27話  1年ぶりのキス

音楽準備室は、二人にとって思い入れのある場所だった。


なにせ、中学の時―――恋人になってくださいと、莉愛が告白した場所が音楽準備室なのだ。


もちろん、進学したせいで場所も変わって、恋人という関係性も変わってしまったけれど。


蓮の中には、未だにその時の思い出が鮮明に残っていた。



「ふぅ……」



よりによって、なんで音楽準備室なのかな。


蓮は苦笑をしつつ、ゆっくりと音楽準備室の扉を開ける。


文化祭が終わったからか、周りが静まり返っている中。



「……来たね」

「やぁ」



窓際に立ったまま白金髪をなびかせている莉愛は。


相変わらず、複雑な顔で蓮を見つめていた。


扉を閉めて、蓮はジッと莉愛を見つめる。



「わたしが呼び出しておいてなんだけど、打ち上げは行かなくていいの?」

「今週の週末にするんだって。今日は、ほら。藤宮の告白の件もあるし」

「そっか……上手く行くといいね、告白」



莉愛は窓を閉めて、蓮に近づく。


ほぼ2時間前まではあんなにも遠かった蓮の存在が、今は自分の目の前にいた。


莉愛は、そのことに不思議な安心感を覚えていて。



「それで?どうして俺をここへ呼び出したんだよ」



蓮は、ややこわばった顔で莉愛を見つめ返しながら、言った。



「別に、用事があるなら家に帰ってから言ってもいいだろ?」

「…………」

「莉愛?」

「ライブ、お疲れ様って言いたくて呼んだの。それだけ」



返事を聞いて、蓮は明らかにそれだけじゃないってことを察してしまう。


その言葉こそ、家に帰ってから言ってくれても全然遅くないはずだ。


なのに、莉愛はあえて音楽準備室という空間に自分を呼び出した。


……推測できる案は、一つだけ。


だから、蓮はおちゃらけるように軽々しい口調を発した。



「へぇ~~そんなに俺を独占したかったのか~」

「な、なっ……!?」

「やだな、莉愛さんよ。まあ、確かにライブは成功させたし?歓声もすごかったし、俺は格好良かったし!そりゃ不安になるのも分かりますけどね~」

「うわっ、きもっ……自分で格好いいって言ってるよ、このナルシスト!」

「あはははっ!でもさ~莉愛」



その瞬間、蓮はパッと雰囲気を打ち切るような言葉を投げる。



「……もう元カレだろ?俺」

「………」

「俺たち別れたんだよ。だから、いつまでも嫉妬してくるのはちょっと……その」

「………………」

「……分かってるだろ?君も」



心臓が張り裂けてしまいそうになる。


莉愛も、蓮も同じだった。その言葉が響いたとたんに二人は苦しくなって、言葉に詰まって、なにもできなくなる。


蓮は冷たいことを言っている蓮に傷ついていて、蓮はこう言うしかない現実に傷ついていた。


蓮は、嬉しかった。莉愛が未だに嫉妬してくれて、独占しようとしてくれてたまらなく嬉しいのだ。


でも、これはお互いを傷つけ合う関係でしかない。過去にちゃんとけりをつけて、前に進まなければいけない。


なのに、莉愛は。



「あなたは、誰のもの?」



再び蓮を試すような言葉を。


昔と全く変わっていない言葉を平然と、蓮に投げ始めた。



「……莉愛」

「お願い、答えて。この質問するために、ここに呼び出したんだから」

「なんでこんなかわいいのに他のヤツに目を向けないのかな~~俺の幼馴染」

「……答えて、蓮」



莉愛は、もう一歩蓮に近づきながら言う。



「あなたは、誰のものなの?」

「いや、俺は俺のものだし……」

「やだ」

「…………」

「……やだ」



言っていい言葉じゃない。


今、口にするのはあまりにも危険すぎる言葉だ。莉愛は確かにそれを分かっていて、それでも耐えきれなかった。


目の前に立っている蓮が、自分じゃない誰かに微笑むと思うと―――胃がむかむかして、えずきそうになる。


分かっている。恋人でも相手を束縛できる権利はない。


ましてや、今の莉愛はただの友達だから―――これは、答えを避けている蓮が正しい。



「お願い、蓮」

「………」

「私のものって言って」



それでも、言わずにはいられない。


ついさっき、蓮が紡ぐ告白の歌を聞いてしまったから。あの時の蓮の視線が、莉愛に刺さっていたから。


藤宮をフォローする時に歌った曲のコーラス。愛しているって内容の歌を。


蓮は、莉愛を見つめながら歌ったのだ。



「……莉愛」

「なに?」

「すっごくクサいセリフだから言いたくないけどさ。俺は………あまり、失いたくないんだよ」

「………」

「別れたあとに死ぬほど苦しかったからさ。友達の君でさえ失いたくはないんだ。だから、ごめん。俺は答えられない」



………ああ、この男は本当に。


本当に、なにも分かってないなと、莉愛は心の中でため息をこぼす。


なにが、答えられない、よ。答えたようなもんじゃない。


君のものではないって言ってくれれば、それで済む話じゃん。否定してくれたら、すべて終わるじゃん……。


でも、その不器用な言葉を聞いた莉愛はやっぱり、嬉しくなって。



「そっか、私を失いたくなくて、返事を避けてるんだ」

「……うん」

「あなたは、未だに私が大切なのね?」

「……………………うん」

「なら、これも避けてみなよ」

「えっ?あ、ちょ――――」



蓮が身を引くも前に。


莉愛は昔のように蓮にぎゅっと抱き着いて、つま先立ちで蓮の唇を奪う。


11歳……そう、11歳の頃からほとんど毎日のようにしていた、キス。


性知識がなかった頃、ただ気持ちいいからやっただけのキス。でも、4年が経った今でもキスは気持ちいいままだった。


蓮はとっさに、莉愛の肩を掴んで体を引き離そうとする。


その力を感じて、莉愛はより一層蓮に抱き着いて、唇を貪る。


目をぎゅっとつぶったまま、唇の感触だけを感じる。



『………ああ、このことだったんだ』



そして、莉愛はようやく思いつく。


そっか、結婚した未来の夢の中、私が文化祭で何かが変わったと言ったことは―――


今の、このキスを指していることだったんだ。



「ん……っ!!」

「……あ」

「な、なにやってるんだよ!俺たちは………俺たちは」



蓮の顔は今まで見たことがないほど、真っ赤になった。


対する莉愛の顔もそう変わらなくて、二人は赤面したまま無言で見つめ合う。


蓮は、混乱した。あまりにも色んな感情が押し寄せてきて、何から言えばいいか分からなくなる。


戸惑い、怒り、恨めしさ、気持ちよさ。そして―――嬉しさ。


このままだと、もう一度莉愛と離れてしまうかもしれないという恐怖まで。すべてが混ざり合って、蓮を責めていた。



「なんで、すぐに引き離さなかったの?」

「っ……!」

「できたじゃん……本当に嫌だったら、できたじゃん」



そして、莉愛も莉愛で調子が狂っていた。


キスしている時、莉愛は確かに感じていたのだ。


自分の肩を掴んでいた蓮の手が、そのまま背中に回ろうとして―――ハッと我に返ったように、自分の体を押しのけたことを。


もう一度キスしてみたいと、莉愛は心から思う。


別れて1年。その1年を補うには、さっきのキスじゃあまりにも足りないから。



「……バカ」



色気がこもった莉愛の罵りを避けるように。


蓮は自分の口元を手の甲で隠しながら、そっぽ向くだけだった。

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