42話  もう我慢しないから

仕方ないと思う。いや、本当に仕方ないじゃんか……!!あれはどう見たって莉愛が……!



「ぅぁあああ………………死にたくなってきた」



やってしまった、俺……くそ、ああ……ああ。


翌朝、ほとんど眠れなかった蓮はかろうじて起きてから、エプロンをつけてキッチンに立っていた。


さすがに、莉愛の朝ごはんを抜くわけにはいかないから。昨日のキスで頭が煩わしいけど、でも……でも。


それとは別に、ちゃんと莉愛に美味しいものを食べさせてあげたいのだ。



「まいったな、これ……どうすりゃいいんだ」



機械的に卵を混ぜながら、蓮はぼそっとつぶやく。昨日のキスがあまりにも生々しすぎて、頭から離れなかった。


自分から莉愛にキスした時なんて、いつ以来だろう。


音楽準備室でキスをしたものの、蓮の中では自分から莉愛にキスをした、という事実があまりにも重苦しく感じられた。


前に莉愛にキスされた時はまだ言い訳が立つ。アレは莉愛が一方的にキスしてきたんだから。


でも、今回はさすがに弁解の余地がない。完璧に、自分からキスしてしまったのだ。



「………………っ、はぁ……」



それは、もう自分が莉愛をそういう対象として見ているということで。


自分もまた、莉愛と同じ気持ちであると仄めかすような行為で……だから、蓮の頭は複雑になっているのだ。


付き合って、二度も別れてしまったら本当に何もかも終わりなのに。でも、心が言うことを聞いてくれない。


昨日の夜、幸せそうに寒いと言っていた莉愛があまりにも綺麗すぎて。


ダメだ、と理性を働かせるも前に、体は動いていて。莉愛の唇を塞いでいて。


それがあまりにも気持ちよくて、正直……またしたいと思っているのである。



「ヤバいな、俺……」



救いようがない。どうすればいい……?そうやってくよくよしていた時、階段を下りる音が聞こえてくる。


反射的に蓮が背筋をパッと伸ばすと同時に、キッチンに通るドアが開かれた。


表れたのは当然、莉愛だった。



「……………………おはよう」

「……………………よ、よぉ」

「………バカ」



そして、朝一に好きな人の顔を見た莉愛は。


信じられないくらい顔を火照らせて、そそくさと洗面所に行ってしまった。


その反応を見て、蓮はまたもやため息をついて片手で頭を押さえる。



「ヤバい……どうすればいいんだよ……」



やっぱり莉愛も、めちゃくちゃ意識している。


言わなくても、雰囲気と目線だけでその事実が伝わってきた。


昨日まであんなに馴れ馴れしく接したのに、今じゃどんな話をすればいいのかも分からない。


悩みながらもなんとか卵焼きと味噌汁を作り終えると、間もなくして莉愛が姿を現わした。


気のせいか、薄い化粧をしているように見えた。



「…………で、出かけるの?」

「……いや、今日はずっと家にいるけど」

「そ、そっか……」



……なんで家でメイクしてるんだよ!!


おかしいだろ!?なんで、なんで!?まさか俺に見せるために……?いやいや、それはさすがに自意識過剰だろ!でも……!


そうやって、蓮が思い悩んでいたところで。



「……へぇ、美味しそうね」

「っ!?」



莉愛は、警戒心の欠片もない距離で蓮に詰め寄って、皿に乗っけられている卵焼きを見下ろす。


急に近くに来たせいで、蓮の心臓がドクンと鳴る。少しは離れろと言おうとした、その矢先。


莉愛は、当たり前のように蓮の頬に手を添えて、好きな人の顔をジッと見上げた。



「……酷い顔」

「……………」

「どうせあまり寝てないんでしょ?目の下のクマ酷いし、肌もやつれてるじゃん。ちゃんと寝ないとダメだよ?」

「……誰のせいで眠れなかったと思ってるんですか?」

「それ、私のせいじゃないよ?キスしたのは…………あ、あなた、だもん……」



……いや、そうだけど!確かにそうだけど!!


でも、その雰囲気自体を作ったのが君だろ……!そう叫びたい気持ちをぐっと押し殺して、蓮はとりあえず莉愛から離れようとした。


しかし、蓮が身を引くと同時に莉愛がまた一歩近づいて、次には両手で頬を包んでくる。



「ちょっ……!?」

「なんで、離れようとしてるの?」

「そ、そっちが近いとは思わないのかよ……!」

「思わない。ていうか、私たちにとっては普通の距離じゃん。いつも一緒にいたし、いつも間近にいたから」

「昔はな!?昔はそうだったかもしれないけど、今は……!」

「……違わない」



そこで、莉愛は決心したように蓮の顔をぐっと引き寄せて、宣言するように言う。



「なにも違わないよ。だって、想いは変わってないんだもん」

「ちょっ、莉愛!?と、とりあえず一旦離れて―――」

「嫌だったら抵抗して」



その一言に、蓮の動きがピタッと止まる。


離れなきゃいけない。今すぐにでも莉愛の手を振りほどいて、この場から脱出しないといけない。


でも、頭と直感はそう分かっているのに。心と体は言うことを聞いてくれなかった。


それを感じ取った莉愛は、ほんのりとした笑顔で口を開く。



「私、もう我慢しないから」

「――――え?」

「落とすって言ったじゃん……落ちるまで何度も何度も、責めるからね?」

「莉愛、ちょっ―――」



問答無用に、また唇が塞がれてしまう。


近くで見るとやっぱり、莉愛は薄いメイクをしていた。昔にずっと見せてくれた程度のメイクで、莉愛の香りが一気に広がって。


夢のような時間が終わって唇が離れると、莉愛は心底愛おしそうに蓮を見つめた。



「……なんで、離さなかったの?」

「………………………」

「ふふっ……バカ」



莉愛は幸せそうに微笑んで、またもや短いキスを送った。

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