②ズルい
わたしの通っている高校は大まかに見ると、西の大きな川と東の国道に挟まれていて、少し南に行くと大型のショッピングモールがあり、しばらく北に行くと駅がある。その範囲はわたしの生活範囲でもある。
たまに話すクラスの子とかは頻繁に電車に乗っては都会の方まで遊びに行くらしく、将来はその都会で暮らすのだそうだ。それはそれで悪いとは思わないけれど、わたしにはその良さが今一つ分からない。
徒歩圏にスーパーやショッピングモールがあって田舎過ぎず都会過ぎない、それでもって蕾華もお兄ちゃんもいるこの町に、わたしは不満なんてひとつもないからだ。
それでも将来はこの町を離れる日が来るのだろうか。
例えば、遠くの大学に行くことになったらわたしはお兄ちゃんと離れ、一人暮らしをすることになるのだろうか……。
そう思って想像してみると、想像の中のわたしはとても寂しそうにしていた。だとしたら、わたしにとって一番いい未来とは、いったいどんなものなのだろう。
そんなことを考えている間に青い屋根の自宅の前に着いた。
少しだけの庭はあるものの、家自体は周りの住宅よりは小さめで、だけど二人暮らしには広すぎるくらいの三階建てだ。白い目隠しフェンスをたどって端の出入り口から入ると真正面に黒い玄関扉が見える。玄関との間に真っ直ぐな道があり、所々飛び石のようにレンガが埋められていて、そのほかの地面のエリアには人工芝生が敷かれている。
庭に入ってから内側を見やると縁側とリビングの掃き出し窓が見えた。そのリビングに明かりが点いているのが分かったので、わたしは鍵を取り出さずに玄関に向かった。
ガチャリとドアノブを捻って扉を開き、玄関の上がり框に腰を下ろして靴を脱いでいる間にお兄ちゃんが出迎えてくれた。
わたしたちは週に二日から三日、一緒にスーパーに行って数日分の食材を買っている。そして今日も買い物の日なので、お兄ちゃんはすでに外着を着ていた。
「おかえり、美蓮」
「う、うん。ただい、ま。お兄ちゃん」
ぎこちなくなってしまった。
お兄ちゃんの顔を見ると、そのことが伝わってしまったのか少しだけ苦そうな顔をしている。お兄ちゃんにも、わたしに告白したことについて思うところがあるのだろうか?
そう思いながら立ち上がり、
「制服、着替えてくるね」
そう告げて二階の自分の部屋に向かった。
階段を上がって板張りの廊下を進むと、右側の壁沿いに扉が二つある。
昔は手前がわたしとお兄ちゃんの部屋で、奥がお父さんたちの部屋だった。そして今は、手前がわたしの部屋で奥がお兄ちゃんの部屋だ。
わたしの部屋は入って奥側に出窓があって、窓は下半分を持ち上げるタイプになっている。右奥にベッドが、窓側が枕になる向きで置いてあって、ベッドの足元の方に我が家に来てから十年目になる勉強机がある。
机とセットの椅子の上に制鞄を置き、窓を半分くらい開けた。そんなに広くない部屋だから、着替えている間開けているだけで部屋の空気は殆ど入れ替わる。
校則通りの着こなしの影響を受けて余計にかっちりとした印象になっているブレザーとジャンパースカート、ワイシャツを脱いで姿見の前に立ち、白のブラジャーとパンツ越しに自分のスタイルを確認してみる。
胸は全くない訳じゃないけれど、大きい訳でもない。手足も子供体型に見えないくらいには長さがあるが「長い!」という程は長くない。
髪も黒のショートカットで、蕾華の勧めてくれたリンスなんかはしているおかげかストレートで結構さらさらしてはいるけれど、わたしの髪質程度の子ならクラスに何人もいる。
そんなわたしには特別な才能も、卓越した技術も、なんにも、持ち合わせていない。
見た目も能力も平凡なわたしは、どうすればお兄ちゃんを支えられるのだろう。
それは、わたしがずっと抱えている疑問であり、お父さんから出された終わらない宿題のようなものでもある。
そして一ページ目さえ、未だに白紙のままだ。そのことを悔しく思いながらも、緩めの外着に着替え、窓を閉めて前髪を少し整えてからリビングに下りた。
ああ、そうだ。お兄ちゃんに告白の返事をするまでに、自分から話しかける練習をしておこう。どう返事をするにしても、せめて、普通の会話くらいは普通にできるようにならないと。そう決めて、ソファに座ってテレビを見ているお兄ちゃんの隣まで行った。
声を掛けようと思うと緊張して、腰の左右にある手に力が籠ってしまう。それでも頑張って、なんとか声を絞り出してみた。
「お、お兄ちゃん。ねえ、今日の晩御飯、何にしようか?」
お兄ちゃんは少し驚いた顔をしていたけれど、すぐに口角を上げてみせてくれた。わたしの努力を認めてくれたようで少し嬉しく、同時に、もっと頑張らないといけないなと思わされる。
「美蓮は、なにか食べたいものあるか?」
「わたしは、えっと。なんでも。いいよ」
「俺もだな」
そう言うとお兄ちゃんは顎に手を置いて考え始めた。
お兄ちゃんは今の高校を選ぶとき、家から一番近いからと言う理由で迷わずに決定していたぐらい決断力の強い人だ。だけど晩御飯のメニューというあまり重要ではないことに対しては、お兄ちゃんのその能力が発揮されることは少ない。かく言うわたしは、高校選びでさえすごく迷った挙句に、お兄ちゃんが居るからという惰性に満ちた理由で選んだので、人のことはとてもじゃないが言えたものじゃない。
「い、いつも通り、スーパーに行ってから決める?」
「ん、そうだな」
お兄ちゃんは一度頷いて肯定してくれた。
二人で並んで歩きスーパーに向かう途中の交差点で信号待ちをしていると、二人乗りの黒バイクがわたしたちの前を通り過ぎた。運転していたのが男の人で、後ろに乗っている女の人が男の人の背中に、わざとじゃないかというくらいぴったりと身体を密着させて抱き着いていた。
あの二人は恋人なのだろうか。
わたしはバイクなんて乗ったことがないから普通がどういうものか分からないけれど、あんなに身体が密着するのなら、好きな人の後ろ以外は乗りたくないとわたしは思う。まあわたしがそう思うというだけで、あの人たちが恋人だとは限らないけれど、親密な男女の二人組を見かけるとどうしてもカップルに見えてしまう。
わたしだって年頃の女の子だから色恋に人並みの興味はあるけれど、わたしがこれほど恋というものに敏感になっている理由の半分くらいはお兄ちゃんのせいである。やっぱりお兄ちゃんがわたしに告白してきてからのここ数日のほうが、わたしは恋というものを強く意識してしまっている。
改めて考えると、告白してきた相手とすぐ横に居るというのは少しばかり気恥ずかしい。
お兄ちゃんの方はどうなのだろう?
そう思って顔を見上げてみたけれど、表情からはいまいち読み取れなかった。
「信号待ちで考え事してたら危ないぞ?」
対してお兄ちゃんは、ちらっとこちらを見ただけで、わたしが何かを考えているということを見抜いてしまった。
むぅ。
少し悔しいけれど、首をぶんぶん左右に振って誤魔化した。
「なにかあったか?」
「なんでも、ない」
「そっか。お、信号変わったぞ」
そう言うとしっかりと周りを見てから歩き出す。
やっぱり悔しい気持ちは消えなかったので、わたしは速足でお兄ちゃんを追い越して、お兄ちゃんの前を歩いてやることにした。慣れない早歩きはすぐに疲れてしまって、次の交差点に差し掛かるころには再び並んで歩くようになっていた。
お兄ちゃん相手に悔しいなんて感情になるのは小学生以来だなと思い、お兄ちゃんとの距離がほんの少し戻った気がして、気分が高揚してきた。
そのまま歩き続け、家からスーパーまでの道のりの三分の二が過ぎたぐらいの辺りでわたしは言ってみた。
「お兄ちゃん。……手、を、つな、いで?」
「え?」
お兄ちゃんはわたしの言ったことが理解できなかったのか、それともわたしの子供っぽいお願いに対して単純に驚いただけなのか、一瞬固まった。わたしとしてはデートするとしたら手を繋ぐだろうからその予行演習というか、わたしはお兄ちゃんにドキドキするのかを確かめたかっただけだったりする。それでも、やっぱり少しの緊張はしてしまう。
「急にどうしたんだ?」
「えっと」
なんと答えたらいいか分からなくて、わたしは誤魔化すことにした。
「そういう気分、なの。だめ?」
「ううん。いいよ」
そう言いながら差し出してくれたお兄ちゃんの手にわたしが手を重ねると、お兄ちゃんは嬉しそうに少しほほ笑んだ。お兄ちゃんの手はわたしより一回り大きくて、少しだけごつごつしていて、だけど優しい暖かさがあった。
ズルいと思った。
ただ手を繋ぐそれだけでそんな表情ができるなんて、お兄ちゃんはとてもズルいなぁと、そう感じてしまった。お兄ちゃんがわたしのことを好きだということが、本当にズルかった。だって、そんな表情を見せられたら、そんな心地よさで魅せられたら……。
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