へと越してきて祖父母からこの場所を受け継いだらしい。

 なのでここに並べられている家具や雑貨たちは有名無名を問わず、両親が選びに選び抜いて本当に良いと思ったものしか扱っていない。


 そしてそのセンスは確かに光るものがあるようで、個人経営のお店ではあるのだが地元の常連さんも多く、中には酒屋さんだった頃から通ってくれていた人が、当時とは扱っている商品が違えどわざわざ足を運んでくれるほどだ。


 ちなみにそんな親を持つ俺はというと、放課後や休日はスタッフとしてここで働いている。……もちろん無給で(泣)。


 相変わらずテンション高く話しかけてくる親父の話しを「はいはい」と適当に受け流しながら、俺はレジカウンターの横にある階段を上がっていくと三階にある自分の部屋と向かう。

 そして部屋に入るなりブレザーの上着とネクタイを脱ぎ捨てると、今度は親父と同じように腰にサロンを巻き付けて再び一階へと戻った。


「おっ、さっそく仕事モードとは今日もやる気満々だな」


「まあ部屋にいてもやることないしな」


 親父の言葉に対して、俺は適当に思いついたことを口にした。

 この店の店長でもある親父は日中ほとんど一人で店を見てくれているので、こうやって俺が店に立たないと休憩したり事務作業をしたりできないのだ。

 なので無給で働く息子なりにこれでも気を遣っているわけなのだが、気恥ずかしいので本人に直接そんなことを言ったことはない。


 とりあえず掃除でもするかと思った俺はレジカウンターの引き出しからハタキを一本取り出すと、それを握りしめて売り場へと足を踏み出した。すると直後――


「萩原さーん、こんにちは!」


 入口の扉が開く音がしたと同時に、これまた元気な声が店内に響き渡った。視線を向ければそこに立っていたのは顔馴染みのおばさんで、「佐々木さん、いらっしゃい」と親父が笑顔で応ている。


「この前修理で預かったシューメーカーのスツールはもうばっちり直ってますよ」


「さっすが店長、いつも仕事が早いやんっ!」


 親父の言葉を聞いて、同じくニカっと明るい笑顔を浮かべる相手。

 ぐるぐるのパンチパーマにヒョウ柄の服というスタイルがいかにも大阪のおばちゃんといった風貌をしているこの人は、ご近所に住んでいる佐々木さんだ。

 佐々木さんは昔からよく来てくれる常連さんの一人で、たぶん俺が最初に出会ったのはまだ小学生になったばかりの頃だったと思う。


 相変わらずこの人迫力すげーな、なんてことを思いながら二人のやり取りを見ていると、「スツール持ってきますね」と親父は事務所兼ストック部屋がある店奥へと引っ込んだ。


「そうや翔ちゃん、もう高校二年生になったんやって? 学校のほうはどうなん?」


「どうもこうも相変わらず平凡ですよ。べつに学年が上がったところでやる事は去年と同じですし」


 今度はこちらに話しを振ってきた佐々木さんに俺はそんな言葉で答える。

 幼い頃から自分のことを知っている佐々木さんにとってどうやら俺は息子のような存在らしく、顔を合わせればこんな風にプライベートな話しもしたりするのだ。


「そんなん言って、そろそろ翔ちゃんも彼女の一人や二人できたんちゃうの?」


「いやいやいや、俺には彼女なんて出来ないですって。それに恋愛とかあんまり興味ないんで」


 いつものようにぐいぐいと質問攻めをしてくる佐々木さんに向かって苦笑いを浮かべなからそう答えた。

 もちろん本心は嘘だ。俺だって健全な男子高校生なので恋愛には興味があるし、できることなら彼女だってほしい。

 しかし残念ながら今のところそんな経験をしたこともなければ、ピンとくる相手も見つかっていないのが実情である。


 まあいずれできるだろうと気楽に考え直して今は仕事に集中しようとしたら、目の前で佐々木さんがヒョウのごとくカッと目を見開いた。


「気いつけやアンタ、そんな調子やったら一生童貞やで」


「いきなり直球ッ⁉︎」


 突然の生涯独身宣告。おいこのおばちゃん、いきなりなんてこと言うんだよ。


 痛いところをグサリと刺されてしまい言葉に詰まっていたら、そこに三本足のスツールを持った親父が戻ってきた。


「翔太、俺はこのまま佐々木さんの家にスツール届けに行くからあとはよろしくな」


「へいへい、頼むから早く戻ってきてくれよ」


 丸太をかつぐようにスツールを持っている親父に向かってそう言うと、俺は二人を出入口まで見送る。

 個人経営の利点とでもいうのか、親父も俺も時間があれば気軽にお客さんの家に行っては商品を届けたり家具のメンテナンスをしたり、そして時には世間話しに花を咲かせたりしているのだ。


「はよ彼女さん作って大人の階段上がるんやで」と謎の発言だけを残して去っていく佐々木さんの後ろ姿にまたも苦笑しながら、俺はガラス扉を閉めるとふぅと一息ついた。


 やっと店内に訪れたのは、穏やかな静寂。

 お店の雰囲気と合わさってどこか非日常感漂うそんな静けさに包まれながら、俺は握りしめていたハタキを使って展示してある家具たちの掃除を始めた。


 半世紀以上も前にイギリスで流行ったキャビネットや北欧ブームの火付け役となったチェア。それに今を活躍する日本人デザイナーが作ったテーブルなど。

 古今東西の様々な家具たちがまだ見ぬ買い手を待っているかのように、それぞれの魅力を放って佇んでいる。


 人の出会いも、家具の出会いも、一期一会。


 こんな小さなお店に来てくれるお客さんは、偶然にしろ必然にしろ、不思議なご縁があって足を運んできてくれるものだと母さんはよく言っていた。


 だからこそ俺自身も、ここで働くスタッフとしてそんなご縁を大切にしたいといつも心掛けている。


 そんなことを考えていると、カランカランと今日もまた素敵な出会いを予感させるかのような鈴の音が鳴った。


「いらっしゃませ」


 ゆっくりと開くガラス扉の方を振り返り、俺はいつものように最高の笑顔とあいさつを向ける。

さて、今日はどんなお客さんが来てくれたのだろう。


 そんな期待で高鳴った心臓はしかし、視界に飛び込んできた人物を見た直後今度は違う意味でドクンと鈍い音を立てた。


 ――え?


 驚きのあまり思わず瞬きも呼吸も止まってしまう。

 それと同時に、先ほどまで優雅なことを考えていた思考回路も一瞬にして凍りついてしまう。


 なぜなら……なぜならこんな小さなインテリアショップに突如現れたのは、我らが風清高校が誇る孤高の美少女――白峰しろみね華煉かれんだったからだ。

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