第40話 町彫り 横谷宗珉(よこや そうみん)
今月の24日に佐野美術館の元館長の渡邊妙子さんが亡くなられました
実際にお話をすると大変にチャーミングな方で、刀剣刀装具の世界でずっと一線級を戦ってこられた方とは思えなかったです
薫山、寒山両先生から薫陶を受けられた方ですから目利きは素晴らしく、女性の視点から日本刀の将来について考えてこられた稀有な存在でした
本当に残念な気持ちです
さて、気持ちを切り替えて、今回は町彫りについて簡単に書いていくことになります
これまで、太刀師や古金工、古美濃、後藤等について書きましたが流れが変わります
後藤家の仕事は一貫して始祖を貴ぶ方針で一族が動いているはずなのですが、作成するモチーフについて、龍や獅子の顔付きを後代に下って見ていくと、段々と顔付きも変化していく事が分かります
やはり祐乗の龍や獅子はオリジナリティ溢れる作品であると思います
後藤も後代になると、オリジナルを更に模倣して、更に模倣された品物までも模倣していきますからマンネリの極致です
殿中差しの拵えには後藤家の品物は品位高く映えるのでしょうが、少しずつ変化をさせ改良をしなければ元と比較して品質が落ちるのは当たり前の話です
現代でも継続は衰退、と言ったりしますね
そのような中で後藤顕乗のラインで殷乗を師に持つ横谷宗珉(そうみん)が出てきます
宗珉は町彫り工の始祖となった人です
元々は後藤家の下職として仕事をしていました
同門に居続けていれば、食うには困らず羽振りも良かったハズですが、上記のような模倣の連続に飽き飽きしたのかも知れません
斬新な絵風彫刻手法を作り出して独立したようです
一方で創始した作風は維持しながらも根底では後藤家の戒律も忘れずにいました
鐔を作る事は稀であったり、地金に真鍮や銅を用いるのを避けて、後藤家の本領であった品位自体は落とさないようにしていたのがその表れかも知れません
その後は写実的な作品製作に突き進むことになるのですがこの時代ですからきっと同門からは、野に下った大バカ者くらいの評価をされたのでしょう
しかし、不思議に思うのはこの時代のしきたりが厳しい時代のフロンティアになった人間、といえども突然独立して食べていく事が出来たのだろうか、という事です
恐らくは下職時代に手慰みに作成した品物の幾つかを後藤家以外のルートで見た人間がいるのではないか、と勝手に推察しました
その人間の支援があって初めて独立したのではないか、いきなり名人として名が売れる訳では無く、支援者とその口コミで爆発的に広まったのではないか
その支援者とは、想像すると恐らくは商人の身分だったのでは無いか、と思います
商人ならば苗字帯刀で太刀さえ持たなければ刀も持てましたし、脇差くらいならば携行していたのですから夜飲みに行く際には派手な拵えを携えて正装して花街に繰り出し、手元の脇差を受付で預け、刀装具をチラリと見せびらかす位の事は当然したでしょう
見せられた人間や、噂を聞いた人間も拵えの出どころを確認した事でしょう
人のコミュニケーションネットワークで広まれば、あとは需要が供給を上回り仕事には困らず弟子も増やせたことだと思います
例えば有名な話で宗珉の作った目貫の牡丹があります
和歌山の廻船問屋でミカンで財を成した、紀伊国屋文左衛門が飛ぶ鳥を落とす勢いになっていた宗珉に刀装具を発注したようです
内容は『一輪牡丹の目貫を作って欲しい』というもの
手付金として十両を送り付けたそうです
中々品物が完成せず三年が経過、督促をしたところ督促の仕方が気に入らないとして
十両の手付金を戻してしまったようです
程なくして出来上がった牡丹の目貫でしたが紀文と並ぶ富豪の某に与えたところ随分と喜んで五十両を支払った、以降宗珉は一輪牡丹を作成することは無かったので世の中に一輪牡丹はそれ一つとなった、というものです
また別のエピソードとして、英一蝶(はなぶさいっちょう)との交友があげられます
英一蝶はマルチプレイヤーな人間として本が一冊書けるほどの才能の持ち主です
非凡の画家でその上、話芸も巧みで稀代の人たらしでもあったようです
吉原に多く出入りして豪商、大名とも親しくなります
元禄文化の華やかな時代とは言え、禁止条項が幾つもある中で彼の話芸の中に将軍の政策を囃す言葉があったらしく、一度目の二か月の入牢を受けます
その数年後の執行猶予期間にも同様の態度であった為、三宅島に遠島刑となります
その間に三宅島で流人としては自身の才能で、相変わらず人たらしで流人でありながらマイホームを持ち、名主の娘との間に子供まで作ります
凄すぎます!
いずれもっと調べて見たいほどの人間です
宗珉は一蝶と交友があったとは言え、(当時は遠島刑は政治体制に変わり無ければ赦免も無かったようです)遠島の原因でもあった将軍綱吉の死去で、代替わりの大赦で刑を免れて江戸に戻ることになるまでの十二年間、英一蝶の母親を養ったようです
宗珉はたくさんの優秀な弟子を作り、その弟子たちは後世には現代にまで繋がる超絶技巧の金工を育てる流れになるのですから、一蝶との交友も含めて宗珉、彼自身にも人たらしとしての才覚が多いにあったのでしょう
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