10話  昔に向けられた感情

もうすぐ夏休みが終わると言うのに、莉愛は学校のことなんか放っておいて、蓮の存在だけを考えていた。


距離感がバグっている。


いくらお互いがお互いのすべてを知っていて、付き合う前からもしょっちゅうスキンシップをして、恋人だったとしても―――二人は別れたのだ。


でも、雷が鳴った時のアレは明らかに、別れたカップルが取っていい距離じゃなかった。


互いを抱きしめ合って、何も言わないままじっと見つめて―――あの時、蓮がベッドから逃げ出さなかったらきっと、とんでもないことになっていただろう。


だから、意識的にも距離を置かなければいけない。


せっかく見つけた友達という関係性さえも失わないためには、距離が必要だ。



「…………なのに」



なのに、なんでいつもあいつと結婚する夢を見ているんだろう。


それに、今日の夢は普段の倍以上に色っぽかった。娘たちが寝ている隙に抱き着いて、キスして、そのままベッドまで―――



「うぅ………バカでしょ、私ぃ………」



莉愛は自分の顔を両手で覆い隠しながら、バタバタと布団を蹴り始める。


こんな夢を見たらもっと気まずくなるじゃない……!どうしたらいいの、本当に!?



「はぁ……私のバカぁ……」



あいつのことなんか、ちっとも好きじゃないのに。


なのに、なんで……なんで幸せだと感じてしまうんだろう。


あいつに抱きしめられて、キスされて、甘い言葉をいっぱい囁かれると当たり前のように溶けちゃって。


このままだと本当に、頭がパンクしそうだった。


都合のいい夢ばっかり見たせいで、現実の感覚が有耶無耶になるかもしれない。



「……ふぅ、起きよう」



莉愛はベッドの片づけだけをしてから、1階のリビングに降りる。


すると、エプロンを付けたまま料理をしている蓮を見て―――その姿さえも、夢で見ていた姿にあまりにも似ていて。


莉愛の心臓はまたもや、ドクンと激しく鳴る。



「おはよう」

「おはよう……きょ、今日の朝ごはんは?」

「アジフライにポテトサラダ」

「……毎回思うんだけどさ、朝ごはん作るの大変じゃない?別に作ってくれなかったって、私はいいんだよ?」



中学生の頃、蓮はやけに料理にハマっていて、莉愛に色々なものを食べさせていた。たまには弁当まで作ってくれるくらいだった。


でも、もう恋人じゃないから。


恋人だったとしても、早起きして朝ごはんを作る義理はないはず。なのに、なんでそこまで頑張るの?


そう問いかけようとしたところで、蓮が口を開く。



「気にしなくていいからな?俺が作りたいだけだから」

「…………」

「……別に、昔のことはそんなに意識してないし」



ウソだった。


蓮は毎朝、わざと莉愛に朝ごはんを食べさせるために前より1時間も早く起きていた。


もちろん、親に彼女の栄養管理を任されたからでもあり、単純に莉愛より料理が上手いからという点もあるけど。


でも、本質的には―――蓮は莉愛のためだけに、朝ごはんを作っているのだ。


もっともっと、美味しいものを食べさせてあげたいから。



「もうすぐ学校始まるね」

「だな。あと三日しか残ってないか~~」

「……学校始まっても、こうして朝ごはん作ってくれるつもり?」

「どうしようかな?別に、料理は好きだからどうでもいいけど―――」

「作っちゃダメ」



急に言葉を遮られて、蓮は目を丸くして莉愛に振り向く。


莉愛は、複雑そうな顔で首を振った。



「作っちゃダメ……何があっても、作らないでよ」

「え?なんでそこまで……?俺の料理割と好きなんじゃ―――」

「夢にも出てきたから」



そこで、蓮はハッと息を飲み込む。


莉愛は徐々に顔を赤くさせながら、蓮を見上げた。



「ちょうど、今のように……グレーのエプロンつけてるあなたが朝ごはん作ってくれて、私はそれを幸せに食べて。む、娘たちも一緒に食べて笑ってて、その夜に…………その……」

「………………」

「わ、私、勘違いしたくない……!だから、料理はダメ。学校始まったらあなたも忙しいでしょ?料理は絶対にダメ」

「………………わ、分かった」

「……分かってくれたらよし。ごはんよそうね」

「あ……お願い」



とんでもない爆弾を投げかけられて、蓮はしばらく凍り付いたように突っ立つ。


そして、莉愛がご飯をよそうために背を向けた時、蓮は片手で目元を抑えた。



『だから、なんでそんなこと言うんだよ……!むしろ俺が勘違いするだろ!?』



莉愛は昔から、かなりストレートで素直な性格だった。


だから、蓮は知っている。感情がすべて表に出てしまう元カノ幼馴染は、隠すのが下手くそで……あの時に似たような感情が少し、にじみ出ていたのだ。


好きとか嬉しさに分類される、その類の感情が。



「……………な、なに?」

「……………いや」


蓮の視線に察した莉愛が、気まずそうに振り向く。


蓮は首を振って、ふうとため息をついた。

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