名前
「妹と少年に聞きたいことがある」
「なぁに?」
一宮さんがお姉さんの作ったクッキーをご機嫌な様子で小動物のように食べているのを眺めていると、お姉さんが真剣な表情になる。
「あなた方はお互いの名前を知ってるの?」
「皆戸君」
「一宮さん」
「それは名字って言うんだよ。名前」
もちろん知っている。
一宮さんの名前は可愛らしく覚えやすいから忘れることはない。
でも……。
「一宮さんには名前で呼ぶなって言われてるので」
「可愛いのにね。私にも呼ばせてくれないんだよ」
「お姉ちゃんだって名前で呼ばれるの嫌がるでしょ」
「私は性格と名前が合ってないんよ」
「お姉さんはなんて名前なんですか?」
俺がそう聞くと、お姉さんがあからさまにしかめっ面になった。
「鬼畜だね。それを聞いてどうするつもりだい?」
「興味本位です。他意はありません」
本当にただ気になるだけだ。
「ちなみに少年のが名前を呼ばせないのには理由ある?」
「別に呼ばせない訳ではないですよ? フルネームはあんまり好きではないですけど」
二人ほどではないけど、俺も自分の名前が好きではない。
ちょっとしたトラウマがあるから。
「ちなみに一宮さんは俺の名前わかる?」
「……もちろん」
(わかんないのか)
確かに隣になった時に名乗った訳ではない。
俺が一宮さんの名前を知っているのは最初の自己紹介の時に聞いたから。
俺もちゃんと自己紹介したけど、下の名前までは覚えられなかったようだ。
「大丈夫、名前で呼び合うことはしないもんね」
「ち、違うよ。わかるからね」
一宮さんが必死に思い出そうとしてくれている。
それは嬉しいけど、少し悲しい。
「そうだ、ゲームしよ」
「思い出すまでの時間稼ぎ」
「お姉ちゃんうるさい!」
実際時間稼ぎなのだろうけど、それでも思い出してくれるのは嬉しい。
「とにかくゲームだよ。ちょっと待ってね」
一宮さんはそう言って、何に使うものなのか、机の引き出しからテレビなんかでよく見る、手を入れられる箱を取り出した。
「昔作ったやつだ」
「今回のゲームはスリルを味わうゲームです」
(そういうね)
なんとなくやりたいことがわかって、少し悲しくなった。
「この中に五枚の紙を入れて私達が順番に引いていくの。そのうちの三枚には私達の名前を書いて」
「引いたら公開ってこと?」
「そう」
「思い出すの諦めたよこの子」
これはいわゆる『王様ゲーム』に近いのかもしれない。
命令の代わりに名前がわかるという。
「俺はいいよ。一宮さんにしか得はないゲームだろうとも」
「残りの二枚には皆戸君が好きなこと書いていいからお願いします」
一宮さんはそう言って土下座をする。
「なんでもって、書いてあることは実行するとかいうやつ?」
「うん。皆戸君が引くかもだけど、私かお姉ちゃんにやらせたいことを書いていいよ」
「どんなことでも……」
いきなりそう言われても思いつかないが、それなら俺にもやる意味にはなる。
「私にはないの?」
「お姉ちゃんは発端だから駄目」
「酷い。少年がエッチなことを頼んだらどうするの?」
「皆戸君を馬鹿にするのはやめて」
一宮さんが真剣な表情でお姉さんに言う。
そんなことを書くつもりはないけど、これで一宮さんの期待は裏切れなくなった。
「お姉さんお邪魔だよね絶対」
「何言ってるの? お姉ちゃんがいないと駄目だよ」
「我が妹がついにデレたか?」
「だってお姉ちゃんの名前を公開して、今日はスッキリした気持ちになりたいから」
「今日はなんでそんなに辛口なの? いや、わかるけどね?」
お姉さんはそう言って俺の方を見る。
何かはわからなかったけど、書く内容は決まった。
「書けたよ」
「でもこのルールだと、一人は確実に名前が晒されるけど、晒されない人も出るよね?」
「だってそういうゲームだもん」
「だけど少年の名前を知りたいんじゃないの?」
それは俺も思った。
俺に利点を作る為にやってくれたのだろうけど、俺の名前が引けなければ一宮さんは結局俺の名前を忘れた人になる。
「大丈夫だよ? 私は絶対に皆戸君の引くから」
「ズルでもするの?」
「しなくても引けるよ」
「どういう理屈で?」
「そんな気がする」
(なんかそれって……)
「愛の力的な?」
「そういうのじゃないよ! ただ絶対に引き当てるぞって気持ちを込めてるだけ!」
一宮さんが顔を真っ赤にしてそう叫ぶ。
結局は根性論だけど、一宮さんらしくて嬉しい。
俺の名前を引き当てるということは、俺の名前を知らないと言ってるようなものだけど。
「とにかく始めるよ。誰から引く?」
「少年からでいいよ」
「じゃあ」
こういうものに順番の優位性はないからサッと引く。
「みんな引いてから見ればいい?」
「そだね。じゃあお姉ちゃん」
「ん」
そうしてお姉さんと一宮さんも紙を引く。
「じゃあ皆戸君から発表しよ」
「俺は……」
俺が引いたのは名前だ。
書いてあるのは……。
「俺は好きですよ。
「私のかい!」
お姉さんの名前は唯瑚というらしい。
一宮さん同様に可愛らしい名前だ。
「いじられる前に私の番。来たれ我がいも──」
紙を開いた唯瑚さんが固まった。
「どうしたの?」
「……いやね、まさかほんとに引くとは思わなくてさ。
鈴胡とは一宮さんの名前だ。
「でも鈴胡の場合って私も少年も知ってるからなんともないよね?」
「そう、これはお姉ちゃんに嫌がらせをする為のゲームだもん」
一宮さんが胸を張って言う。
ドヤ顔の一宮さんはやはり可愛い。
「鈴胡は悪女だね」
「鈴胡さんはいい子ですよ」
「あれ? 私が嫌がらせされてる?」
人に嫌がらせをするなら自分もされることを覚悟しなければいけない。
実際は嫌がらせではなくいじりと言うのだけど。
「いいもん。私が皆戸君の引いて終わらせるから」
「自分で始めたくせに」
「うるさいの! 私のは……」
一宮さんに睨まれた。
おそらく俺の書いたお願いが当たったようだ。
「皆戸君……」
「頑張れ」
「……私が言ったんだもんね。よし」
一宮さんが両手をグッとして覚悟を決める。
「
(……想像以上でした)
俺が紙に書いたのは、俺の名前の後に何か可愛らしいことを言ってもらうことだ。
ちなみにセリフは自分で考えてもらった。
「大丈夫だった?」
「最高でした。王様ゲームっぽい感じだったからそういうお願いにしてみた」
「顔が熱い」
一宮さんの顔が真っ赤になっている。
本当は俺が可愛いことを言ってる一宮さんを見たかっただけなのだけど。
(そっちで良かったよ)
俺が書いたもう一つは、一宮さんがスリルと言っていたから見られたらやばいことを書いた。
それが引かれなくて本当に良かった。
「余った紙はどうする?」
「捨てよう。俺の為にも」
「何書いたの?」
「気にしないであげて」
あれは他人に見せる訳にはいかない。
特に一宮さんには。
「まぁいいや。それより皆戸君の名前知ってたでしょ?」
「書いてあったんじゃないの?」
「書いてないですよ。俺の名前を言った後に可愛いことを言ってもらおうとして、名前がわからなくてそれを可愛く聞いてもらおうと思ってたんで」
「ギリギリで思い出したんだ」
「うん、皆戸 快斗ってかいと かいとって読めるなぁって名前見た時思ったの思い出して」
確かに読める。
だからそれが俺の名前が嫌いな理由だ。
「呼び方は今まで通りでいいからね?」
「うん、皆戸君の変えたら私のも変えられそうだし」
「変える。お姉さんはどうします?」
「愚問でしょ?」
あえて変えるのもいいかと思ったけど、本気で嫌われそうなのでやめる。
その後は軽く話をしてから俺は帰った。
気になったのは、ゲームの後からお姉さんの様子がおかしかったこと。
きっと気のせいだろうけど。
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