第2話 オカルトと枕
他の二つについては別の機会に語るとして、残る一つは、晩酌の肴になる卵料理は出汁巻き卵に限る、ということだった。
ところが、本日突き出された肴は和風オムレツ。
夕飯のおかずの残りだという。
脚ならともかく顔の方が年々カモシカに似つつある女房に文句を垂れるも、
「和風なら日本酒に合うでしょ」
と反論され、第一夕飯が出来上がってから食べずに外出した方が悪いとまで畳みかけられては、腹が立ってもおとなしく受け入れるしかない。
真倉が夕食時の我が家を抜け出したのは、最近経営が苦しくなっている会社から、緊急のクレーム報告があったためである。
代表取締役である真倉は直々にクレームの内容を確認し、専務らに指示を出さねばならず、そういう切羽詰まった状況でもなければ娘夫婦が連れてきた孫と一緒に
その妄執を振り払ってでも出社しなければならないほど、彼の会社は追い詰められていた。
真倉眠吾郎は、明治から続く老舗『真倉寝具店』の代表取締役、即ち社長である。
会長はいない。彼が一番偉いのである。
ただし、老舗とはいえ所詮は地方の小売店に過ぎず、規模としては中小の同族会社。重役の椅子は血縁者で占められている。
他の老舗と同様に、戦後から昭和後期にかけて急成長し、平成不況により窮地に立たされているのが現状だ。
真倉寝具店の最大のセールスポイントは、枕だ。
オーソドックスなソバガラ、モミガラ、羽毛はもちろん、希少な菊枕や夏向けの藤枕に
近頃よく耳にする低反発枕も、実物を目にしたことは一度も無いという有り様である。
それが売り上げに影響を及ぼしていることは認めざるを得ないのだが、生まれた時から店舗を第二の我が家と定めて生きてきた真倉にとって、流行に合わせた店内の改装や販売物の変更は、父や祖父が築き上げてきた信念に反しているような気がしてならないのだ。
真倉寝具店の売り上げが低迷しているのは、何も流行だけが原因ではない。
七、八年ほど前に参入してきた『ラウンドリーフ』に顧客を奪われているのも、理由の一つと言える。
株式会社『ラウンドリーフ』の創設者にして代表取締役でもある
起業してから数年の間は旅館やビジネスホテル、いわゆるラブホテル等の発注数が多い顧客を相手に、最新デザインと薄利多売をモットーに、陳列もしない寝具一式――すなわちベッドとシーツ、シーツカバーに枕と枕カバーをセットにして販売していたそうである。
それらの寝具一式は、良く言えば宿泊施設にふさわしい飾り気の無い簡素なデザインだが、悪く言えば地味で素材に費用の掛からない安価品である。
押しかけ訪問と安さを前面に押し出した営業スタイルで、あっという間に十分すぎるほどの収益を上げてからは、油断できない会社として同業者間に名を知られるようになった。
その営業スタイルをインターネットによる受注方式に変えると、知り合いの同業者は、こぞってラウンドリーフの真似を始めた。
さらに顧客の嗜好に適したデザインと見積り書を、職人でもない社員がパソコンを使って作成できると聞いた時には、天地がひっくり返るような衝撃を覚えた。
真倉寝具店には、パソコンどころかファクシミリすら存在しない。
二十一世紀になってから十年も経っていないというのに、色々と変わり過ぎである。孫が成人する頃には、一体世の中はどう変わっているのだろうか?
そのラウンドリーフが本格的に脅威となったのは、半年ほど前だ。
東京のデザイン専門学校を卒業し、デザイナー兼イラストレーターとして成功した丸葉の娘がデザインした、なんの変哲もない枕にシンプルな目と口を描き足しただけにしか見えないキャラクター「まるチャン」が、何故か児童と母親たちの間で大好評となり、テレビにも取り上げられ一躍有名人(?)になってしまった。
この機を見逃すような丸葉ではない。
すぐさま自分の娘をラウンドリーフの専属デザイナーに就任させ、児童向けのキャラクター商品「まるチャンまくら」を作製。
インターネット販売により、キャラクター人気で一気に高まった需要に応えることで業績を増し、一地方とはいえ業界のトップに躍り出た。
対照的に、これまで地域とのつながりを重視してきた真倉寝具店ら保守派の小売店は、児童向け枕の在庫を大量に抱える破目になってしまった。
無論、問題は真倉に限ったわけではないのだが、良く言えば古風で和風、悪く言えば時代遅れで古臭い真倉寝具店の経営方針と品ぞろえだけでは、ラウンドリーフのみならず、これから参入してくるだろう量販店による新しい寝具販売の風についていけるか、対抗できるかすら怪しい。
そもそも、社長の質に差があり過ぎるのだ――と真倉は自嘲しながら盃を呷る。
こちとら地元を碌に出たこともない、先祖代々からの商売を忠実に守るしか能がない、ただの頑迷な老人だ。
対するは一流大学で経済を学び、大企業では社会人としての知識と良識を会得。商売に学問と戦略を用いるスーパーエリートである。
真倉が勝っているのは、地元の親密性と孫の有無くらいだろう。
伝統ある真倉寝具店を自分の代で潰さないよう、日夜営業にハッパをかけ、また自身もインターネット販売について多少なりとも勉強してはみたのだが、それまでの小規模運営で満足していた老舗にとって、規模拡大は高いハードルであり、またインターネットによるオンライン流通を任せられそうな社員も、今のところ存在しない。
営業担当が従弟、伯母の次男という点も真倉にとっては頭痛の種だった。
人当たりが良いので得意先からは受けが良いのだが、私用で休んだり約束をすっぽかしたりと、問題行動の多さが目に余る。酷い時には会議をすっぽかしてパチンコに興じていたのだが、それを叱責した翌日には伯母が店内に怒鳴り込んできた。
これで
無理やりにでも重役の椅子を用意して大人しくしてもらうのが最善なのだろうが、そうなると次に困るのが営業の後釜だ。
業務のノウハウに精通し、尚かつ得意先と円滑なコミュニケーションを図れるだけの人物は、コネや学歴を基準にしていたのでは見つけ出せないだろう。
第二の我が家も同然である店舗の将来を危ぶみながら、食べもしない和風オムレツを箸で突き、中身を確認する真倉。
女房の作る和風オムレツはエビ、タケノコ、シイタケ、ニンジンを刻んで炒め、溶き卵を加えて焼いたものに、しょう油とみりんとだし汁を煮詰めてカタクリ粉を振った餡を掛けることで完成する。
娘と孫の大好物だが、火加減の調節が非常に難しいそうで、娘が作るといつも卵が固く焦げ目がついてしまう。そのためか、娘夫婦が孫を連れて遊びに来た日の夕飯は、必ず和風オムレツと決まっている。
真倉も和風オムレツそのものは嫌いではないし、洋風が苦手な自分のためにわざわざレシピを習得してくれた女房には感謝しているのだが、それでもこれを日本酒の肴とするのには抵抗がある。
(そのオムレツ、食べないのならくれないか?)
突如、耳に飛び込んできた甲高い声。
はっと真倉は顔を上げたが、テーブルの周囲に人はいない。
視界に躍り込んできたのは、月光に照らし出されながら縁側に立つ四足の影。
その白猫には見覚えがあった。昼間、孫の遊び相手になっていた猫だ。
正確には、孫に追い回された挙句、縁の下に逃げ込んだきり出てこなくなっていたのだが。
縁側からそろそろと近づいてくる白猫の尻を見て、真倉は思った。
ははあ、俺は酔っているな?
酔ってでもなければ、猫の尻尾が二股に見えるはずがない。
(なあ、そのオムレツを食べたいのだが)
酔った頭で考える。
猫が卵の料理を食べたがるのは、なんらおかしなことではない。
キャットフードのコマーシャルばかり見ていたから忘れかけていたが、猫とは元来肉食動物なのだ。
ただ、オムレツはさすがに猫のエサとしては贅沢だ。
「たかが猫ごときに、女房の手料理をくれてやれるか」
(おや)
甲高かった猫の声に、僅かな重みが加わる。
(誰にものを言っておるのか、定命の者。我が名は魔竜アイトワラス。そこの鏡を眺めてから、もう一度発言してみるが良い)
白猫がくいと顔を傾けたその先、壁掛けの温度計と一体化している鏡に映る異形。
鏡の前に立っているのは何の変哲もない白猫のはずなのに、鏡の中で蠢いているのは、まさに魔獣。
貪婪な輝きを放つ眼球と、首まで裂けた口にサメのような鋭い歯を並べた、虎とワニを掛け合わせたかのような、悪魔と呼ぶにふさわしい怪物だった。
酔っているのだ、猫が化け物に見えても仕方あるまい。
そう自分を諭してはみたものの、それでも怪物の口中で渦巻く紅蓮の焔と、その背で羽ばたく巨大な一対の翼が撒き散らす迫力に圧されてしまう。
酔い覚ましの水を求めて女房を呼ぼうと、いくら声を張り上げても、不思議なことに女房がいるはずの台所からは返事がない。
(無駄だよ。君の声はこの部屋から外には聞こえないし、この部屋には誰も入れない)
「な、何が狙いだ。俺を殺すつもりか?」
舌なめずりをしてから答える白猫。
(君の命にも魂にも興味はないよ。興味があるのはそこの和風オムレツだけだ)
「あ、悪魔でもオムレツを喰うのか」
(悪魔じゃないし。竜だし。そもそも吾輩は、そこの和風オムレツが食べたいから君に話しかけているのだよ)
「勝手に喰えばいいだろう!」
立ち上がり居間から出ようとするも、尻が座椅子を貫通して床に貼り付いたかのように動かない。
(他の生きものにとっての食事を暴力で奪い取るのは、吾輩の矜持に反するのだよ。脅して捧げさせるのも嫌だから、普段はこうして害の無い白猫の姿をしているし、大好物のオムレツを食べさせてくれた代償として、願いを叶えてやってもいる)
「願い?」
(そう。吾輩は全知全能だが、残念なことに人間の料理だけは自力で作り出せず、人の姿に変わったところで美味しいオムレツだけは作れないのだ。それゆえ、美味しいオムレツを提供してくれた褒美として、一つだけ願い事を叶えてやることにしておる)
「なんでも、叶えてくれるのか?」
(一つだけな。それと、さすがに身の程を弁えぬ願いは却下しているが)
これは夢だ。
苦しい会社の運営で疲れ切った脳味噌がでっちあげた逃避だ。
あるいは肴のない深酒が引き起こした幻覚だ。
だからこそ。
現実ではないからこそ、一丁願ってみるか。
(何が望みだ? 早く言ってくれ。吾輩は、そのオムレツが食べたくて仕方ないのだ)
金、という言葉を絞り出そうとした真倉は、慌てて口をふさいだ。
どうかしている。これは夢なんだ。
所得税とか法人税とか監査とか、別にそこまで考えなくてもいいじゃないか。
だが、ここで安易に金を求めてみろ。これが夢だとしても、俺が夢から覚めた時、余計に虚しくなるだけじゃないか。
ならば、無病息災はどうだ。
寺や神社じゃあるまいし、第一願う相手が違う。
不老不死。
発想が突飛に過ぎるし、自分だけ不老不死になったところで、女房も娘も孫もいない人生がいかに虚しく悲しいものであるか、理解できない齢ではない。
それに、窮地に陥った会社を救えぬ苦悩や見捨ててからの後悔を抱えたまま永遠に生きていくのは、もはや拷問である。
そこまで考えて、真倉はある一つの可能性を見出した。
「俺の会社の売り上げを伸ばすことは、できるかね?」
(売り上げとは?)
「簡単に言えば、俺の店の品物を皆がバンバン買ってくれるということだ」
(金を直接手に入れた方が良くないかね?)
「それでは周りに怪しまれる。不自然な形で金を手に入れたくはない」
(昔にも同じ願いを言った奴がいたが、つくづく人間とはおかしな生きものなのだな。それで、どれだけ買わせれば良いのだ?)
「それは」
店の中の品すべてを。
いや。
違う。
それだけでは、泡銭も同様だ。
ラウンドリーフを、なんとしても上回らなければならない。
だが、それは一時的なものに過ぎず、いずれは追いつかれて追い抜かれる。
ラウンドリーフに勝つにはどうすれば良いのか。
いや。
ラウンドリーフが俺の店に勝てないようにするには。
「会社を」
思いついた。ラウンドリーフが、自然な形で消えてくれればよいのだ。
「会社を倒産させることはできるか?」
(倒産とは?)
白猫が、目を丸くした。
「経営が立ち行かなくなって、店が潰れること」
「隕石でも落とせば良いのか?」
「直接的なことを言っているんじゃない。さっきとは逆に、ある店の品物がまったく売れなくなってしまうように仕向けられるのかってことだ」
(先程は売れるようにしろと言い、今度は売れないようにしろという。君の営む店とやらは、一体どうなっているのだね?)
「俺の店じゃない。ラウンドリーフって会社だ。丸葉保って奴の店だ」
(他人を呪うのか)
途端に、猫の顔つきが、得物を視界に捉えたかのような凄まじいものに変わる。
(いいね。吾輩はそういう願いが大好きだ。人の本性が露呈される)
やっぱりこいつは悪魔だ――と戦慄してから、真倉は慌てて付け加える。
「ただし、ラウンドリーフの人間は誰も死なないように、出来るだけ傷を負わないように、やってみせろ」
無理難題だ。
もし丸葉が今の真倉と同じ立場になって、しかもラウンドリーフが倒産しようものなら、間違いなく首を吊る。
倒産により職を失った社員たちも困窮し、命を落とす者が出るだろう。
まさに無理難題、達成は不可能である。
しかし、白猫アイトワラスはフンと鼻を鳴らすと、事も無げに言い放つ。
(なんだ、そんなことならお安い御用だ)
無理だろう、と真倉は再度思った。たかだか猫一匹、たとえ悪魔だったとしても合法的、社会的に会社ひとつを倒産に追い込めるはずがない。
まあ、所詮これは夢なのだが。
(それでは、このオムレツは吾輩が頂戴するよ)
ひらりとテーブルに飛び乗ったアイトワラスは、嬉しそうに真倉の和風オムレツにかぶりついた。
(うむ。味付けが他のオムレツとは違うが、これはこれで独得の美味だな)
(卵を焼く火加減が絶妙だ。ふわふわトロリと柔らかいのに弾力がある)
(プリプリのエビとコリコリのタケノコ、それにこの一風変わった食感は何だろう?)
「シイタケだな」
(なるほど、キノコか。そしてこの、普通のオムレツでは味わえないソースがまた良い)
ひと通り褒めちぎりながら、真倉が思っていたよりも速いペースで和風オムレツをたいらげたアイトワラスは、満足そうに舌なめずりする。
(ごちそうさま、と言わせてもらおう。さて、君の望みはラウンドリーフという店の品物が変われないようにして、倒産させることだったね? 少々派手になるだろうが、まあ吾輩に任せておきたまえ)
酔っているのか、夢を見ているのか。
どちらにせよ早く覚めてくれ、としか思えない。
頼むと返答しながら、真倉は自分が置かれた状況の、あまりの馬鹿馬鹿しさに、込み上げてくる可笑しさを抑えきれなくなった。
(なぜ笑う?)
「これが笑わずにいられるか。猫に化けた悪魔が、ライバル社を倒産させてみせると宣言しているんだぞ。しかも前払いの報酬が、女房手製のオムレツときたもんだ」
(悪魔ではなく竜だというのに。それに、別におかしい話でもあるまい。美味しいオムレツにありつくための、吾輩なりの努力である)
「そうかね」
(そうとも。吾輩から見れば、人類の方がむしろおかしい)
美食に満足したのかテーブルの上にゴロリと寝転がっていた白猫が、威を正したかのように前足を揃えて座り直す。
(人類は、己が他のあらゆる生物より上位に存在することを証明しようとして己や同類を傷つけてみたり、自分から茨に跳び込むような真似を繰り返しては苦しんだりしているが、吾輩のように人類以上、より高等な生物からすれば、それこそ愚かな行為であるようにしか見えぬ)
「失敗から学び、新しいものを生み出してきたとも言える」
(そしてまた新しいものの為に傷つけあい、犠牲を生み出しているじゃないか。例えば、科学の発展や恋愛と称される行為が、それにあたる。自分や周囲の人間のために、大なり小なり誰かを傷つけ害する結果ばかり生み出すくせに、ちっとも反省しない)
「進歩や発展に犠牲はつきものだ」
(それを言うのは傷つけた側ばかりではないか)
返答に詰まった真倉の前で、白猫アイトワラスは大きなあくびをした。
(無駄話が過ぎたようだな。ラウンドリーフ社とやらの倒産については、三日以内に兆候が見えるだろうから、期待しておけ。それでは、二度と会うこともないだろうが、後悔しない短き人生を送るのだぞ)
労りとも皮肉とも取れる言葉を残し、ぱっとテーブルから飛び降りるや否や、縁側から外へと駆け出したアイトワラスは、庭の小さな溜め池の縁に並べられた丸石の一つにひらりと飛び乗った。
下半身の縛めから解放されたと気づいた真倉は、立ち上がるなりアイトワラスを追い、溜め池へと駆ける。
子供の膝ぐらいまでしかない水位の溜め池に、身を躍らせたアイトワラス。
白猫の身体は、水面に触れた途端に小さな白い速魚へと変わり、そのまま水底の泥に潜ったきり、二度と姿を見せることはなかった。
後からわかったことなのだが、ラウンドリーフの人気商品「まるチャンまくら」に異常があると報告が入ったのは、真倉がアイトワラスを目撃してから三日後の昼間だったそうである。
購入者の子どもたちが毎晩眠れなかった原因。
あるいは親が寝ようとしたところで子どもたちが泣き出した理由。
そして子どもと一緒に寝ていた親が、実際に体験した怪現象。
すべて同じ内容だった。
「まるチャンまくらの中から、うめき声が聞こえてくる」
中には、うめき声ではなく、すすり泣く声だったという報告もあったらしい。
ラウンドリーフはクレームが届くなり即座に商品のほとんどを回収。
実物を解体して調査したものの、異常は見つからなかったという。
中に入っていたウレタンが擦れて音を出したのではないかという推測から、羽毛やポリエステル綿を使った「まるチャンまくら」を作ってみたものの、試作品の時点で夜中になると不気味な音を奏で始める。逆に全く同じ素材でも、顔を描かない枕には、何も起こらない。
結局、原因不明のままほぼすべて回収された「まるチャンまくら」は二度と陽の目を見ることなく喧噪の中に埋もれ、類似の商品が出回ることもなかった。
さらにラウンドリーフのインターネット受注では、入金手続きに関するミスが発覚。
社内でも開発に関する社員の精神疾患や、社員間のハラスメントが原因で退職する社員が続出し、とどめとばかりに不正経理までもが発覚したラウンドリーフは、完全に世間からの信用を失い、不渡りを出して倒産した。
真倉は、これらの事件がアイトワラスの暗躍により引き起こされたものだと確信しているが、もちろん口を
白猫に化けた悪魔が、特定の枕がうめき声を上げるように仕向けた――などと大真面目に語ろうものなら、もう更年期障害が始まったのかと疑われるに違いない。
一方で、ライバルの倒産により息を吹き返した真倉寝具店は、これを機に思い切った経営改革に着手。
倒産前に退職したラウンドリーフの社員数名を採用し、インターネット通販部門を設立し、ラウンドリーフが倒産したことで発注先を失った旅館やホテルといった大手の顧客を次々と取り込み、業績を上昇させた。
事業拡大に成功した真倉寝具店は一地方の大手として全国的に名を知られ、年内に新たな支店を隣県に建てる計画が進められている。
もっとも真倉眠吾郎には、手放しで成功を喜んでいる暇など与えられなかった。
元々が、社長自ら指揮を執るようなワンマン経営である。
部門拡充と急激な顧客増大により、倍以上に膨れ上がった仕事に追われ、休暇どころか泊まり込みで会議を行い、家に帰れぬ日々が続いた。
営業担当から役員に昇進した従弟は補佐としてまるで役に立たず、むしろ会社に害を及ぼさないよう、秘書という名の監視役を付けてさえいる。
さらに、地方の一雄となったことで全国チェーンの量販店に対抗しなければならず、真倉に課せられた忙殺の日々は、社員ならば定年退職の規定となっている六十五歳を過ぎても引退を許さない。
女房が病気で入院しても中々見舞いに行けず、孫の入学祝いを選ぶ暇すら与えられない枕の耳に、意外なニュースが飛び込んできた。
ラウンドリーフの倒産を機に商売から足を洗った丸葉保は、債務をすべて完済してから家族と共に両親の住む田舎に引きこもり、若村長として周囲の人々に慕われながら、穏やかな日々を過ごしているらしい。
立場は逆転したはずなのに、真倉が丸葉を羨む日々は変わらない。
(人は自分から茨に跳び込むような真似を繰り返しては自らを傷つけ苦しんでいる)
(自分や周囲の人間のために、大なり小なり誰かを傷つける結果ばかり生み出すくせに、ちっとも反省しない)
(より高等な生物からすれば、それこそ愚かな行為であるようにしか見えぬ)
自らを竜と称する白猫――アイトワラスの言葉を、どうにかして脳内から消し去ろうと躍起になりつつ、真倉眠吾郎は今日も延長するであろう会議へと向かうのであった。
(了)
アイトワラス 木園 碧雄 @h-kisono
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