9話  離れてくれない莉愛

『言うんじゃなかった……言うんじゃなかった……!俺のバカ!!』



一晩中抱きしめてあげるから。


そう言っていた10分前の自分を蹴り飛ばしたいくらいに、蓮は悶えていた。蓮は知らなかったのだ。


中学生から高校生になった莉愛の体は、あの頃とは比較がならないくらい女性の体になっていて。


昔には控えめだった胸の大きさとか、腰のラインとか……そういった刺激の強い情報が、洪水のように押し寄せてきたのだ。


そして、蓮に抱きしめられている莉愛も。



『なんで本当に抱きしめるの……!?なんなの、この男!?本当になんで抱きしめてくれるの!?好きなの?私のこと未だに好きなわけ!?』



とても他人には見せられない火照った顔つきで、蓮の懐に顔をうずめていた。


悔しいけど、安心する。蓮の体臭は好きで、昔はよく蓮に抱きしめられて匂いを吸ったりしていた。


恋人でもないのに、こんなことしてもいいのかな。


そう思ってはいるものの、体は言うことを聞かない。胸が当たることも気にせずに、勝手に蓮に抱き着いてしまっている。



「……莉愛」

「……なに?」

「ごめん。さっきの言葉なしにしてもいい?」

「……さっきの言葉って?」

「抱きしめるのなしにして、代わりにクッション持ってくるから。それで我慢してくれないかな?」



懐から少し顔を離して、莉愛は連の顔をジッと見上げる。


そこには、自分がよく知っている照れ顔があった。


困っている顔で、目は合わせてくれなくて、精一杯理性を働かせようとする元カレの顔。



「………」



蓮は正しい提案をしている。莉愛は本気でそう思った。


自分たちは恋人じゃないから。異性の友達は一晩中互いを抱きしめたりしないし、幼馴染だって同じようなものだ。


これは、明らかに恋人の距離。


自分と蓮はそれを知っていながらも本能に負けて、こうやって抱きしめ合っていて……でも、今の蓮は少しだけ理性を取り戻していた。


だから、莉愛は言う。



「……やだ」

「は、は!?」

「自分が言い出したことにはちゃんと責任を取って。男の子でしょ?」



それだけ言って、これ以上は話さないとばかりに莉愛はまたもや、連の懐に顔をうずめた。


予想もしてなかった展開に驚いた蓮は、彼女の肩を掴んでから言う。



「な、なに言ってるんだよ……!ぬいぐるみ!大好きだったウサギのぬいぐるみ持ってくるから!」

「……やだって言った」

「っ……!」



本当になんなんだよ、こいつ……!別れたくせに、俺に傷ついたくせになんでこんなに縋りつくんだ!


蓮はため息をこぼしそうになるのをなんとかこらえながら、莉愛と距離を取るために体をよじる。


しかし、そのたびに莉愛は体を引っ付いてきて、柔らかい肌の感触がどんどん伝わってきて。



「………………………ぁ」

「……………………っ!」



そして、莉愛は察してしまう。


下半身に起こる、男の自然な生理現象というものを………彼女もまた、蓮に教わってもらったから。



「……変態」

「誰が誰に言ってるんだよ!!この変態痴女!」



死にたくなる気持ちをぐっと込めて叫ぶと、莉愛はただふふっと笑うだけだった。


おかしいだろ、こいつ。こんな風になったというのに、なんでまだ離れないんだ……?


蓮がもう一度莉愛の肩を掴んで、今度こそ力を入れて無理やりはがそうとした瞬間。



「きゃああっ!?」

「うわっ!?」



またもや大きな雷の音が鳴って、しかも今回はけっこう長くて。


莉愛は昔の習慣通り、反射的に蓮にぎゅっと抱き着いてしまった。


ただでさえ触れ合っていた距離はほとんどゼロ距離になっていて、蓮の懊悩だけが募っていく。



「ご、ごめん!でも…………………ぁ」

「……………………」



そこで、二人はようやく互いの視線を合わせて、お互いをジッと見つめた。


別れたのは中学2年の冬。時期的には1年半くらいしか経っていないのに、二人は痛感していた。


蓮は男になっていて、莉愛は女になっている。


密着している体から、その事実がありありと伝わってきた。蓮の胸板と背は広くなっていて、体もずっと大きくなっている。


変化があるのは莉愛も同じで、彼女は昔よりよっぽど魅力的に見えていた。


透き通っている青い瞳とか、白い肌とか、胸とか……破壊力がありすぎて、蓮はどうにかなってしまいそうだった。



「……お願い、莉愛。離れよう」

「………………」

「マジで、我慢できなくなるから……お願い、離れよう」



その切実な声を聞いて、莉愛は今回が離れられる最後のチャンスだということを察する。


これ以上くっついていたらまずい。今離れなかったら絶対に……抱かれる。


でも、莉愛は。



「………………………………」

「な、なんで離れないんだよ、この変態が……!」

「……変態はそっちだもん」



抱かれるのもそこまで、悪くないんじゃないかなと思ってしまっていて。


そんな風に思っている自分に嫌気がさして、どうにかなってしまいそうになる。


すべてがあの夢のせいだ。


幸せに結婚する未来をいつも見てるから、理想としていた風景がいつも夢の中で開かれるから……すべては、夢が悪い。



「ねぇ、蓮」

「なんだよ、こんな時に……!」

「私たち、結婚したら……どうなると思う?」

「はあっ!?いきなりなにを―――」

「あの夢、結局お医者さんでも原因が分からなかったじゃない」



そこで蓮は息を詰まらせて、莉愛から視線を外す。


確かに、莉愛の言う通り検査結果にはなんの問題もなかった。


身体的にも精神的にも健康で、むしろお医者さんが困ったような顔をするくらいだった。


でも、それじゃ………あの夢の説明ができない。


莉愛と未来に結婚するなんて。


幼い頃からずっと見ていた夢ではあるが、もはや叶えることは不可能だ。


自分たちは一度、別れたから。



「――莉愛」

「なに?」

「君はもうちょっと、自分を幸せにしてくれる人と結婚した方がいいよ」

「………」

「……っ、変な話はもう終わり!ああ、もう……」



莉愛がショックを受けて油断していた時、蓮はとっさに体を後ろに退けてベッドから降りた。


それから、まだ熱が残っている顔のまま莉愛に振り向く。



「ほら、ぬいぐるみ取ってくるから、それまで大人しく待ってろよ?」

「……うん、わかった」

「……変態痴女」

「なにを言ってるの。ここまでの据え膳を食わなかった男が」

「元カレによくそんなこと言えるな!?ああ、もう……調子狂う。別に抱かれるの望んでもいないくせに」

「ふふっ、いってらっしゃい~~あなたの部屋にあるぬいぐるみだよね?」

「ああ、あのウサギのヤツ取ってくるから」



そこまで言って、蓮はそそくさと部屋を出た。


まだ捨てなかったんだと、莉愛は思う。


昔、部屋の空間が足りないから連の部屋にぬいぐるみをいっぱい置いていたけど……まさか、まだその部屋にあるなんて。



「………バカ」



莉愛は、自分の胸元に手を置いてみる。


心臓は、信じられないくらいに早く鳴っていた。

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