23話  上手くならないで

「どれどれ……うわっ、きつっ」



蓮は家に帰ってさっそく楽譜をプリントしていた。けっこう難しそうで、つい怯んでしまう。


蓮ははあ、とため息をこぼしながらプリントした紙をデスクに置いた後、弾き語り動画をチェックして行った。



「なるほど、こんな感じか」



マックでの会議の結果、蓮はギターだけじゃなくてボーカルの役目まで果たすことになった。


もちろん、好きな子に告白するつもりの藤宮に後半とハイライトを任せる形だけど、負担になるのは事実だった。



「どうしようかな、これ。誰かにフィードバックでももらえたらいいけど」



蓮が悩んでいた、正にその時。



「お風呂、先に入っちゃっていい?」

「ちょっ、ノックくらいしてよ!」

「ええ~~酷いなぁ、昔は自由に出入れさせてくれたのに~~しくしくぅ」

「ちっとも酷いと思ってないくせに……!」



蓮のツッコミをしれっと受け流した莉愛は、当たり前のように蓮のベッドに腰かけて、モニターを見つめる。



「その曲なの?文化祭で歌うヤツ」

「ああ、うん。ボーカル担当のヤツが好きな人に告白したいらしくてさ。だから、この曲にしたんだよ」

「……ラブソングだよね、これ」

「うん」



相手に告白する内容の曲。積み重ねてきた思いを全部解き放つような、猛々しくて勢いのある曲。


これを本当に自分が歌わなきゃいけないなんて。蓮は少し複雑な気持ちになる。


告白したい相手なんて……そんな相手、なんて。



「……なんで?」

「うん?」

「なんでそんなに、私のことジッと見てるの?」

「っ!?い、いや。別に見てないし」

「……嘘つき」

「うるさい。ほら、さっさとお風呂入って来な?」

「へぇ~~すなわち、そこまでして私の残り湯を啜りたいと?」

「急にとんでもないこと言うなよ!?」



そして、そのバカらしい会話の後。



「私が聞いてあげる」



莉愛は、まるでなんてこともないように平然とした顔で、蓮にそう言った。



「えっ?聞いてあげるって……」

「昔みたいに付き合うって言ってるの。ほら、前にギター弾いてた時……いつも私の前で練習してたじゃん」

「い、いや。それは昔の話だろ?今は別に―――」

「……………」

「………莉愛」



おかしい、と蓮は思った。これはおかしい。なんでだ?


なんで、相手に告白するラブソングの練習に付き合おうとする?


どうして、別れたのにこんな提案を?俺たちはもう、恋人ではないのに。



「早く弾いて」

「え?」

「弾いて、早く。私の前で……弾いて」



莉愛の声色が段々と切実さを浴びて、蓮の頭を混乱させていく。


莉愛の顔は驚くほど悲しげで、蓮は言葉に詰まってしまった。


……だけど、そうだ。


どうせ、フィードバックは必要なのだ。変だったら変だと、間違っているなら間違っていると、そう指摘してくれる人は必要だ。


蓮は立ち上がって、部屋の隅っこにあるギターケースを手に取る。



「ふふん~~テキパキ指摘して行くからね?」

「嫌なヤツの典型例だな、これ……!」



苦笑をこぼしつつも、蓮は久々に取り出したギターを構えて、チューニングを始めた。


やや俯いてチューニングをしている蓮を見つめていると、莉愛の心臓がおかしくなる。


ラブソング。告白するラブソング。


蓮の声でその曲を聞きたいと思うだなんて、狂っている。


莉愛は分かっていながらも、その衝動に逆らえなかった。



『……どうせ、他の人たちの前で弾くんだったら』



だったら、最初は自分がいい。


初めて弾く曲を初めて聞くのは、自分であるべきだ。蓮のすべての初めては昔から全部、自分がもらったから。


心も、ハグも、キスも、言葉も、ああいう行為も………全部、全部自分だったから。



『…………なにやってるの、私』



こんなの、おかしい。別れてもなお蓮に執着しているみたいで、落ち着かない。


でも、でも……仕方がない。


別れた当時、莉愛は蓮のためにも二度と会ったらいけないと強く決心していた。


自分の愛が、自分の執着が蓮を重苦しくするという事実に気づいてしまったから、そうならざるを得なかったのだ。


だけど、だけど………結局、蓮からは離れられなかった。



「じゃ、弾くから」

「うん」



蓮がないと生きていけない。


大げさなように聞こえるけど、本当にそうかもしれないと、莉愛は思った。幼馴染だから。


人生の大半を……いや、物心ついた時からのすべての時間を、蓮に奪われたから。


蓮がいないと、蓮が目の前にいてくれないと、自分は行く先が分からなくなるから。


ぎこちないギターの音が部屋中に鳴り響く。初心者が聞いても穴だらけの演奏を聞いて、莉愛は微笑んだ。



『……昔も、こうだったよね』



自分の目の前で、蓮に無理やりラブソングを歌わせたその時も。


ちょうど、今のような不器用さだった。



『他の人たちの前で、こんな姿見せないで。見せちゃいや……』



そう言いそうになるのをぐっとこらえて、莉愛は無理やり笑って見せる。



「ぷふっ、下手」

「あのな………!」

「ははっ、あはははっ!!ええ~~できるのかな?あと3週間で本当にマスターできるのかな~~?」

「その言葉覚えとけよ……!絶対にマスターしてやるから!!」

「ぷふっ、そっかそっか~~」



……やだ、上手くならないで。


なんで誰かに聞かせようとするの。本当に、他の女の子たちに聞かせる気なの?


そんなの、そんなの………………っ。



「じゃ、私は先にお風呂入るから」

「最後まで邪魔ばっかだな、君……!」

「ぷふっ、頑張れ~~それじゃ!」



蓮の部屋を出た後、莉愛は一階に降りてからシャワーを浴びて、お湯に浸かりながら―――思う。



「……これ以上格好良くならないでよ、バカ」



認めたくないけど、ギターを弾いている時の蓮は格好いい。でも、でも。


その姿は、私のものでしょ……私にだけ見せていい姿でしょ。


莉愛は表現しがたいモヤモヤを抱いたまま、ふうとため息をついた。

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