序
第1話
①夾竹桃
義務教育が終わり高校に入学しても、変わったと思えることといえばジャンパースカートの制服がなんとなくお姉さんっぽいというくらいで、暖かい春の気候に、気持ちが浮ついたままだった。
その気持ちはゴールデンウィークが終わってからも、月末の中間テストを少し憂鬱に思うくらいで放課後は相も変わらず。テスト勉強なんて少しもしないで、中学一年生からの友達である
昨日まではそんな楽しい日々だったのに、今日はどうもそうは行かない。理由は単純明快だ。それはわたしたち女子高生にとってとても大きな問題であり、わたしの状況だと通常よりもさらに数倍は大きな問題だ。
「告白された」
「え、うそ? 誰から?」
「それは……」
思わず視線が下がってしまった。
赤の他人から告白されたというならまだしも、「実の兄から告白された」なんて、口が裂けても言えるようなことではないからだ。でもわたし一人ではどうしていいか分からなくて相談がしたかった。
相談する以上は、やっぱり言わなければいけないだろうか。そう思ってチラッっと蕾華の目を見ると言い難くしていることを察してくれたようで、質問を変えてくれた。
「じゃあさ、あたしも知ってる人だったりする?」
わたしは蕾華のこういう所が好きだ。
蕾華の気遣いをとても嬉しく思いながら頷いた。
「それで、告白されたことなんだけど」
「付き合うの?」
「え?」
「その人と付き合うの?」
「それが、その……。どうしたらいいか分からなくて」
「分からないって、
「どうって?」
「だから、好きなの?」
「うっ」
あの人のことが好きかなんて不思議なことに考えたこともなかった。でも好きかと聞かれれば大好きだ。今のわたしにとってたった一人の家族で、世界で二人きりの兄妹だし。でも、それは兄としてであって、男の人として見たことなんて、たったの一度もない。
そう考えていると蕾華は、長い黒髪のポニーテールを左右に揺らしながら言った。
「好きなら付き合ったら良いし、好きじゃないなら付き合うべきじゃないってあたしは思うかな。それにしても高校に入学してから一か月くらいしか経ってないのに告白されるなんて、美蓮はすごいなぁ」
「わ、わたしはわたしより蕾華の方が素敵だと思ってるよ? 明るいし、素直だし、わたしのこと気遣ってくれるし」
「あたしを褒めても何もでないよ! ていうか、照れるって。それに美蓮の方が可愛いじゃん」
「え、そんなことないって」
「いやいや。美蓮はめちゃくちゃ可愛いよ。顔ちっちゃいのに目がぱっちりしてて大きいし、わたしが男だったら部屋に連れ込んで押し倒してるからね?」
「え、暴力はちょっと……」
「いやいや、押し倒すってそういう意味じゃないから! って、美蓮も分かってて言ってるでしょ!」
「さあ? わたしには分かりませ~ん」
「も~、美蓮~!」
赤面している蕾華とそう言いあって、笑いあって。やっぱりわたしは、蕾華とこうしてお喋りしているのが好きなのだと再確認した。
その証拠にさっきまで心を覆っていた靄のようなものは、今では少しも感じない。
しばらくお喋りを続けた後にそろそろ帰ろうということになって、中央玄関で靴を履き変え、校門前でさよならした。
学校の角を曲がったところに交差点がある。横断歩道を二回渡って対角にたどり着き、歩道側から街路樹の
――好きなら付き合ったら良いし、好きじゃないなら付き合うべきじゃないってあたしは思うかな。
わたしはお兄ちゃんが好きだ。でもそれはお兄ちゃんだから。たった一人の家族だし、昔からかなりの仲良しだったという訳ではないけれど、絶対に居なくならないで欲しいと一番強く思う人だ。だけれど、一人の人間としては、男の人としてはどうなのだろう。
改めてそう思い考えてみたけれど、わたしは、兄としての
お兄ちゃんのお兄ちゃんじゃない部分……。
わたしの二つ歳上で、生れつきの茶色掛かった短髪で、顔は昔から見ているわたしは分からないけれど(蕾華曰く)かっこいいらしい。そんなお兄ちゃんの政治家からホームレスまで色々な姿を想像してみたけれど、駄目だった。
あの人がどこで何をやっていても、やっぱりわたしにとってはお兄ちゃんでしかない。
蕾華とお喋りしているときは楽しくて晴れ渡っていたのに、また心に靄のようなものが立ち込めてきた。
そもそも付き合うこと自体よく分からない。
付き合うって何をするのだろうか?
「デート、とか?」
無意識に呟いてしまって頬が熱くなった。一緒にスーパーに行くのとは違う。待ち合わせをしたり、手を繋いで歩いたり、一緒にパフェを食べて食べさせ合ったり、別れ際にキ、キスとか、したり。
前にお兄ちゃんと手を繋いだのはたしか、小学校の低学年の頃くらいだと思う。家族四人でデパートに出かけたときに、わたしが逸れないようにと繋いでくれていた。
そういえばデパートに行くたびにお父さんが可愛い洋服買ってくれていたなぁ。それでお母さんから甘やかしすぎだってお父さんが怒られるまでがワンセット。
今では可愛い服を見るのは好きだけど、着るのはあまり好きじゃない。似合うとか似合わないとか以前に、そういった服を着ている自分に、あまり自信が持てないのだ。
とはいえ、あの頃は本当に幸せだったなぁ。
ふとそう思ってしまい、パンッと自分の両頬を叩いた。
「……っ痛」
昔を懐かしんで無い物ねだりは駄目だ。わたしなんかでもお兄ちゃんが居てくれる。そのことを一番幸せだと思わないなんていうのは、いけないことだ。
少し経ってからとてもヒリヒリしてきたけれど、頬に風を受けながら顔を上げ直した。
そもそも、今更だけどお父さんたちがいなくなってからわたしとお兄ちゃんは正直微妙だ。とはいっても、お兄ちゃんからわたしへの対応が悪くなっているわけではない。それどころか、お兄ちゃんはとても優しくしてくれている。
変わったのはわたしの方だ。
スーパーに行くのや朝と晩御飯は一緒だし、休みの日はゲームをしたりもすることもあるけれど、わたしから何かを誘えたことがない。というかわたしから声を掛けたことなんて、数えられる程のような気がする。何をするにしてもいつもお兄ちゃんの方から声をかけてくれるのだ。
それはあの日から、二人暮らしが始まってからわたしがお兄ちゃんに声をかけにくいと感じてしまっているからである。
その理由ははっきりしている。
それは、わたしがお兄ちゃんを支えられていないという後ろめたさがあるからだ。なら尚更、ちゃんとしなければならないのに、どうしても一歩引いてしまう自分がいる。
そう、これは、支えられていないという思いからくる「敷居の高さ」のようなものだ。わたしは、お父さんのあの言葉に対して不義理を働いてしまっている。
ちゃんと支え合わないといけないのになぁ……。
そう考えるとどうして、お兄ちゃんはわたしなんかに告白したのだろう? わたしにはお兄ちゃんから特別だと思ってもらえるような何かなんてものはないと思う。
うぅん。
考えれば考える程分からなくなりそうだ。こうなってはお兄ちゃんに直接尋ねるしかないだろう。聞きにくいけれど、聞いておかないと。
学校から家までの道のりを半分ほど超えた辺りで、わたしはそう決めた。そのとたん急に足が重たくなった。まるで、わたしの履いているブラウンのローファーに、鉄になる魔法でも掛けられたかのように、足を前に進めることが辛い。
わたしは昔からそうだ。辛いと、難しいと分かっていることに挑もうとするといつもこうやって足が重たくなる。右足を上げて前に出し、左足を上げて前に出す。ただそれだけのことがとても苦しい。
そしてわたしは段々と歩幅が狭くなっていき、歩くことをやめてしま。
「だ、めだ!」
こればかりは、逃げちゃだめだ。今まで逃げて済むものは逃げてきたし、ほとんどが逃げて済むことだった。だけどお兄ちゃんからの告白。こればかりは逃げてもどうにもならない。わたしが自分で何とかしないといけないことなのだ。
そう気が付いて挫けそうになりながらも足を前に進めた。
少しくすぐったい春風の匂いが、脳を痺れさせてくるように感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます