70話  好きな人しか好きにならない

手紙で言われた通り、蓮は金曜日の放課後に屋上へ向かった。


屋上は普段閉鎖されているが、先生からの鍵をもらえば出入りすることができる。だからか、蓮が試しに回してみたノブはあっさりと動いて、ドアが開かれた。



「……あ」

「………ぅ、っ」



屋上に立っていたのは、一人の女の子。リボンの色を見て、蓮は彼女が一年生の後輩だってことが分かった。



「えっと……会うのは初めてだよね?」

「は、はい!!私、1年の橋本綾乃はしもとあやのと申します!」

「へぇ、綺麗な名前だね」

「あ、ありがとうございましゅ……!!」



後輩ちゃんが偉く緊張しているのがよく伝わってきて、蓮は微笑ましい気持ちになる。かわいい子だった。


腰まで伸びる綺麗な髪に、整っている顔立ち。きっと、同級生の間ではかなり人気のある子なんだろう。


屋上に冷たい風が吹きぬく。綾乃はそんな寒気にも負けない程度の熱い視線を、蓮に送った。



「俺のことは、どこで知ったの?」

「初めて日比谷先輩を見たのは、文化祭のライブの時でした。途中でフォローを入れる姿がすごく、格好よく見えて」



なるほど、大体察しはついてたけど、やっぱり文化祭か。


蓮が小さく頷くと、綾乃が言葉を続けて行く。



「それから、部活の先輩たちに日比谷先輩のことを聞いたんです。明石あけいし先輩、分かりますか?日比谷先輩と同じクラスなんですけど」

「ああ~~そうだね。明石とは普段からちょくちょく話してるから」

「はい、それで……色々、日比谷先輩のことを聞いたんです」



そこで綾乃は話を区切り、一度大きく息を吸い込む。


それから、彼女は射抜くような強い眼差しで蓮を見つめながら、言った。



「日比谷先輩の性格とか、普段の振る舞いとか……それと、七瀬先輩とどういう関係なのかも、色々と」

「…………………」



蓮は沈黙を保つしかいなかった。まさか、向こうから先に莉愛を言及してくるとは思わなかったのだ。


綾乃は両手をぎゅっと握りながら、切実な表情を浮かべる。その顔には、恋する女の子特有の曲げない意志が宿っていた。



「だから、私……知ってるんです。この告白、失敗する確率がずっと高いって」

「……橋本さん」

「でも、このまま諦めたくなかったんです!私、日比谷先輩に一目惚れしましたから!もっと仲良くなりたいし、センパイをもっと知りたいんです!」



切実で強い言葉に、蓮は目を見開くしかなかった。


11月の寒さにも負けないくらいの勢いを見せた綾乃は、再び両手をぎゅっと握りあって、蓮に伝える。



「日比谷先輩、私にも……わ、私にも!チャンスをくれませんか!?」

「……チャンス、って」

「センパイとデートをしてみたいんです!メアド交換して、ちゃんとやり取りもして、何度かデートもして……それから、それから日比谷先輩に告白の返事をもらえないでしょうか!?」

「…………」

「お願いします、私にもチャンスをください!日比谷先輩のことが好きな気持ちは、確かですから!」



腰を曲げながら強くぶつけてくる、願いの言葉。


そのお願いを浴びて、蓮はなんと返せばいいか分からなくなった。一言でパッと断るつもりだったけど、まさかここまで好かれているとは思わなかったのだ。


……でも、結論は変わらない。


蓮は同じく、腰を曲げてから綾乃に応えた。



「本当に、ごめんなさい」

「…………ぅ、っ」

「本当にごめんなさい。その気持ちに応えるのは、できないんだ」

「……理由を、教えていただけますか?」



……大体、彼女だって理由を察しているだろう。


しかし、蓮はここで釘を刺すしかなかった。それだけが、お互いのためのことだから。



「俺、好きな人がいるんだ」

「……」

「そして、俺はその好きな人しか好きにならないと、もう心の中で決めたんだ。だから、ごめんなさい。君の想いに応えることはできない」

「…………そう、ですか」



予想はしていたけどやっぱりショックなのか、綾乃の声は切れ切れになっていた。


彼女の目じりから涙が浮かび上がる。それを拭こうとしたらまた次の涙が出てきて、徐々に嗚咽へと変わる。


蓮は、苦しい気持ちでそれを見つめることしかできなかった。



「ぅう、っ……で、でも……」

「……うん?」

「……でも、よかった、です。うぅ、んん……私の、目に、間違いはなかったんですね……」



綾乃はなんとか言葉を紡ぎながら、笑顔を見せてきた。


悲しみと嬉しさが混在している、純粋な笑顔を。



「すごく、素敵だと思います……好きな人しか、好きにならないって……すごく、いいと思います……」

「……ごめんね、橋本さん」

「いえ!分かってたので……ははっ、でも。やっぱり……やっぱり、痛いですね、失恋って……」



……恋が破けたら。


好きって感情が否定されたら、踏んでいる地面が落ち込むような錯覚に陥る。


初めてはただただ涙が出て、廃人みたいに閉じこもって泣くことしかできなくなる。


それから頑張ればどうにかできるんじゃないかと甘い夢を見て、でも現実はずっとつらくて、また苦しくなって。


自分には告白をしてフラれた経験はないけど、綾乃が早く立ち直ったらいいなと、蓮は心底思った。


なにせ、この子は幸せになる資格のある子だから。



「私、もう帰ります!ありがとうございました!」

「うん、こちらこそ………ごめんね、橋本さん」

「いえ!ありがとうございます、日比谷先輩!それでは!!」

「…………………」



綾乃は逃げるように、速足で屋上から去っていく。


一人取り残された蓮が空を見上げていると、続いてキィッと、ドアが開かれる音がした。



「やぁ、人気者さん?」

「……白水。盗み聞きはよくないだろ?」

「ごめんごめん。でも、やっぱり気になっちゃて」

「……いい子だったよな、橋本さん」

「うん。あの子、1年の莉愛みたいな存在だから」

「えっ、本当に?」



確かに莉愛並みに可愛げはあったけど、それくらいだなんて。


蓮が驚いていると、由奈は仕方ないとばかりに苦笑しながら蓮に近づいた。



「好きな人しか好きにならない、か……ふふっ、いいこと言うね、あなたも」

「………何が言いたいんだよ」

「ううん、莉愛は幸せ者だな~~って思って」

「……別に、当たり前だろ。そんなこと」

「その当たり前ができるから、素敵だと言ってるの。女の子の立場からしたらなおさらそうなんだからね?」



それから、由奈は歯を見せるほど明るく笑いながら、蓮の肩をトントンと叩いた。



「今回は、別れないでちゃんと最後まで行ってよね?」

「……言われなくても、そうする」



昔からずっと、自分の心は莉愛にだけ向かれていたから。


蓮の答えに満足したのか、由奈は嬉しそうに口元を緩めた。

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