第4話 親父、その提案は勘弁してくれ。

「「…………」」


 見つめ合うこと約五秒。

 その間、俺の思考は完全に停止していた。


 視線の先にいるのは、まるで絵画のような美しさを纏って佇む一人の美少女、白峰華煉。


 だがしかし、そんな彼女が放つオーラは神秘的というよりももはや威圧的で攻撃的だ。


 な、なんで白峰がここにッ⁉︎


 思わず目を見開いたまま俺は心の中で叫んでしまう。

 いや待て待て、落ち着け自分。ここは学校から少し離れているとはいえ白峰が偶然立ち寄ってくる可能性だってあるだろう。

 それに俺は快人と違って話したこともなければビンタされたこともないので、相手がまだ自分のことに気づいていないという可能性だってある。


 そんな期待に賭けた俺は、白峰からそっと背を向けて掃除の続きでもしようかと思った。……のだが、


「……萩原君?」


「うげっ」


 思わず変な声が出た。残念ながら、どうやら俺の顔はすでにバレてしまっていたらしい。


 さすがにこの状況で知らぬ顔をするわけにもいかないので「そ、そうだけど……」とぎこちない口調で答えれば、白峰は何やら怪しむかのようにきゅっと目を細めた。


「こんなところで何してるの?」


「……」


 有無を言わせぬような鋭い声音。なるほど、白峰に話しかけた男子たちが縮こまるのも頷ける。これほどまでに棘のある口調で話しをされたら誰だってビビってしまうだろう。


 そんなことを考えて思わずゴクリと唾を飲み込むと、俺はできるだけ声を落ち着かせて言葉を返す。


「ここで働いてるんだよ。スタッフとして」

 

 何とか平然を装ってそんな言葉を返せば、白峰はそれ以上深くツッコんでくるわけでもなく「そう」とだけ呟いた。


「……なんだか不思議な感じがするお店ね」


 何やら興味ありげに店内をぐるりと見渡して、ふいにそんな言葉をぼそりと呟く白峰。


 ほほう。これはもしかしたら意外なことに、彼女は家具とか雑貨が好きな人種なのかもしれない。


 そんなことを思った直後、「もしかしてこういう店に興味があるのか?」とつい尋ねながら俺の中での白峰に対する株価はぐんぐんと上がっていき、


「べつに興味なんてない」


 そしてすぐに大暴落した。

 

 マジでこいつ何しに来たんだよ、と思わずツッコミたくなる衝動をぐっと堪えていると、白峰は近くに置いていた椅子をふと見下ろし、そして何やらまたも眉間にきゅっと皺を寄せる。


「なんでこんなどこにでもありそうな椅子が九万円もするの?」


「なっ!」


 白峰が安易に口にした言葉を聞いて、俺は思わず衝撃を受けた。


 それもそのはずだ。なぜなら彼女が指差す先にあったのは、北欧を代表する名作チェアの一つ『Yチェア』。


 インテリア好きなら誰もが憧れ欲しがる貴重な椅子を、それをこの女どこにでもありそうな椅子って言いやがったなこんちくしょうっ!


「おいその言葉はちょっと待て。そこに置いてある椅子はだな、あのデンマークの天才デザイナーであるハンスウェグナーの傑作で――」


 白峰に対する恐怖よりも名作チェアを馬鹿にされた怒りの方に天秤が傾いた俺は、いつも以上に熱を入れてチェアについての魅力を語り始めた。

 けれども肝心の白峰はというと、こちらの熱弁などまったく興味がなさそうにふいっと背中を向けてきたではないか。


 ……こいつ、ほんとに愛想のない奴だな。


 こちらが一生懸命になって話しかけているにも関わらず、終始無反応を貫く相手に向かってついそんなことを思ってしまう。

 そして、冷やかしならさっさと帰ってくれないかなーなんてことを今度は黙ったまま視線だけで訴えかけていると、白峰は何故かダイニングテーブルの値札を見比べ始めた。


「……何やってんだよ?」


 目の前でよくわからない行動を取り始めた相手に、俺はそんな疑問をぶつける。

 すると白峰はこちらを振り返ることもなく素っ気ない口調で言う。


「何って、テーブルを選んでるのよ」


「……はい?」


 白峰の言葉を聞いて思わず間抜けな声が出た。

言っている意味がよくわからず「どういうことだよ?」と再び尋ね返せば、今度は白峰がこちらをチラリと睨む。


「だからテーブルを買いにきたって言ってるでしょ」


「……」


 もはや完全に理解不能だった。

 いやいやいや、マジでちょっと待ってくれよ。テーブルを買いにきたってどういうことだ?

まったく予想もできなかった会話の展開に、俺は返す言葉を失ってしまう。

 そもそもだ。女子高生が放課後に一人でダイニングテーブル買いにくるなんてどう考えたっておかしいだろ。


 こいつはもしかして新手の冷やかし屋なのか? なんてことを黙ったまま疑っていたら、白峰が円形のダイニングテーブルの前で立ち止まった。


「あんまりピンとくるのものがないけれど……まあこれでいいかしら」


「これでいいかしらって、お前それちゃんと値札見えてるか? 2万6千円じゃなくて20万――」


「わかってるわよ。見えてるに決まってるでしょ」


「見えてるのになんでそんなに強気なの⁉︎」


 俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

 なぜなら白峰の目の前にあるテーブルは、かつてイギリスで一世を風靡していたGプランシリーズというダイニングテーブルで、今となっては製造されていない貴重なヴィンテージもの。


 当たり前だが学生のご身分で買えるような代物ではないのだが、彼女はそれをまるでコンビニ弁当でも選ぶかのような感覚で買うと言ってきたのだ。


「あのな、こう見えても俺だって真剣に働いてるんだよ。冷やかしならマジでやめてくれ」


「冷やかしじゃないから。それより支払いはカードでもできるの?」


「もちろんカードも電子マネーもご利用できます。って、違うわい!」


 こっちの主張などお構いなしに勝手に話しを進めていく白峰。あっぶねーなオイ、危うくこいつのペースに飲み込まれるところだったぞ!


 俺は慌てて我に返ると心を落ち着かせるために深呼吸を一つする。

 しかしこれは困ったことに、かなりやっかいな奴がお店に来てしまった。

 目の前で俺のことをじーつと睨みつけたまま黙っている白峰を見て、俺はそんなことを思う。


 本人いわくテーブルを買いにきたと言っているが、それもどこまで本当の話なのか怪しいし、そもそも自分と同じ高校生相手にこんな高価なものを売れるはずもない。

 ここはどうやって早いとこ帰ってもらうべきかと今度は頭を悩ませていたら、そこにカランカランと再び鈴の音が鳴った。


「翔太、今戻った――おっ、これはまた随分と可愛いお客さんが来てるじゃないか」


 そんな呑気な言葉と共に現れたのは、佐々木さんの家にスツールを届けに行っていた親父だった。どうやら約束通り早めに戻ってきてくれたらしい。

 俺たちの状況を一切知らない親父はニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべながらこちらへと近づいてくる。


「もしかして翔太の友達が遊びにきてくれたのか?」


「いや友達っていうか……」


 親父の問いかけに、俺は思わず苦笑いを浮かべしまう。

 白峰が俺と同じ学校の制服を着ているのを見てそう思ったのだろう。

 けれども残念ながら俺には美少女の友達なんていないし、それにコイツとは友達になりたいとも思わない。


 とりあえず親父の登場によってさすがの白峰もこれで冷やかしはできないだろうとホッと安堵していたら、目の前にいる相手が再び口を開く。


「違います。私はただテーブルを買いにきただけです」


「……」


 どうやら白峰は相手が大人でも強気な口調は変わらないらしい。っというよりコイツ、冷やかしじゃなくてマジでテーブル買いに来たんだな。


 さすがの親父もまさか高校生の女の子相手にそんなことを言われるなんて思わなかったようで、珍しくきょとんとした表情を浮かべていた。かと思えば、いきなり豪快に笑い始めた。


「わっはは! 最近の高校生は随分とお金持ちだな。俺がガキの頃なんて友達とうまい棒どれだけ買えるか競い合ってた時代だぞ」


「いやそれも意味わかんないから!」


 白峰相手でもいつもの調子でボケをかましてくる親父。ダメだ、救世主の登場かと期待したけどどうやら使い物にならないらしい。


 このままだと余計ややこしい展開になりそうだと思った俺は、ここは心を鬼にして白峰に対してハッキリと告げる。


「いいか白峰。テーブルを買うっていってもデザインにサイズ、それに素材とか塗装方法とか選ぶ上で大切なポイントがたくさんあるんだよ。だから適当に決めていいものじゃないし、買うからには自分の家にとって本当に合った物じゃなきゃダメだ」


 俺は白峰の目を真っ直ぐに見つめながら真剣な声音で言った。


 実際、家具を買うときには考えなければいけないことがいくつもある。


 先に挙げたポイントもそうだが、その家具を置くことによって自分たち家族の生活がどう変わるのか、あるいはどんな生活がしたいのかまでしっかりとイメージできなければ、どれだけオシャレな家具を買ったところでただの宝の持ち腐れになってしまう。

 そうなってしまっては買った本人だけでなく、買ってもらった家具たちだって可哀想だ。


 そんな俺の想いが少しは相手にも届いのか、白峰は何も反論せずただ黙ったままこちらを見つめてくる。


「たしかに翔太の言う通りだ。どんな家具も買い手が求める生活とその家具が持つ魅力とがマッチしてこそ初めて理想のコーディネートが完成する。たとえ椅子一脚、いやお皿の一枚だって適当に選んでしまうことほど、インテリア好きな人間にとってこれほど悲しいことはない」


「親父……」


 俺の想いを汲み取って珍しく真面目な表情でそんなことを話し出した親父に、俺はつい声を漏らしてしまう。

 

 本当に心豊かな生活を求めるのであれば、家具は愛情を持って選ばなければいけない。


 いつも自分にそう教えてくれるのは、長い間そんな志を持って家具を販売してきた俺の両親だ。

 普段はちゃらんぽらんな印象もあるが、やはり締めるべきところはしっかりと締めてくれるんだな、と息子の俺が感心していたら、親父は真面目な顔つきで話しを続ける。


「だからこそ翔太、お前の出番だ。お前がその子の家に行ってどんなテーブルがピッタリ合うのか見てやれば問題ないだろう」


「ああそうだな、俺もそれが一番無難だと思……って、ちょっと待ってッ⁉︎」


 お父さんっ⁉︎ と俺は思わず目を見開いて親父のことを凝視した。

 真面目なことを話しているのかと思いきや、この人いきなり何言っちゃってるのッ⁉︎


 突然の爆弾発言に驚愕の表情を浮かべて固まっていると、何故か親父は「わははっ」と愉快げに笑う。


「そんなに慌てることはないだろ。翔太もたまにお客さんの家に行ってどんな家具が合うのか下見してくるじゃないか」


「いやそうだけど、今回は事情が違って……」


 たしかに親父の言う通り、俺もこの店で働く一人のスタッフとしてどんな家具が合うのかお客さんの家に下見で訪れることはある。

 けれどもそれはあくまで仲の良いご近所さんの場合であって、見ず知らずの人の家にいきなり行ったことはない。

 ましてや相手はクラスメイトの女の子であの白峰華煉だ。男子が家に訪れるなど、ビンタどころかマジで刺し殺される未来しか浮かばない。


 そんなことを考えて怯えていると、親父との会話を聞いて何を思っているのか相変わらず感情が読めない無表情のまま黙り込んでいる白峰。


 早いとこ前言撤回してくれという意味も込めて親父の方をギロリと睨めば、親父はもうその気なのかニカッと笑ってサムズアップしてくる始末。


 初対面でビンタをかます白峰もたいがいだが、どうやらウチの親父の頭もかなりぶっ飛んでいたらしい。

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